108 なにか不足があるのか?
(てっきり「ヤンデレ令嬢クローディア」の悪趣味な私物だと思ってたけど、なにか邪神由来のものだったのかしら)
七百年前の依代が同じ装飾を着けていたとなると、その可能性は高いだろう。
ただ奇妙なのは、これまで他の絵画では見かけた記憶がないことだ。教科書の挿絵のみならず、ユージィンと行った美術展で見た超大作や王宮の絵画室に飾られている有名画家の作品にも、あんなものは描かれていなかった。
この不自然なまでの欠落は、一体何を意味するのか。
(……って、今はそんなこと考えている場合じゃないわね)
礼拝堂にはすでに他の参加者たちが入室しており、あとから入室するエイルズワースの王族と準王族の一挙手一投足をじっと見守っている状況だ。
クローディアは王妃教育で習ったことを思い返しながら堂々と胸を張って歩みを進め、ユージィンと共にステンドグラスの前にある壇上へ登った。
国王、王妃、ユージィン、クローディアといった順に並んで立ち、さりげなく聖堂内を見渡すと、参加者たち一人ひとりの顔が良く見える。
向かって右手にいるのは各国からの賓客だ。猫好きのリッケンバルトの皇太后に、アーティファクトが大好きなポリスターの第一王子、酒を愛するグランヴィルの王弟、ロマンティックな芝居の好きなルグランの王妹、等々。見知った賓客に交じって肩身が狭そうにしている男性は、おそらくバルモア大使だろう。ヴィクター王太子の不在により、急遽代理で出席することになったと聞いている。
一方、左手にいるのはエイルズワース王国を支える高位貴族とそのパートナーたちである。リーンハルト公爵夫妻とアデライド公爵夫妻。感無量と言った顔のガーランド公爵夫妻。その隣ではブラッドレー公爵こと我らがエリザベス・ブラッドレーが、いつものようにつんと澄まし返ってクローディアたちを見上げている。
続いて、いかめしい顔つきのラフロイ侯爵に優雅なレナード侯爵夫妻。アシュトン侯爵の隣にはライナス・アシュトンの姿も見える。まだ当主ではないものの、ユージィンの片腕ということで特別に参加を許された。
タルボット侯爵夫妻にキングスベリー侯爵夫妻、エニスモア侯爵こと学院長のケイト・エニスモア。スタンフィールド侯爵夫妻、ヴァルデマー辺境伯夫妻、トラヴィニオン辺境伯の隣には婚約者であるルーシー・アンダーソンがつつしまやかに微笑んでいる。
その後ろにいるのは誰あろう、クローディアの父、ウィリアム・ラングレーと義母、ヘレン・ラングレーである。いずれもクローディアの両親として参加を許されたが、二人ともいささか緊張した面持ちだ。さすがにソフィアは参加できなかったが、帰ったらたっぷりと土産話を聞かせる約束になっている。
参加者たちは皆これから告げられることについて知らされているため、ある者は退屈そうに、またある者は期待に満ちた表情でクローディアたちを見守っている。
国王は王妃から「陛下」と小声で促されると、平板な声で「皆の者。今日はこの佳き日を祝うために集ってくれたことに心より感謝する。聖剣の儀に先立って、皆に申し伝えたいことがある」と話を切り出した。
「エイルズワース王国の王位を継ぐ者が決まった。我が息子、ユージィン・エイルズワースだ。併せてユージィンがラングレー伯爵家の長子、クローディア・ラングレーと婚約したことも発表する。至らないこともある二人だが、どうか皆で盛り立ててやって欲しい」
国王の言葉に、その場にいる者たちから盛大な拍手が贈られた。
「では、聖剣の儀を執り行う」
国王の宣言を合図に聖歌隊が光の女神を讃える歌を合唱し、それに合わせて六人の騎士たちが黄金の櫃を担いで入場してきた。礼装をまとった騎士たちは、恭しい仕草で櫃を壇上に据えると、そっと蓋を取り去った。
中に収められているのは見覚えのあるひと振りの剣。
紛れもなく聖剣――少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』のクライマックスで、リリアナとアレクサンダーが邪神クローディアを倒したときに、二人で振るった「あの」聖剣だ。
ちなみに何故一人ではなく二人だったのかといえば、リリアナ一人ではクローディアを倒せなかったためである。聖剣は使い手が対象の魔力量を上回っていなければ十全に力を発揮できないが、リリアナの魔力量はクローディアを下回る。そこでモートンが『二人で力を合わせたらどうか』と提案し、そういう形になったわけだ。
掲載当時のネット掲示板ではアレクサンダーファンが歓喜しながら「ケーキ入刀!」「二人の初めての共同作業です!」などと冷やかす一方、他のキャラクターのファンが「そういう冗談ほんと気持ち悪い」「単にあのメンバーの中でアレクが一番魔力量が多いから選ばれたってだけでしょ?」などと怒り狂っていたのを記憶しているが、まあそんなことはどうでもいい。
ともあれ、目の前にあるのは紛れもなくあのときの聖剣だ。
クローディアが妙な感動を覚えながら見守る中、国王は厳粛な面持ちで櫃の正面に立ち、聖剣に手を伸ばしかけた、まさにそのとき、聖堂の扉が音を立てて開かれた。
「ああ、やっぱり始まっちゃってるわね! 遅れてごめんなさい!」
あっけらかんとした声と共に飛び込んできたのは言わずと知れたリリアナ王女、その隣にはヴィクター王太子の姿も見える。まるで恋人同士のように手をつないでいる二人の様子に、周囲からざわめきの声があがる。
「ただいま、パパ!」
手をつないだまま当然のように壇上に登ろうとする二人を、バルモア大使とユージィンが押しとどめた。
「ヴィクター殿下、こちらへ! 儀式の邪魔をしてはなりません!」
「リリアナ、壇に上がるのはエイルズワースの王族とそのパートナーだけだ」
「ええ、もちろん知ってるわよ? だから一緒に上がるんじゃない。ねえ?」
リリアナはいたずらっぽく言うと、隣のヴィクターに笑いかけた。対するヴィクターも笑みを浮かべてうなずくと、高らかに宣言した。
「ユージィン、友として祝ってくれ。俺たち、結婚することになったんだ!」
一瞬の沈黙ののち、聖堂内からどよめきが上がった。
「え、なにかの演出?」
「冗談なのかしら」
「これはおめでたいことですな」
「いや、そう言って良いのかどうか」
皆、降ってわいた騒動に、興味津々といった様子である。
一方、我に返った国王は、「待てリリアナ! そんな……そんな勝手な話、私は許さんぞ!」と怒りの声を上げた。
「なんでよパパ! ヴィクターのなにが気に入らないの?」
「なにって、それは――」
「マクシミリアン陛下! どうか結婚をお許しください! 俺……いえ私はリリアナを愛しているんです! 今ここで光の女神に誓います、必ずリリアナを幸せにすると!」
「なにを勝手なことを……!」
「あの、お待ちくださいヴィクター殿下、殿下のご結婚については、まず本国に帰って両陛下にお許しをいただかないことには」
「黙れ大使、俺の妃くらい自分で選ぶ! それともなにか? リリアナがバルモア王妃でなにか不足があるのか?」
「え? いえ、それは、けしてそのような……」
「皆様、お静かになさいませ!」
てんでに騒ぐ者たちを、ヴェロニカ王妃が一喝した。
「陛下、リリアナさん、ヴィクター殿下、それからバルモア大使も、お話の続きは別室でいたしましょう。聖堂で騒ぎ立てるのは女神様に対する冒涜です」
その威厳に満ちた声に、堂内が一瞬にして静まり返る。
「では、別室へ」
王妃は彼らを促しながら、振り返ってユージィンに目をやった。ユージィンが無言でうなずくと、王妃は安堵した様子で、そのまま国王らと退室していった。
「皆、騒がせてすまない。私が代理で聖剣の儀を執り行う」
ユージィンの言葉を合図に、その場は仕切り直しとなった。
合唱が再開され、澄んだ歌声が聖堂内に響き渡る。
厳かな空気の中で、ユージィンは櫃から聖剣を取り出すと、柄に恭しく口づけた。そして古代語の聖句「我が身を光の女神に捧げ、この聖なる剣をもって悪しき敵を討ち滅ぼさん」を唱えながら聖剣を高々と掲げると、ステンドグラスから差し込む一条の光が彼の銀髪と聖剣を照らし出し、眩しいほどにきらめかせる。
一枚の絵のような光景は、その場にいた者たちに新たな時代の幕開けを予感させるものだった。
翌日。クローディアはユージィンや王妃と共に賓客を見送った。国王とリリアナは「体調不良」のため見送りには参加しないことになったらしい。
ちなみにユージィンから聞いた話によれば、頑として結婚を認めない国王に対し、リリアナは「パパの馬鹿! もう口をきいてあげないから!」と自室に籠城しているそうで、「あの分だと結局許可することになるんじゃないかな」とのこと。
対するクローディアは「まあ、そうですの」と微笑みつつ、少々複雑な心境だった。
リリアナがエイルズワースを出て隣国に嫁ぐ。
原作とはまるで異なる展開に、なんだか気持ちが追い付かない。
本来の展開では、ヴィクターからプロポーズされたリリアナは「ごめんね、ヴィクターのことは嫌いじゃないけど、私は大好きなこの国を離れたくないの!」とすっぱり振っていたのだが、一体なにがどうしてこうなったのか。
(原作と違ってオズワルドが居なくなったから? それともモートン先生? フィリップ? ダミアン?)
おそらくその全てなのだろう。五人いた取り巻きが、アレクサンダー一人になってしまい、リリアナにとって心地よいぬるま湯が、以前ほど心地よくなくなってしまった。それゆえに、リリアナはエイルズワースに留まるよりも、ヴィクターと共に行く未来を選択した――つまりはそういうことなのだろう。
(結局リリアナのこの国に対する「大好き」って、その程度のものだったってことなのかしらね……)
まあ今さら理由を考えても仕方がない。重要なのはこの変化が自分たちになにをもたらすか、そして「この御子はいずれ邪神と対峙することになるでしょう」という予言に対し、どういう意味を持っているかだ。
それは予言の失効を意味するのか、あるいは邪神がバルモアに顕現するということなのか、あるいは――。
などとつらつら考えながら、クローディアは客人の一人一人と言葉を交わし、最後の馬車を見送った。ちなみに最後はヴィクター王太子で、「絶対に父と母を説得して見せるから、次はリリアナを花嫁として迎えにくるぜ」と不敵に笑って去って行った。まあ、あれだけ派手に宣言した以上、バルモア側も「やっぱりいりません」とは言い辛いし、そちらも早晩許可されるのではなかろうか。
見送りが終わって、クローディアがほっと息をついていると、ユージィンが「お疲れ様」とクローディアに声をかけてきた。
「素晴らしかったよクローディア、ろくに準備期間もなくて大変だったろうに」
「ふふ、ありがとうございます、ユージィン様。大きな失敗もなかったみたいで良かったですわ」
「本当に見事だったわ、クローディアさん。貴方はもう皆が認める次期王妃よ」
「ありがとうございます。光栄ですわ、王妃様」
「だからね、明日この時間に王宮にいらっしゃいな。邪神の依代となる三つ目の条件を教えるわ」
ヴェロニカ王妃は笑みを浮かべてそう告げた。
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