106 俺様王太子・ヴィクター・バルモア
「久しぶりだねヴィクター、来てくれて嬉しいよ」
ユージィンはいかにも王族らしい柔らかな笑みを浮かべて言った。その声も表情も客人に対する歓迎の意を表しているが、身近な人間からすると、そこに熱が籠っていないことが察せられる。
ユージィンは事前に「ヴィクターとは同じ学院に通う王族として一応交流していたが、少々問題のある人物なので、クローディアも気を付けて欲しい」と言っていたし、あまり気の合う相手ではないのだろう。
対するヴィクターは「ああ、堅物の君が巨人やら竜やら倒してるすごい令嬢と婚約したって聞いたから、一度拝んでやろうと思ってな」などと言いながら、クローディアの方へと視線を向けた。
「で、こっちが噂の婚約者か、へぇ……なかなか」
あろうことか、ヴィクターは無造作に手をのばすと、クローディアの顎を持ち上げようと試みた。しかしその指はクローディアに触れる寸前に、ユージィンによってばしりと払いのけられる。
「冗談が過ぎるぞヴィクター、私の婚約者に気安く触れないでくれたまえ」
「ははっ、悪い悪い。俺の好みだったもので、つい、な」
ヴィクターは悪びれる様子もなく言うと、「なあユージィン、遠方から来た客人に婚約者を紹介してくれないのか?」と言葉を続けた。
「……分かった。ヴィクター、彼女はクローディア・ラングレー。ラングレー伯爵家の長女で、私の大切な婚約者だ。クローディア、彼はヴィクター・バルモア、バルモア王国の王太子で、留学先では私と親しく交流していた間柄だ」
「ヴィクター・バルモアだ」
「お初にお目にかかります、ヴィクター殿下。クローディア・ラングレーと申します」
「美人だな。クローディア嬢、ユージィンより俺と結婚しないか?」
「ふふ、ヴィクター殿下がとても冗談好きな方であることは、ユージィン様からうかがっております」
「もし冗談じゃないと言ったら、どうする? どうも君は普通の女じゃないようだ。俺は一目見た時から君が気になって仕方がない」
「ヴィクター、いい加減にしろ」
「なあ、クローディア嬢」
低い声で囁きながら、ヴィクターはクローディアに顔を近づけて、その瞳をじっと覗き込んでくる。
(鬱陶しいわね、この男)
淑女の笑みを浮かべながら、クローディアは内心辟易していた。
少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』の記憶によれば、「俺様王太子」ことヴィクター・バルモアは女嫌いの女たらしという厄介な性質の持ち主だ。彼は女性全般を見下しており、あえて夫や婚約者のいる女性を誘惑し、その気にさせては突き放す、というはた迷惑な遊びを繰り返している。口癖は「女なんて皆同じ」。
ヴィクターが歪んだ女性観を持つに至った背景には色々と複雑な事情が絡んでいるのだが、まあそんなことはどうでもいい。
ともあれ今のヴィクターの態度の裏にあるのは、クローディアの淑女らしからぬ武勇伝に対する興味が三割、「堅物王子」ユージィンの婚約者である点が三割、そして自分に対してクローディアが全く動じないでいることで、若干むきになっているのが四割といったところだろうか。
(ここで私がとまどったり恥じらったりして見せれば、多少満足して引き下がるのかもしれないけど……演技でもやりたくないのよね)
この男の勘違いを助長させるのは業腹だし、なによりもユージィンにそんな姿を見せたくない。
仕方なく、クローディアは奥の手を使うことにした。
「まあお褒めにあずかり光栄ですわ、ヴィクター殿下。ですが私は人より少し魔力が多いことと、ユージィン様を心からお慕いしていることを除けば、どこにでもいるごく平凡な人間ですのよ。もし私が多少なりとも非凡に映るのであれば、それはきっとリリアナ殿下の影響でしょう」
「リリアナ殿下?」
「ええ、リリアナ殿下です」
クローディアが笑みを浮かべてリリアナの方に視線を送ると、ヴィクターもつられたように目をやった。
リリアナはいきなり二人から注目されて、きょとんとした表情を浮かべている。
「リリアナ殿下はあの通り花の妖精のように可憐な外見をお持ちですけど、その内面は自由奔放で大胆不敵。周囲の誰も予想がつかない行動をなさるお方ですのよ。一介の伯爵家の娘に過ぎない私がユージィン様と親しくなれたのも、リリアナ殿下のおかげです。この国で『普通ではない女』といえば、まさにリリアナ殿下のことですわ」
実際のところ、クローディアがユージィンと親しくなったのはリリアナから庇ってもらったことがきっかけなので、別に嘘はついていない。
「へえ……」
若干興味を惹かれた様子のヴィクターに、クローディアは「実を言うと、ヴィクター殿下をおもてなしするための特別な趣向として、お忍びでの街歩きをご用意しておりまして、その案内役をリリアナ殿下がなさる予定なのです。リリアナ殿下は王族であるにも関わらず下町にも精通していらっしゃるので、ご自分からぜひヴィクター殿下の案内役にと立候補なさいましたのよ。ヴィクター殿下もお忍びの冒険はお好きでしょう? きっとお楽しみいただけますわ」と畳みかけた。
「お兄様、クローディアさんはさっきからなにを言ってるの? なにか私のこと話してる?」
リリアナが怪訝そうに問いかける。
「明日の街歩きについて、案内役のお前のことをヴィクター殿下に紹介してるんだ」
「あ、そういえば、思い出したわ。ヴィクター・バルモアって、私が明日案内する人だったわね! ヴィクターさん、明日はよろしくね!」
リリアナはそう言って、茶目っ気たっぷりに片目をつぶって見せた。その淑女らしからぬ振る舞いに、ヴィクターは一瞬目を丸くしたのち、笑い出した。
「ははっ、確かに普通の女じゃないようだな。この俺に向かってウィンクか……気に入ったぜ」
ヴィクターがあえてエイルズワース語で言ったのは、リリアナに聞かせるためだろう。
「あら、貴方エイルズワース語が話せるの?」
「ああ、日常会話くらいなら、一応な」
「なぁんだ、それなら最初から喋ってくれたらいいじゃない。私頑張って共通語で挨拶したのよ?」
「公式の場では共通語で話すのがマナーだから、一応それにのっとったんだが……本当に変わったお姫様だな」
「堅苦しいのは苦手なの」
「奇遇だな、俺もだよ。明日のデートは楽しみだ」
「とびっきりのところに連れて行ってあげるから、期待しててね!」
触れ合わんばかりに近づいて語り合う二人を前に、国王マクシミリアンは物凄い形相を浮かべているが、愛娘リリアナの楽しそうな様子に口を挟めないでいるようだ。
一方、王妃ヴェロニカはそんな彼らを呆れた様子で眺めていたが、クローディアと目が合うと、「良くやった」と言わんばかりに微笑んだ。クローディアも笑みを返した。
事前にユージィンと王妃が口をそろえて言っていた「厄介な客人」ヴィクター・バルモアはこれで綺麗に片付いた。
ちなみにエイルズワース側がもてなしの一環としてヴィクター王太子にお忍びの街歩きを用意するのも、リリアナが自ら案内役を買って出るのも、原作にあった通りである。原作におけるヴィクターはリリアナと行動を共にするうちに「おもしれー女」であるリリアナに興味を抱くわけだが、それを少しばかり早めたところでどうということはあるまい。
俺様王太子ことヴィクター・バルモアは明日、原作通りリリアナと二人で思い切り冒険を楽しんで、リリアナを本気で愛するようになるのだろう。そして原作通りリリアナにプロポーズして断られ、「俺は絶対にあきらめないぜ」と不遜な笑みを浮かべながらバルモアに帰国するのだろう――そんな風に思っていた、その時は。
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