103 特別な趣向
エイルズワース祭まであと一週間余りとなった週末。ヴェロニカ王妃の「クローディアさんも少しは息抜きした方がいいわ」という計らいで午後が休みとなったので、クローディアたちは久しぶりに五人で集まることとなった。場所はエリザベスの提案によりブラッドレー公爵邸である。
ちょうど庭園の秋薔薇が見ごろだということで、薔薇を愛でながらの楽しいお茶会となるはずだったが、あいにく一名が定刻になっても現れない。
「せっかく久しぶりに五人そろうっていうのに、ライナスったら一体何をやっているのかしら」
エリザベスはティーカップを持ち上げながら、いかにも腹立たし気な口調で言った。もっともその顔にはどことなく心配の色が表れている。
ユージィンも「宰相室にはちょっと顔を出すだけだからお茶会には余裕で間に合うと言っていたんだが」と首を傾げ、ルーシーも「もしかしてなにかトラブルでもあったんでしょうか」と不安そうな様子である。
ライナスは最近インターンのような形で宰相の仕事を手伝っている。いずれ宰相としてユージィンを支える立場上、少しでも早く仕事に慣れておきたいという本人の希望によるものだ。
しかし「今日はお茶会を優先するから、午後は休みにしてもらう」と言っていたのに、一体なにがあったのか。
皆でやきもきしながら待ちわびていたところ、ようやく執事がライナス・アシュトンの訪れを告げた。
「遅いわよ!」
到着するなり叱責を受けたライナスは、「遅れて悪い」と素直に謝罪したのち、神妙な顔でユージィンの方に向き直った。
「ユージィン殿下、エイルズワース祭においでになる予定の客人のうち、七名が変更となったことが判明しました。今、王妃様と宰相閣下が対応に追われています」
「七名? 具体的にどう変更になったんだ?」
「はい、それが――」
ライナスが告げた「変更後の七人」はいずれも錚々たる顔ぶれで、当初予定されていた人物より明らかに格上だ。おそらく今年のエイルズワース祭が王太子とその婚約者のお披露目の場になったのを受けてのことであり、それ自体は大いに歓迎すべきことなのだが――。
「今になって判明したのはどういうことだ?」
「はい。各国からは一か月以上も前に連絡があったらしいのですが、王妃様と宰相閣下には共有されていなかったようなのです。陛下はその……伝え忘れていた、と仰せでした」
ライナスはひどく言いづらそうに口にした。
「つまり、父が握りつぶしていたのか……」
察するに、国王マクシミリアンはお披露目の場を失敗させて、次代の国王であるユージィンの顔に泥を塗るつもりなのだろう。むろん国王自身やエイルズワース王国それ自体の体面も丸つぶれになるわけだが、それくらい構わないという感覚なのか。
「父はなぜそこまで……いや、今そんなことはどうでもいいな」
ユージィンは一瞬痛みに耐えるような表情を浮かべたものの、すぐに気持ちを切り替えたように、「それで、対応できそうなのか?」と問いかけた。
「苦手な食材や特別なこだわりといった注意事項については今からでも対処可能ですし、席次の変更や部屋の調整なども、今から急ピッチでやればなんとかなりそうだということです。ただ問題は『特別な趣向』の方です」
「なんなの? その特別な趣向って」
エリザベスの問いかけに、ライナスが「初めて我が国を訪問する要人に対しては、客が特別に好むものでもてなすという慣例があるんだよ」と説明した。
苦手な食材などの避けるべきものについては「注意事項」として本国から伝えられるが、好むものについてはわざわざ告げられることはない。あくまでもてなす側が自主的に調べ上げて用意することで、『私たちはこれだけ貴方を歓迎しています』という意を表すわけだ。
「七人のうち四人の好みは宰相室の情報網と王妃様のコネクションでなんとかなりそうだけど、残る三人――リッケンバルトの皇太后とグランヴィルの王弟、ポリスターの第一王子については情報が乏しくて、宰相閣下も『今から調査したとしても、訪問までに間に合うかどうか分からない』と」
「要はもてなすための情報があればいいのね? それならグランヴィルの王弟については分かるわよ」
エリザベスは得意げな笑みを浮かべて言った。
「本当か?」
「ええ、以前出入りの商会から、あの方は珍しいお酒が大好きだと聞いたことがあるわ」
「酒か! それならちょうど良いものがある。――ユージィン殿下、我が家には父が若いころから集めている秘蔵の銘酒コレクションがあるんです。世界に一本しかない幻の銘酒なんてものもありますから、それを提供いたしましょう」
「それは有難いが……いいのか? 秘蔵のコレクションと言うからには、秘蔵なんじゃないのか?」
戸惑ったように訊くユージィンに、ライナスは「大丈夫です」と胸を張って請け合った。
「前に父から『実践演習で優勝したら何でも言うこと聞いてやる』って言われてたんで、その権利を行使することにします。約束したときは母も同席していましたから、絶対に嫌とは言えないはずです!」
「まあ、素晴らしいですわ、ライナス様!」
「良いアイディアよ、ライナス。それなら絶対喜ばれるわ!」
クローディアとエリザベスは二人してライナスの決意をほめたたえた。今夜アシュトン家で繰り広げられるであろう修羅場については、あえて考えないことにした。
「そうか。ありがとうライナス、エリザベス嬢も情報提供してくれて助かった。それからリッケンバルトの皇太后についてもなんとかなると思う。前にリッケンバルト出身の貴族と交流した際、『うちの皇太后様は大変な猫好きなんです』と言っていた記憶がある」
「まあ、それなら王妃様にお任せすれば大丈夫ですわね」
クローディアの言葉に、ユージィンは「ああ、きっと意気投合できるだろう」と苦笑した。
離宮で飼われていた十五匹の猫たちはすでに王宮の一角に作られた猫用エリアへの引っ越しを済ませており、新たな縄張りにもすっかり馴染んだ様子である。十五匹の中にはふさふさの長毛種からすらりとした短毛種、甘えん坊でフレンドリーな猫から人の手を拒む孤高の猫、遊ぶのが大好きなやんちゃ坊主からぬいぐるみのように寝てばかりの猫まであらゆるタイプがそろっており、猫同士がじゃれ合ったり、毛繕いしあったり、くっついて眠ったりしているのを眺めているだけでも時のたつのを忘れるほどだ。猫好きならきっと滞在を楽しめることだろう。
「あとはポリスターの第一王子だな」
「あの、そのことなのですが、前にイアン様からあの方はアーティファクトがお好きだとうかがったことがあります」
ルーシーがおずおずと口を挟んだ。
「そういえばトラヴィニオンはポリスターの国境と接していましたわね」
クローディアが言うと、ルーシーは「はい。あそこの第一王子殿下は何度か非公式でトラヴィニオンに遊びに来ているそうです」とうなずいた。
「あの方は珍しいアーティファクトに目がなくて、滞在中はずっとトラヴィニオン家の所有するアーティファクトを試すのに夢中だったそうです」
「ありがとうルーシー嬢、王家の所有するアーティファクトで、接待に使って良いものを探してみるよ」
「ユージィン殿下、アーティファクトならブラッドレー家もひとつ所有しておりますから、滞在中の接待にお使いくださいませ。それにもうひとつ、我が領内には認識阻害のアーティファクトもありますわ!」
「え、まさか占星術師のあれを召し上げるつもりかよ。悪徳領主そのものだぞ」
「人聞きが悪いわね、終わったらちゃんと返すわよ! 納税なしで領地に住ませてあげてるんだもの、それくらいやってくれても罰は当たらないわ」
「ユージィン殿下、ラフロイ侯爵に宮廷魔術師団の所有するアーティファクトも提供できないか、私から頼んでみましょうか」
「そうしてもらえると助かる。王家から要請するより、君から言ってもらった方が角が立たないだろう」
そんなわけで、お茶会は当初の予定とは違った形で盛り上がった。エイルズワース祭を力を合わせて乗り越えようと誓い合ったのち、クローディアはラフロイ侯爵に会うために魔術塔に赴いた。
しかしながらあいにくなことに、ラフロイ侯爵はすでに帰宅していた。日中はほとんど魔術塔に詰めて居るワーカーホリックだと聞いていたので意外だったが、ここ数日は早く帰宅することが多いらしい。
明日出直すべきかと思案していると、魔術師の一人が「これから報告書を届けに侯爵邸に行くので、よろしければご一緒しませんか」と提案してくれたので、ありがたく便乗させてもらうことにした。
道中に聞いた話によれば、宮廷魔術師団の者たちもクローディアが王妃になることついて概ね好意的であるらしい。エリート職を王族としての仕事と掛け持ちすることについて反感があるのではと懸念していたのでほっとした。「王妃様になられた暁には、もう少しお給料を上げていただけると助かります」と言われたときには、「前向きに検討しますわ」と淑女の笑みで受け流した。
そんな他愛もないやり取りを続けているうちに、馬車はラフロイ邸に到着した。
侯爵邸は前庭に木々が鬱蒼と生い茂っており、どことなく陰鬱な雰囲気だ。ラフロイ侯爵は近年客をもてなすこともなく、自宅はほとんど寝るための場所と化しているため、使用人も最低限しか置いていないらしい。
なんだか幽霊でも出そうな雰囲気だな、と思いつつ館を眺めていると、ふと三階のバルコニーに佇む男に気が付いた。
長身痩躯。ぼさぼさの髪に覆われているため顔は良く見えないが、鼻筋や口元は整っている。お仕着せではなくゆったりしたガウンを羽織っているところを見ると、使用人ではないようだが――。
(あれ、この人どこかで見たような……)
クローディアに気付いたのか、男性はまるで人目を避けるように、ふいと中へと引っ込んだ。
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