101 王妃教育と肖像画
翌日から早速クローディアの王妃教育が始まった。采配を振るったのはかつて「完璧な淑女」と称えられていたヴェロニカ王妃その人だ。学習内容はクローディアが予想していた共通語の会話や来賓の文化や歴史についての知識もあったが、それ以上に優先されたのはエイルズワース王家についての理解である。
王妃曰く「エイルズワース祭はアスラン王の偉業を祝うお祭りだから、来賓の方々はアスラン王に始まるエイルズワース王家について話を振って下さるはずよ。準王族としてはそれに対してよどみなく受け答えできることがなによりも大切なの。婚約して日の浅いクローディアさんが他国について詳しくなくてもある程度大目に見てもらえるけど、母国について無知なのは『論外』扱いされるのよ」とのことだった。
特に重要なのはエイルズワースの王族と各国との関わりで、例えばエイルズワースから各国に輿入れして行った王女、各国からエイルズワースに輿入れしてきた王妃、エイルズワースの歴代国王とその兄弟姉妹が各国と行った共同事業、起こした紛争、結んだ協定といったものが双方の国にどのような影響をもたらし、どういった評価を受けているかをきちんと把握したうえで、各国の代表団の前でどの話題を出すべきか、絶対に触れてはならないのはどの話題かを理解するのが肝要だという。
クローディアも歴代国王の名前と基本的な業績くらいは覚えているが、国王とその妻、兄弟姉妹それぞれの諸外国との関りについては初耳なことばかりであり、勉強を始めた当初は戸惑うことが多かった。しかし教師役を買って出てくれたヴェロニカ王妃が自らの経験を踏まえつつ、一つ一つ分かりやすく説明してくれため、なんとかついていくことができた。
「――お疲れ様、今日はここまでにしておきましょう」
すでに日もとっぷり暮れたころ、ヴェロニカ王妃が微笑みながら本を閉じた。
「はい。今日はありがとうございました。王妃様」
「いいえ、よく頑張ったわね。かなり急ぎ足でやってしまったから、クローディアさんも大変だったでしょう」
「ええ、正直言ってついていくのがやっとでした。ですが王妃様のご説明がとても分かりやすくて助かりましたわ。それに肖像画を見ながらだと、とても覚えやすかったですし」
そう言いながら、クローディアは周囲を見回した。二人のいる場所は王宮の一角にある絵画室であり、サロンではなくここを学習場所に定めたのはヴェロニカ王妃の発案だ。
「王族には似たような名前が多いから、文字だけだと混乱してしまうものね。私も王妃教育を受けた当初は、『マクシミリアンだけで何人いるのよ!』って苛立ったものだけど、各人の顔を見ながらだとすんなり覚えられることに気付いたの。お役に立てて良かったわ」
そう言ってころころと笑うヴェロニカ王妃は、未来の姑というより年の離れた姉か学院の先輩のような気安さがある。十三年の幽閉生活が、良くも悪くも彼女の時を止めていたのかもしれない。
「それに、いずれこの中に自分の肖像画も加わると思うと、少しテンションが上がらない?」
「ああ、それは確かに上がりますわね」
クローディアは笑顔で答えてから、ふと思いついて「――そういえば、王妃様の肖像画もここにあるんですよね?」と問いかけた。
「ええ、こちらよ。いらっしゃい」
案内された先は比較的最近の絵画が展示されている場所で、現国王マクシミリアンや側妃アンジェラと共にヴェロニカ王妃が描かれた作品も数点飾られていた。一人で描かれたものと国王マクシミリアンと並んでいるもの、そして――。
「あれは王妃様の代の生徒会ですか?」
クローディアが制服姿の男女が描かれた絵画を示すと、王妃は「ええ、そうよ」とうなずいた。
「陛下が輝かしい学院生活の思い出に、と言って描かせたものよ。手前の中央にいるのが生徒会長のマクシミリアン陛下、当時はまだ王太子殿下だったわね。右隣にいるのが副会長の私、そして左隣がアンジェラさんよ。彼女はもともと臨時の手伝いとして呼ばれたのだけど、陛下に気に入られて、そのまま二人目の庶務のような立ち位置になったの」
若き日の国王マクシミリアンはユージィンに似ているが、やはりユージィンの方が断然格好いい、というのがクローディアの率直な感想だ。ヴェロニカ王妃は彫刻のように整った怜悧な美貌の令嬢で、男子生徒より女子生徒から憧れの目で見られるタイプ。側妃アンジェラは娘のリリアナに瓜二つだが、リリアナがいかにも元気いっぱいの溌溂とした美少女であるのに対し、アンジェラは可憐で儚げで、どこか守ってあげたくなるような雰囲気がある。
国王の真後ろに立っている男子生徒はおそらく失脚した前宰相のアーノルド・クレイトンだろう。その左隣にいる生真面目そうな女生徒は現学院長のケイト・エニスモアに違いない。察するに、彼女が親友のアンジェラを生徒会に引き入れたのだろう。
そしてもう一人、ヴェロニカ王妃の後ろに見知らぬ美青年が立っているのが目に留まった。このメンバーに加わっているからには相応の身分の持ち主だろうが、高位貴族の中でそれらしき人物を見かけた記憶がない。
「あの、王妃様の後ろにいらっしゃるのはどなたですか?」
クローディアが尋ねると、「会計のエドガー・ラフロイ、魔術師団長のご子息よ」との返事。
「この方が、ラフロイ侯爵の……」
では、この男性が若くして亡くなったというラフロイ侯爵の一人息子か。言われてみればどことなく侯爵に似ているような気がしないでもない。
「とても優秀な方で、次期魔術師団長になることを期待されていたのよ」
王妃はしんみりした口調で言った。
「でも亡くなってしまわれたのですよね……。どうして亡くなられたのか、うかがってもよろしいでしょうか」
「……闇の森で魔獣にやられたと聞いているわ」
答える前にほんの一瞬ためらいがあったように感じるのは気のせいだろうか。
「――そういえば、貴方はラフロイ侯爵と親しいそうね」
王妃は話題を切り替えるように「この前彼と話したとき、貴方のことをとても優秀な魔術師だから期待していると褒めていたわよ」と言葉を続けた。
「まあ、光栄に存じますわ。私もあの方のことはとても尊敬しております」
「そうね、私も信頼のおける人だと思うわ。それで、そのラフロイ侯爵から聞いたのだけど、貴方は邪神の依り代となる三つ目の条件に興味があるというのは本当かしら」
「はい。侯爵様からは正式に宮廷魔術師団入りするか、王太子妃になるまで教えられないと言われていますが、私はできるだけ早くに知ることを願っています」
「なぜそんなことが知りたいの?」
「邪神が恐ろしいからです。リリアナ殿下に関する予言についてはお聞き及びかと存じます。あの予言を現実にしないためにも、条件を把握しておきたいのです」
「確かにそういう占いはあったけど……」
ヴェロニカ王妃が戸惑ったように言うのも無理はない。この世界における占いは前世と同様に「当たるも八卦、当たらぬも八卦。振り回されるのもほどほどに」といった扱いだ。たまに側妃アンジェラのようにのめり込む人間はいるにせよ、大抵の人間はそこまで深刻に考えることなくやり過ごす。
クローディアがあれを看過できないのは、たまたま前世の記憶があるがゆえに、占星術師の予言の力が本物であることを知っているからである。
「ただの占いかもしれません。だけどそうではないかも知れません。仮に予言が事実だとしたら、邪神復活によって国民に大きな被害が出るでしょうし、ユージィン様も王族として最前線で戦うことになります。私はユージィン様の婚約者として、未来の王妃として、大切な方と国民を危険に晒さないために、できるだけのことをしておきたいのです」
クローディアは明瞭な口調で言い切った。
王妃はしばらくの間無言でクローディアを見つめていたが、やがてふわりと微笑んだ。
「……分かったわ。それじゃエイルズワース祭が無事に終わったら貴方に三つ目の条件を教えるように、ラフロイ侯爵に伝えておくわ」
「え、それは本当ですか?」
「ええ、正式に王太子妃となるまでは教えないのは、婚約ならば解消される懸念があるからだけど、貴方たちはそんなことにはならないと信じるわ。ラフロイ侯爵はあの通り厳格な人だけど、『エイルズワース祭で未来の王妃として国際的にお披露目したあとで解消になるとは考えづらい』と言って説得すれば、きっと納得するはずよ」
ヴェロニカ王妃は「だから全てはエイルズワース祭が成功裏に終わってからよ。一緒に頑張りましょうね」と言葉を続けた。
「はい! ありがとうございます、王妃様」
クローディアは心からの礼を述べた。
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