第33話 祈り
月明かりに照らされて私は目を覚ます。
夜だ、星空が目の前に広がっている。冷たい床を背中に感じながらこの世で一人ぼっちなのではないかと感じるほどの広大な空を寝ながら見上げている。
吹き荒ぶ風、周りを見渡すとどうやらどこかのビルの屋上のようだ。
廃ビルだ、そういえば、ジンドーとあったのもこんなビルだっけ、どこか懐かしい。
そんな、感傷的な気持ちになった私に、話しかける声が一つ。
「目が覚めたか」
上体を起こす。この声はクレナイ様だ、学校の夏服に袖を通した明田さんの体を乗っ取ってニコニコと笑う彼女は、どうにも慣れない。
怖くないといえば嘘になる。だがこの状況どうやら私の予想は当たっていようだ。
「やっぱり、すぐには食べられないんだ貴女」
「気付いていたか、小賢しい」
クレナイ様はククッ、声を出して笑う。
「もし貴女が契約に従わなければならないのなら、多分貴女は私を病気にしてじわじわと殺さなきゃいけない」
「当たりだ」
やっぱり。約束を妙に遵守している彼女は、恐らくそうしなければ食べれないのだろう。
そもそも、約束を守れ、と言い出したのは彼女だったのだ。
多分、その約束に思った以上に縛られているのはクレナイ様も同じだ。
「全く、勘がよくて困るな、確かに直ぐには食えん、契約上な……だが……準備は整った」
クレナイ様はニタリと笑った。
「苦しめ」
ズキリ、と体が疼く、そして次の瞬間、私の頭が割れるように痛む。
来た。
この感覚、覚えが有る、小学生の時の病気と同じだ。だめだ動けない。
気分も悪い、気持ち悪い、また死にそうだ。
「あ……く……う!!」
また、冷たいビルの屋上の床に頭をつける。また星空が見えた。
死にたいほどに辛く苦しい今度は独りでこれらの痛みを受け止めなければならない。
だが不思議と、寂しくはなかった。
「ジンドー……」
私は思わず呟いた。その呟きにクレナイ様はニヤリと笑う。
「あの奈落の悪魔のことか?」
愉快そうに、そしてバカにするように言った。
「くふっ……! アイツなら来ない、既に配下のものをけし
かけた。今頃死んでいるだろうな」
私は黙って空を見る。星空が綺麗だ、ここはどこなのだろうここまで星が見えるのは珍しい。
「おい、聞いているのか? ジンドーは来ない、お前は独りで死ぬ」
クレナイ様の言葉に私は耳を傾ける。それが本当なら、確かに寂しいだろう。
でも私には確信があった。
それは不確かで、根拠のないものだったがでも信じられたのだ。
だから私は言った。
「ジンドーは来る絶対に」
「く、ははははは!!」
彼女は笑う、ひどく笑う。
「信頼というやつか? 本当に面白いな貴様は!!」
クレナイ様は笑うが、それでも、私は信じる。貴方が来ることを。
痛みが激しくなってくる。私を死に至らしめる、その痛みは死にたいほど苦しい。
でも、死にたくない。
もっと生きていたい。私は……。
「面倒だな、出力を上げるか」
そう呟いたクレナイ様は、口から黒い煙を出した。
明田さんの口から出た黒い煙は、脈動する心臓のように蠢きやがて固形の肉の塊となった。
その肉の塊は瞬時に人の形をとり、そして、少女の姿となった、赤い着物のあの少女に。
陶器のような白い肌に黒い髪、無機質な表情。あの時の彼女だ。
「ふむ、やはりこの姿の方が力が出せる」
そう言いながら、クレナイ様は私に手を向ける、すると──。
「……うっく! ああ!!」
痛みが数倍に引き上げれた。痛みは全身に周り、どうしようもないほどに、頭が回らない。
「全く面倒な契約だ、このように呪い殺すことでしか人を食えないのだから」
痛い、痛い。もがき暴れてもさせても痛みはどこにも逃げてはくれない。
だめだ、体中が裂けてしまいそうだ。
「いいぞ、半日も待つか見ものだな」
「ジンドー……!」
私は彼の名を呼ぶ。しかしそれがクレナイ様の琴線に触れたのかまた嘲笑がビルの屋上で木霊した。
「だから来ないと言っているだろう! 奴は既に私の配下に殺されているのだからな!」
それでも、私はジンドーを思い続ける。
くる、きっと彼は来るはずだ。
私はそう思いながら痛みの中で、意識を保ち続ける。
でもそろそろ限界だ、視界が薄れる。思考が回らない。
だから意識が途切れるその前に空に向かって私は祈った。
──助けてジンドー……!
その時だった。空に、オーロラのような光がまるで、水に垂らした絵の具のように広がった。
「なに……まさか……!?」
クレナイ様の怪訝そうな声がする。それで確信できた、ああ来てくれたんだ。
その水彩絵の具のように広がったオーロラの光の中心から、星空の羽を羽ばたかせ彼は来た。
ジンドーだ。
「ヒナタさん!」
「ジンドー!」
ジンドーは愛刀を右手に持ち空から降下しながらクレナイ様を斬りつけた。
クレナイ様もそれを察知し、咄嗟に避ける。ジンドーの剣はビルの屋上の床に当たり、煙を巻き上げた。
そしてジンドーはそのまま、私の近くに着地する。
「お待たせヒナタさん」
背を向けながら発せられた彼の言葉に、私は痛みを一瞬だけ、忘れて言った。
「ありがとう……待ってた」




