71 1月26日 毛利元康三の陣 巳の刻下(午前11時ごろ)
満を持して雲梯の上からパラパラと銃撃が始まる。前後の支えが有るものの、初めての経験なので皆おっかなびっくりだ。お陰で射撃が一時に集中せず、雲梯の動揺も少なくて済んでいる。
「どうだ武蔵、上手く当てられそうか?」
「櫓の上の連中はそりゃ当たるわい。こねーな距離なら外す方が難しいでー。ハシゴの連中は、まあ、そこそこじゃな。やっぱちいとふらついとる。」
それなりに当たっているならそれで良い。どうせ30や40の射線では一度に殲滅などできぬ。確実に出血を強いる事が肝心だからな。
「武蔵自身はどうだ。めぼしい獲物は仕留めたか?」
「いま………」
ズン………と武蔵の大鉄砲の発砲音が轟く。
「三人めの騎乗士を撃ち抜いた。だが、相手も気かついて馬から降りだしたでー。まあ………まだ馬の手綱握っとるけぇ………まるわかりだがな………」
言いながら再装填して、ズン………と再び発砲音が響く。膂力があるのであの重い大鉄砲を軽々と扱っている。器用な奴だ。俺(三成)では無理だな。
「敵の様子はどうだ?目立った動きは無いか?」
「特に変化は無えな。しつこう槍合わせを続けとる。だが、銃撃で倒れる者が出るけぇ補充が忙しそうじゃぞ。」
下の連中からは雲梯が見えないしな。目立った被害では無いので余計に気が付きにくいか。千人も落伍する頃には流石に気が付くだろうが。一時や半時はこのまま射撃できそうだな。
………
………
だらだらとした攻防が半時も続いた頃、漸く少し変化が出始める。一方的に撃たれているのが伝わったようで、下から曲射での弓矢が飛び始める。見えていない腰だめの射撃なので殆どは明後日の場所に着弾しているが、稀に雲梯の上にも降ってくる。だが、ふらふらと降ってくる程度の矢では陣笠で受け止められるだけで被害は無い。此処までは予想通りだ。
「撃たれている事にやっと気がついたようだな。武蔵の所から何か敵の動きが見て取れるか?」
「ああ。なにか、バタバタと慌てとるようでー。人の出入りは激しいが、何か対策が………」
ズン………
「有る感じじゃねえな。後方からの指示を待っとるのじゃろうが、まだ指示が無えらしい。口論しとる奴もおりなんな。それに、わしだけでも、もう、十人以上は物頭を撃ち抜いた。最前線の維持が混乱し始みょーるようじゃ。」
兵はいくらでも補充できようが、下士官には限りが有るからな。だから旧ドイツ軍では戦前に下士官だけを大量養成しておいて開戦後兵だけ徴兵する事で短期間に大軍を編成した。逆に言えば、兵がいくら居ようが下士官が底を尽けば軍は編成できなくなる。もうすぐ押し返す事も可能な頃合いだが、どれだけ我慢出来るだろうか………お味方が………だが。
「味方の部隊に動きは有るか?」
「なに?味方にか?………特に無えでー。今まで通り、ただ槍襖に穴が空かんように順繰りに兵を入れ替えとるだけでえ、特に変わった動きは無えでー。」
元康殿は味方の手綱をしっかり引き締めて中途半端に反撃しないようにキッチリ抑えてくれているようだ。今頃は現場の将から『いまこそ押し出しましょうぞ………』と矢の催促だろうに。あえて此処で押し出さず、『毛利元康は愚鈍な将………』と云う刷り込みを上書きして東軍にさらなる出血を強いる策だが、俺は流石に言い出せなかった。なにも言わずとも良くぞ察してくれたものよ。となると、追い詰められた東軍の出来る手段は………
「うわっ。おいおい、ジブよ、敵の奴らとうとう狂うたでー。兵の入れ替え放棄して無茶苦茶突っ込んで来ようとしとる。倒れた兵を踏み越えて、めーの兵がまだおる後ろから無理やり押し出してくるでー。」
やはりな。損害無視の力押し。最早それしか前線を押す手段は無い。だが………
「よし、武蔵も最前線で足が上がっていない敵兵を撃つように、的を変更してくれ。他の大鉄砲にも同様に伝令だ!」
「おう。わかった。今からは身分に関係のう元気な強い兵を狙うて撃ちゃあええんじゃな。儂はこのほうが好きじゃ!」
ズン………ズン………ズン………
彼方此方の櫓から今までは狙われていなかった最前線の敵兵が狙い撃ちされ、敵の出足が挫かれる。倒れた敵兵がほぼ同じ場所に積み上がるため、さながら盛り土の如く積み上がりそれ自体が敵兵の前進を阻んでしまう。勿論、通常の小銃も目についた兵を狙い撃ちするため一時は出足が付きかけた東軍もすぐに勢いが止まる。
よし、ちゃんと抑えられたな………此処からは微妙だな。元康殿はどうするだろうか………押し出すか?
「あれ?おい、ジブ、乱れてもおらんのに、味方の槍襖に隙間ができとるぞ?隙間いうか、一部凹んどるというか?なんじゃ、アレは?」
なんと!元康殿は此処で誘いの隙を造って、挫けた敵の士気を中途半端に引き上げさせて誘い込み、徹底的に打ちのめす腹のようだ………。毛利は守戦に強いと聞くが、島津殿とは全く違う強さだな………。嫌らしい程の粘着質だ。
武蔵が続けて状況を連絡してくる。誘い込まれているとも知らず、頭に血が上っている最前線の敵部隊でまだ闘志のある幾つかの部隊が再び突撃を再開、其れに吊られて足が止まっていた多くの敵兵も重い足を引きずって前に出ようと動き出す。が、先の本格的な突撃で突破しきれなかった堅陣が押せる筈も無く、より前に出ようとする力のある者から次々と撃ち抜かれ、槍に掛けられ倒れゆく底なし沼………
-まるで203高地の再現だ-
あの時の乃木大将も大量に兵を死なせて軍神扱いにされていた。家康の武名もその類か。敵にしろ味方にしろ沢山死なせた者が軍神だの英雄だのに祭り上げられる。愚かなことだ。
幾度か誘いの隙を造っては打ち取りを繰り返すうちに、ついに誘っても敵が出てこれなくなる。愈々満を持しての反撃だ。
ブオ~ブオ~ブオ~
戦場に法螺貝の音が鳴り響く。総攻めの合図だ。今まで敵兵を支えていた最前線の槍隊が道を空け、その隙間から次々と騎馬隊の突撃が始まる。毛利元康は勿論、中島氏種、平塚為広、さらに遊撃の立花宗茂、本陣から来た島津豊久の姿も見える。それぞれの騎馬隊に後続して弓・足軽隊も突入する。すでに足が挙がって止まってしまった敵兵に抗う術はないだろう。俺も味方の突撃した後から空堀の際まで前にでて戦況を見る。
「こりゃあ決まったな、ジブ。」
櫓から降りてきた武蔵も追いついてきた。
「貴様も突撃したかろう。此処は構わんぞ。」
「儂はええわ。もう十分に撃ったけぇな。それに今から行っても碌な獲物ものこっとらんじゃろうし。」
それもそうか。気がつけば降りしきる雨もいつの間にか上がっている。
狭い戦場を設定しその中央に主力を集中して中央突破を図った東軍だが、その中央を逆に突破されつつある。陣形はすでに四分五裂、組織だった抵抗は無く、各部隊が散発的に踏みとどまっているが目敏く見つけた味方部隊に瞬く間に包囲されて虱潰しに制圧されてゆく。完全な追撃戦に入っている。
「………半減………と云った所か。」
いつの間に着いたのか、湯浅五助を伴った大谷吉継も来ていた。
「此れでも半減止まりなのか………。紀之介。」
「大軍とはそう云う物だ。主将に闘志が残っている限り、残兵を糾合して再編するだろう。それに………佐吉としても敗残兵が無闇に拡散してしまうよりも一塊で居たほうが都合が良かろう?」
「………まあな………これで刀槍を使った戦は当分は無くなるだろう。」
「………無くなって欲しいものだ。」
大谷吉継の見えぬ目にも殲滅されゆく東軍の雑兵の姿が明瞭に写っているようだった。




