70 1月26日 毛利元康三の陣 巳の刻(午前10時ごろ)
数日持ち堪えた二の陣、まだ暫く保ちそうだが敢えて放棄しようと撤退の段取りが進んでいる。三の陣は勿論、新たに構築していた雲梯改とも云うべき構造物が出来上がって居る上、若干風雨が落ち着いてきている為だ。完全に風雨が収まると敵が撤退しかねない。俺(三成)はそれでも十分なのだが、現場で戦っている将兵にすれば勝ち逃げされたようで不満が残る。小牧長久手の役のように名目上だけでも勝利と言われる隙は与えないほうが良いと軍議で決したため、早めに敵を引きずり込む事になった。
「治部殿。絵図をみてさほど難しい造りではないとは思いましたが、案外単純に造れましたな。」
「元康殿の言われる通り。実際に造ればあっという間ですな。それだけに、東軍が先に思いつかなくてよかった。これだけ単純だと、槍合わせの後ろで造り出しても間に合ってしまう。」
眼の前にある構造物は実に単純だ。盆踊りで造るような人の背より高い櫓が七基。その間を繋いだ長くて厳つい太いハシゴ。各ハシゴの中間にハシゴを支える垂直に立てられた丸太柱と前後の動揺を抑えるための斜めの丸太柱が固定されている。たったそれだけだ。
「単純ですがこれは効きますぞ、治部殿。兵達の後上方に銃列を敷かれて撃ちまくられては槍合わせしている敵兵は溜まった物では御座らぬ。普通はこういった物は火矢で焼き払うものだが、雨で水をたっぷり吸い込んだ生木はなかなか燃えぬ。それこそ遠方からカルバリン砲ででも撃ち抜かねば対処出来ぬ。」
「然り。雲梯の下は普通に行き来出来るので槍合わせしている兵の入れ替えも問題無く行なえます。此方からは空堀を上がって来た敵の槍兵や指揮官が丸見えですが、空堀の底付近にいる敵の銃兵や弓兵からは角度が悪くて我らの銃兵は見えませぬ。雨で銃の発射速度は三割程度まで下がるでしょうが、こそこそ狙撃するのと違って敵兵全体の士気まで挫けますぞ。」
「銃兵の展開が面倒かと思いましたが、何も保たずに兵だけ上げて、後で下から銃と弾薬を釣り上げれば、兵達は普通にハシゴを上がるだけと同じ。間違って落ちた所で人の背丈より僅かに高いだけなので、大怪我と云う事もない。此れはこれからの戦を変えましょうかな。」
「いや元康殿………。此れが物を言うのはたぶん、この戦の一回きりで御座る。次の大戦ではどの部隊にも普通に大筒が行き渡っておるでしょう。鉄砲が急速に普及したように。」
「だれもが大筒を装備した戦で御座るか。考えただけでも恐ろしい事ですな。」
「全く。そうなれば兵は今までの二倍………いや、三倍以上死にますな。」
「戦に必要な銭も三倍………とても大戦など馬鹿馬鹿しくて出来ませぬぞ。」
頷いて
「此の戦が終われば次は外国。押し寄せる南蛮などとの戦になりましょう。そうなれば日ノ本の国対南蛮の国の戦。規模がまるで違ってくるので馬鹿馬鹿しい戦も出来てしまう………此方から攻め込む事は無いにしても。」
「やれやれ………それが人の業と云うものでしょうな………。おっと、こんな抹香臭い言い草は恵瓊殿に任せておくとして、我らは目の前の戦に努めましょうぞ。」
言い置いて毛利元康が最前線に戻ってゆく。雲梯改はまだ兵を上げていない。槍合わせが始まってから上げないと察知される恐れもある。九仞の功を一簣に虧くとも云うしな。最後の最後、詰め切るまでは気を抜けぬ。
「荷物を引き上げるザルや綱は行き渡っているか、火薬は油紙で個別に包んで濡らすでないぞ。」
雲梯改の運用は俺(三成)に任されているため現場の小頭達に改めて細かな注意をしておく。
「ジブ、儂も準備できたでー。」
武蔵はこの話を聞いてから鉄砲を練習している。自分も撃ちたいそうだ。あれだけ刀槍の腕があれば十分と思うのだが、武蔵なりに未来を見据えているのだろう。これからの時代は銃砲の戦と。俺(三成)から見れば、武蔵は寧ろその自由な発想を活かして参謀や情報部門に活路があるようにも思えるのだが、あくまで基本は現場と云う事のようだ。
「うむ。何もお前が自ら撃つ必要も無いとは思ったが、これも経験だ。現場を知っておく事は必要だろう。お前が狙う相手は判っているな。」
体格が大きく膂力がしっかりしている武蔵なので、彼には大鉄砲を練習させた。大鉄砲なら中級指揮官の頑丈な鎧も貫通できる。
「判っとる。要は、偉そうにしとる奴、高そうな甲冑を着とる奴を狙やあええんじゃろう。それもできりゃあ騎乗しとる奴。」
陣地戦になっている現在、騎乗する意味は殆どない。だが未だに高級指揮官は騎乗するもの………と云う伝統が、特に東国では強い。或る意味で文化でもあるため、なかなかこの風潮は抜けない。そこを利用する。
「その通りだ、武蔵は此処で大功を挙げろ。貴様にはもっと上の地位を与えて、どのように未来が変わるか見てみたいからな。」
「儂(武蔵)が未来を変えるのか?そりゃ大変だっ、はっはっはっ。」
武蔵本人は自分がどれだけイレギュラーな存在か判っていないので冗談と取ったようだが、俺(三成)は割りと本気だ。関ケ原から続くこの一連の戦で歴史を大きく変える。今までは史実に名の残る人物しか活用出来ていなかった。だが、武蔵は文化人としては有名だが、政治面での名は残していない。武蔵を大名クラスまで引き上げる事が叶えば、あるいは………
「ジブ、二の陣の引き上げも終わったようで、敵が押し出して来るでー。」
今は考え事をしている時ではないな。俺(三成)も戦に集中せねば。
「そうか。銃手は皆揃っているか、自分の持ち場は判っているな。一つのハシゴには五人だ。そして櫓ごとに一人だ、間違えるな。号令があれば、順番に落ち着いて登るのだ。慌てずとも数日は膠着させられる砦だ。敵から撃ってくる事は殆ど無かろうが、パラパラと矢が降ってくる程度は有るかもしれぬ。陣笠は忘れるな。」
「応!」
長らく出番がなかった鉄砲足軽や傭兵達に活気が戻っている。今まではただ食って寝て、少し調練していただけだったからな。本格的に撃てるのは嬉しかろう。やはり士気を維持するには、適切な働き場も必要だ。
「ジブ、此処の陣も槍合わせが始まったでー!」
「よし、鉄砲隊は雲梯に上がれ。落ち着いてハシゴを渡り、尻を置く板を置いて腰掛けろ!」
兵達が順番に櫓に登り雲梯を伝って一枡空けては板を置いて腰掛けてゆく。板の下面には下駄のような突起が付けてあるので座ってしまえば板がぶれる事は無い。先に尻の落ち着いた中央付近の兵の一部が既に鉄砲や弾薬を釣り上げ始めている。
「皆が落ち着くまで、まだ撃つなよ。後ろに支えは有るが、一斉に撃つと結構反動が出るだろうから、皆が一度に打たぬように、最初は指示の後で右端から順番に撃つのだ。反動の具合を確かめて、問題なさそうであれば各自自由に撃って良いからなっ!」
こういう場面も有るのでいずれ原始的な無反動砲も考えたほうが良いかも知れぬ………。武蔵は………ちゃんと中央の櫓、最後に上がっているな。奴の大鉄砲は特に反動が大きい。櫓からでないと雲梯がかなりぐらつく事も有り得るからな………。
七基の櫓に一人づつ計七人、櫓を繋ぐハシゴ六箇所に五人づつで三十人、総計三十七人の銃列が出来上がる。たった三十七人だが、槍合わせしている接敵面も横の広がりが乏しいので此れで十分だ。槍合わせでは派手に槍がぶつかるものの、兵に当たる槍は殆どない。崩れるのは兵の体力が尽きて槍が振れなくなった時だが、敵味方共に早めに兵を入れ替えているため前線は膠着する。だが鉄砲は別だ。当たれば確実に兵を戦闘不能にする。櫓から槍合わせの現場までは50m程しかない。有効射程100m前後の普通の鉄砲でもほぼ必中距離。大鉄砲であれば多少の重装甲でも貫通してしまうだろう。
「ジブ、皆配置についたようでー。」
「よ~し! うち~かた~はじ~め~!」




