65 12月23日 忍城北東 忍川北東岸 巳の刻(午前10時ごろ)
「………これは仕掛ける必要すら無いな………」
俺は今、忍城の少し北東、忍川が南に曲がるちょっと西側で陣を張っている中島勢に間借りしている。当初二千ほどの手勢だった中島勢も各地で帰順してきた雑多な兵を吸収再編成して六千に増員された。本格的な合戦に参戦するには心もとない練度だが小戦を繰り返すここ数日でかなり練度も上がっている。なにせ何もせずとも徳川勢からちょっかいを出してきている。わざわざ物見を捕捉する迄もなく、簡単に小戦が出来ている。
「治部殿。内府はいったいどういう腹なのでしょうなぁ。連日しきりにあたり構わず挑発してきて居りますが、我らが本格的な陣城造りを始めているのは見えて居るでしょうに?陣城が出来るまでは挑発した処で無駄な事ぐらい判りそうなもので御座るが。」
「内府も苦しいので御座る。恐らく、市松(福島正則)が我らの予想以上に軍用米を焼いたのでしょう。二十万石は残っていると思っていましたが、案外十万石も残っていないのかも知れませぬ。」
横で武蔵が ”も?” とか呟いているが無視する。
「成程。今でも内府は十万からの軍勢。備蓄米が十万石を切るとなると一年保ちませぬか。」
「元々内府自身で蓄えた米も有るでしょうから一年以上は保つでしょうが、相当に心細い状態なのでしょうな。我らのように、外国から買い付ける手立ても内府には有りませぬし。」
「すると………まさか治部殿!連日挑発してくる連中は、口減らしの捨て石にされている?!」
「十中八九はその通りかと。ご覧なされ、目の前の連中は寺沢勢の残党。処方で挑発してきている連中の何れもが領国を失って軍勢が瓦解した残党ばかり。挑発ぐらいにしか使えないというのも事実で御座るが、まあ、釣れれば儲けもの、釣れなくても口減らしにはなる、そう云う事では無かろうかと。」
「なんと酷薄な………」
「元々内府はそう云う御仁で御座る。この戦の当初から徳川勢自体はほとんど前線で戦って居らぬ。常に福島や池田、黒田や藤堂を前に出し己は高みの見物で御座る。岐阜城を福島や池田が攻めた時、内府はまだ江戸に居たのですぞ。」
「なっ!そうだったので御座るか。当然、浜松当たり迄出てきている筈とばかり考えて居りました。」
「まあ、内府にも言い分は有りましょう。今の徳川勢は昔のような連戦をこなせる練度とは程遠い。大戦での決戦はぜいぜい二回が限度。弾薬も二回も決戦すれば底を尽きましょうしな。」
「確かに、我らは機会があれば即座に鉄砲を撃ちまくっているのに徳川勢はめったに撃ってきませぬな。」
「火薬を買い占め徳川に売らせぬようにして既に三月以上、米よりもよほど火薬は乏しい筈………」
「うーん………ならば尚の事内府の思惑が判りませぬ。無駄に味方の兵を減らしてどうなると?口減らしにしても度が過ぎて居りましょうに。」
確かにおかしい。仕掛けたところで相手にされぬのは判り切っている。口減らしなら他に方法も有るだろう。にも係わらずだらだらと無駄に手を出してきている………
「………うん。判らぬので、判りそうな者に聞きに行きましょう。」
「?」
「紀之介(大谷吉継)の陣へ行きますぞ。」
………
………
「紀之介、邪魔するぞ。」
「その声は治部か。中島殿と、もう一人?」
「武蔵と言う。儂(三成)の側付きをさせている。」
「貴様もやっと自分の身を案ずるように成ったか。」
「そう言う紀之介こそ、湯浅殿はどうされた。」
「当分は変事も無かろう故、数時でも休ませて居るだけだ。で、何用だ?」
「内府の思惑が判らぬので、教えろ。」
「ふむ。治部はどこまで判ったのだ?」
「此処数日纏わりついている敵は捨て石と云う事までだ。ただ、捨て石にしても諄い。何が狙いだ?」
「治部は今の徳川勢をどう見る?裏の思惑ではなく、現実眼の前の実態としてだ。」
「只々、だらだらと挑発しては無為に撃退されて居る。」
「うむ。ならば、内府は只々、だらだらとしたいと云う事だな。」
? 中島氏種と目を見合わせる。
「だらだらと………か………。」
「ああ。だらだらと………だ。」
「つまり……時間稼ぎか?時間稼ぎを悟られぬ為に藻掻いている振りをしている………そう言いたいのだな?」
「多分な。」
「時間稼ぎで何を待つ?援軍の宛は無いし………兵数で劣る内府だから、夜?では変だな。……雨かっ!」
「うむ。それも野分のような豪雨だろう。」
「豪雨になれば鉄砲は使いにくい。撃てぬ事も無いが不発も多くなり間隔も間延びする。それが内府の狙いか。」
「まだ有るぞ。豪雨ともなれば隣接する友軍の支援もかなり遅れる。隣が攻撃されていても気が付くのも遅れるからな。本陣でもどれだけの敵が何処に来ているのか判らぬので迂闊に援軍も出せぬ。」
「その状況で数万の兵を狙った一点にぶつければ………」
「陣城に籠もっているとは云え、結構な損害は出るだろうな。」
「いかぬ、すぐに惟新斎(島津義弘)殿にお知らせせねば!」
慌てて立ち上がる。
「落ち着け、治部。」
「何を呑気な!、紀之介は落ち着きすぎだ。」
「まだ野分は来ておらぬ。だから先ずは座れ。」
「むぅ………。」
「慌てて惟新斎殿に駆け込んで何を言う気なのだ?貴様、何も手は無かろう。それに惟新斎殿が雨天での奇襲程度考えて居らぬと思うか?」
「………確かにそうだった。」
「ふふ。治部もだいぶ変わったが戰場での勇はまだまだだな。我々は待ちの戦をしておるのだ。元々攻め掛かる時期や攻める場所を決めるのは内府任せだろう。それを判った上で陣城を築いて居る。それに、すでにある程度手当は終わっているであろうが。貴様の発案で、各陣皆、最低でも六千以上に再編されている。此方に極端に薄い隊は無くなって居る。六千も陣城に籠もっていればその三倍以上、二万程が全力で攻めねば落とせはせぬ。」
「………その通りだ………」
「そして、仮に陣の一つが落ちた処でそれがどうした。」
「?」
「敗兵は両隣の陣で収容されるだけだ。被害は実際の戦闘で受けた被害だけに留まるので、数日で再編成出来る。」
「そうか。追撃戦が無いので損害自体はさほどでも無いか………。」
「まあ、それも二万であれば………だがな。内府には十万の兵が有る。儂(大谷吉継)なら五万で攻めて二万か二万五千を牽制で他の場所に当てる。残り二~三万は戦後味方を収容するための本陣付きの予備だな。」
「五万………だと………」
「臆するな。五万だろうが六万だろうが、防衛戦の味方も敵の実数など把握出来ぬ。必死で防いでいれば二時程度は保つ。二時もあれば左右の援軍も来る。」
「それはそうだが、それで負ければかなりの被害が出るぞ。」
「勝とうが負けようが、双方かなり傷つく。もちろん、負けた場合は大きく傷つくが。だがそれだけだ。」
「?」
「内府が大戦を何回も出来ぬ事は貴様が読み解いたではないか。」
「あ………ぁぁ………」
「此方から決戦に応じて全力の大戦で負けぬ限り、我らは何度でも戦える。そうであろう?一隊や二隊が多少痛手を受けて、最悪しばらく戦線から下がった処でそれほど困りはせぬ。それで内府はあと一回しか決戦を仕掛けられぬし、野分もそうそう都合よくは起きぬ。それに………」
「それに?」
「内府がわざわざ六千規模の部隊を必死で襲わせるとも思えぬ。」
「………二回しか出来ぬ決戦の一回を使うからには、西方でもより有力な将を打ち取る必要が有る………そういう事か………。」
「うむ。まあ、島津殿や立花殿は避けられるだろう。あまりにも剛勇の名が轟きすぎている。流石に内府も首が取れるとは思うまい。逆に………本人を前にして言うのもどうかと思うが、中島殿や毛利吉政(後の毛利勝永)殿のような西方中枢でない将の陣も無視されよう。」
「ふむ。となると誰だ?」
「そこまでは判らぬ。内府は文禄・慶長の役に参戦しておらぬので、我が方の将の強弱に疎かろう。だからこそ、余計に誰が狙われるのかが読めぬのだ。」
「………つまり、儂(三成)が島津殿に兵を預けて居なければ………」
「流石に鈍感な貴様でも気が付いたか。そうだ、貴様が真っ先に狙われた事だろうな。その意味では貴様は既に関ケ原で内府の攻め手の一つを潰しているのだ。運も向いてきているのではないか?」
覆面の下で紀之介が笑ったように思えたのだった。




