62 12月20日 宇都宮城包囲陣 午〈うま〉の刻(午前12時ごろ)
「やはり危険すぎる。考え直せ治部少輔。」
山形城で不本意ながらも最上勢と講和して宇都宮の包囲に加わっている直江兼続が、もう3回めになる制止をしてくる。佐竹義重を初め、武闘派の諸将が治部少輔はこんな奴だったか?と意外感を漂わせながらも好意的なのと好対照だ。上杉景勝は俺(三成)の申し出に肯定的と受け取れるが重臣の兼続が先に発言するため、まだ何も言えずに黙っている。
………やはり兼続は本質的に文官、ここらが彼の限界か。武官のように常時命を的に戦いに望む気構えが出来ていないのだ………
埒が明かぬが、今一度丁寧に説得にかかる。
「山城(直江兼続)が俺の身を案じてくれているのは良く判っている。だが此処はこの大戦の一つの正念場なのだ。事此処に至った今、この宇都宮で結城秀康を打ち取るのはさほど困難では無いだろう。だが結城秀康を討ち取った場合、その後はどうなる?徳川勢は足軽に至るまで死兵と化すぞ。そうなれば関東全域を完全に平定するまで十年はかかるだろう。それだけの人望とカリスマ…(おっと…そんな言葉は無いな…)人を引き付ける力が結城秀康には有る。」
「それは治部少輔の云う通りだ。太閤様も可愛がって居られた結城秀康だからな。だが、それは治部が城に乗り込んで膝詰め談判する事の安全を担保する訳では無い。今更云う迄もなく結城秀康は猛将ぞ。彼が一切の交渉を切り捨てこの宇都宮城を枕に徳川の人柱になると決めていたなら何とする。一言も言えぬ侭に切り捨てられる可能性も大きいのだぞ。」
まあ、確かに兼続の云う事も一理有る。その恐れを減らす為に小太郎の配下に接触させたのだ。いきなり切り捨てられぬように、とにかく一旦は考えさせるように誘導しておいたのだが………兼続はその事前工作を知らぬからな………
「確かに有り得ぬ事ではない。そう成らぬように、この武蔵を同伴する。」
「?」
「武蔵は世に隠れし剛の者でな。見ての通りの若侍だが一刀で切り捨てられる事はあり得ぬ。」
「呆けたか、治部!それが何の足しになる。場所は未だ三千ほどの敵兵が詰めて居る城の中なのだぞ。一人の豪傑程度で四の五の出来るものか!」
「やれやれ。判らぬか、その死地で待ち構えるのは結城秀康だ。だからこの手が使えるのだ。結城秀康の性格を考えてみよ。打ち取るにしても必ずや自分の手で切り捨てるだろう。そこで豪傑武蔵の出番だ。結城秀康と2合3合と撃ち合えば武蔵の技量を即座に見抜く。そして何故この豪傑が儂(三成)などに従って死地に乗り込んできたのだ?と思い、話だけでも聴いてみるか………そう事は運ぶ………と俺は見ているのだがな。」
「安直すぎる。全部治部の妄想ではないか!現実がそんなに都合よく運ぶものかっ!」
「確かに妄想だがな。まあ、他にも種は撒いてある。ここは儂を信じて笑って送り出してくれぬか?山城よ。」
………兼続の言葉が切れる。まだ何か言葉を探しているようだが此処で助けが入った。
「与六(直江兼続)、儂(上杉景勝)が結城秀康殿の立場であったとしても、治部少輔が語った通り、話を聞くであろう………」
「! 殿っ !」
「与六よ。治部少輔は今や全軍が認める西方の要。故に二度まで家康の刺客が来る始末。与六の心配も判る。だが治部少輔が云う通り、此処は此の戦の切所の一つと儂も見る。故に治部少輔が勝負を賭けると言うて居るのだ。この交渉が奉行の治部少輔の戦場なのだ。黙って送り出してやろうではないか。治部少輔にもしもの事が有れば、後に残された我らが十年かかろうが二十年かかろうが、徳川の者共を悉く根切に致す。それで良かろう?」
「それは余りに!」「そんな無茶な…」
期せずして俺(三成)と兼続の声が被る。まあ声は被っても中身は異なっているだろうが………
「両名共に思い出して見よ。我が上杉は織田前右府信長に一寸刻みに攻め込まれたが、全軍死兵と化して抵抗し今に至ったではないか。双方策が敗れ尚、死力を尽くせし場合は死兵同士の削り合いよ。それを恐れていては戦など出来ぬ。だが此処には治部少輔の策が有る。ならば治部少輔の策の成就を願って我らはただ待つのみ。儂(上杉景勝)はそう思う。」
俺(三成)は黙って頭を下げる。成程、これが上杉景勝と云う男か。さればこそ、あれほどの劣勢でありながら連年織田勢に抵抗出来たのだろう。
手を握りしめ無念に震えていた兼続だが、主の結論を聞いては否やは無い。漸く平伏して許諾の意を示した。
………
………
西軍首脳の同意を得た俺(三成)と武蔵は直ちに使者として宇都宮城に乗り込む。武蔵の薙刀に「使」と大書した旗を括り付け堂々と歩を進める。この時期の宇都宮城は本丸周囲に砦兼用の多数の寺院を配置した比較的古い縄張りの城だが、3千程度が籠るには丁度良い大きさでもある。すでに外周の粗方の寺院構造物は破壊されており、事実上、残すは本丸のみの状態だ。
その本丸を囲む一層の水堀に近付くと威嚇射撃か周囲に数発の鉄砲玉が着弾して小石を弾く。脅しを見切っている武蔵は勿論、今更引く気が無い俺(三成)も鉄砲を無視してゆっくりと歩を進め大手門に接近、武蔵に目で合図を送り覚えさせた口上を怒鳴らせる。
「我らは豊臣勢参謀、石田治部少輔三成。そして側近の武蔵で御座る。宇都宮勢主将が結城宰相殿に目通り願いたい。」
石田三成の名を聞き城内に騒めきが起きて後収まる。だが返答は無く待たされる。迂闊な対応も出来ず結城秀康に注進に走っているのだろう。待つのも仕事、武蔵にもそのまま待機させる。
小半時後、漸く門が開き城内に誘導される。左右には城方の守備兵が居並んでいる。屈強な兵を選抜したのだろうが、長期の籠城戦での疲弊の色は隠しきれていない。異常事態に緊張して士気こそ高いが餓鬼のように目だけが血走って居り、体が追いついていない。
(表情を崩すなよ武蔵。侮りを受けたと取られては藪蛇だ。)
(わかっとる。安心しろ。)
列の中央を通り、最奥に容貌怪異な男が立っている。結城秀康その人だ。
「一別以来で御座いますな、結城宰相殿。」
一瞬、後ろに控える武蔵に目が行ったがすぐに戻る。当然切りかかるような事は無く顎で付いてこいと合図され奥に呼ばれる。余り知られていないが俺(三成)と結城秀康には親交がある。清正たち七将襲撃事件の時、三成を佐和山城まで送り届けたのも結城秀康なのだ。今も結城秀康の腰にはその時に送った石田政宗が差されている。
「治部少輔殿も無茶をする。」
「兼続を説得するのが大変で御座いました。」
「それが普通だ。だが他の諸将はさほど反対しなかったのか。中々に肝が据わっているな。」
「それはこの方面の主将、会津中納言様の威でございましょう。」
「さも有ろう。あの手堅い用兵には儂も困り果てている。」
頷き
「結城宰相殿、此処は落ち延びなされ。」
暫し顎を扱く結城秀康。
「………落ち延びて如何致す。」
「秀忠殿を支える。」
「ほぅ、儂が弟を補佐せよ、………そう申すのか治部少輔殿は。」
「この戦、徳川は詰んでおりましょう。戦後の徳川を纏めねばならぬは秀忠殿。されどその時命を的に秀忠殿に忠義を尽くす者はだれか居ましょうや?」
暫し考え込む結城秀康。脳内では徳川の有力諸将とその2代目の顔が順に浮かんでは消えてゆく。
「居らぬな。皆父に忠義を尽くして居るだけで徳川の家に忠義を尽くしてなど居らぬ。」
今秀康の頭の中ではむざむざ兄松平信康を切腹させてしまった酒井忠次や逐電した石川数正、その他容姿怪異な自分によそよそしく当たった諸将が渦巻いている。
「やはり………。」
「流石、治部少輔殿。徳川の内情をよく見ている。………成程、秀忠を支える………か。」
「御不満ですかな?」
「いや。それはそれで良い案だ。儂が立った処で徳川諸将は付いてこぬ。が、儂が弟を支えたならば諸将も渋々従うしかないだろう。」
やはり徳川の中で結城秀康はかなり疎外されていたのだな。だが兄弟仲は悪く無いようだ。いけるか?
「治部少輔殿はお気付きかな?父家康は実はあまり三河者を好いて居らぬ。」
「ほぅ?」
「三河者達にとって父はただただ旗頭、神輿にすぎぬ。当初父の実力など誰も期待していなかったからな。功を挙げても自分達三河者が働いたからであって父の采配など大した功ではない………三河者は内心では皆そう思っている。なにせ一時は離散寸前まで追い込まれた松平だ。それも仕方ない事だったろうが、父のあの性がそれをいつまでも根に持っている。」
ドロドロだな。だが有りそうな事だ。
「万千代(井伊直政)を殊更優遇するのもその為だ。だが………確かに父亡き後の徳川は危ういな………。」
頷いて改めて結城秀康を正視する。沈思していた結城秀康と目が会う。
「治部少輔殿。そのように申されるからには戦後徳川を改易にはせぬのだな。」
「改易などしたくとも出来ませぬ。関東に十万の浪人とその縁者が溢れては誰もまともな統治などできませぬ。徳川家は大きく減封致しますが残す事、安芸中納言様にも許可を戴いてありまする。」
結城秀康が頷く。
「判った。では落ちると致そう。秀頼君は良い家臣に恵まれたな。ところで序でに聞くが、父家康は切腹かな?」
「家康殿は………と考えて居ります。」
結城秀康の顔色が驚愕に染まって行く。
「宜しくお願い致す。」
見事な平伏をする結城秀康だった。




