61 12月4日 山崎(西国)街道大山崎宿 申〈さる〉の刻(午後4時ごろ)
「治部少輔が居なくなれば誰が秀頼様をお守りするのじゃ!大坂城を離れる事など罷りならぬ!」
などと喚き散らす淀君には困ったが、居合わせた加藤嘉明が
「某の守護では足りませぬか。御方様………」
と泣き落とすように諭してくれたので、漸く関東に向けて起つ事が出来た。やれやれ………家康の首を取れと言ったり、大坂から出るなと言ったり、相変わらず感情だけで生きて居られる。
「ジブ。関東のどこにいくんじゃ。」
「先ずは今にも落ちそうな宇都宮だな。」
「宇都宮?宇都宮って、関東でもかなり北じゃな?」
「そうだな。中山道から信州を大回りして行く。」
「東海道のほうが近えし、ぬきいし良うねえか?」
ああ、武蔵は寒いのが苦手なのか。山育ちなのにな。
「東海道を侵攻中の備前中納言殿(宇喜多秀家)の前には箱根の要塞群が有る。一つ一つ虱潰しで進んでいる筈なので確実だが手間がかかる。宇都宮は下野の後方を鬼佐竹(佐竹義重)が撹乱しているので内部から崩壊寸前だ。その不安定な状態を利用して結城秀康に接触したい。」
「結城秀康って誰じゃ?」
「家康の次男だな。今は徳川勢の北関東方面の主将だ。」
「はあ?そねーな奴にわざわざ逢うのか!」
「戦を終わらせるには武力だけではなかなか終わらぬのだ。まあ、会えるかどうかは相手次第だが。」
「はぁ。偉えさんの考えるこたぁようわからん。」
「武蔵はそれで良い。だが、会談が成った場合には同席して貰う。」
「なんで儂(武蔵)が?」
「貴様は相手の言葉の真偽を見抜けるだろうが。儂(三成)は願望がどうしても判断を狂わすので見極める自信が無い。だから武蔵も連れて行くのだ。」
「ジブは自分自身も信じとらんのか?」
「当たり前だ。こんなに運が乏しい自分を信用していては命が幾つ有っても足らぬわっ。」
「大名は皆ジブのように変な奴なのか?」
「いや。殆の大名は自分の運以上に自信過剰だ。だから直ぐに滅んでいく。」
「………それもそうか。」
武蔵とたわいない話をしつつ、西国街道を北上する。前回襲撃された山崎も何事もなく通過する。
「………小太郎、ざっと説明せよ。」
俺を挟んで武蔵の逆側に小太郎が現れる。
「宇都宮と箱根は治部の予想通りに動いている。常陸は佐竹右京大夫(義宣)が奇襲で奪われた常陸府中城を奪還した。」
義宣も頑張っているな。まあ府中は一瞬の空白を衝かれて奪われただけだ。直後に宇都宮に戦雲が漂ったので家康も府中どころではなく後詰めは出来なかっただろう。かといって義宣も府中から先には迂闊に出れぬ。府中から先は地形が開けているので進む程に腹背が脅かされる。当分は膠着しそうだな。
「安房、上総を暴れ回った伊達成実など、伊達勢は何処に居る?」
「伊達か。成実の別動隊を吸収して今は水谷勝俊が籠もる下館城を狙っておる。」
再掲:常陸周辺
成る程。下総の西へ延びて居る回廊に有る要衝を脅かして下野全体を大きく包囲する脅しをかけているのか。下館城の先は結城城もある。伊達勢も深入りしては孤立するので本気の侵攻では無かろうが………そうは思っても結城秀康自身も後ろ髪を引かれざるを得ぬか。
「流石に策士だな。伊達政宗。」
「ふっ。この小太郎には一番楽な攻め口を選んだと見えるがな。」
「なに?楽では有るまい。徳川勢主力に最も近い場所ではないか。」
「見た目だけはな。下館城も結城城も在地豪族の城だ。本気で家康が後詰めに動くとも思えぬ。まあその先の古河城は家康配下の小笠原秀政が入っているので本気を出すだろうが。」
そう云う見方も出来るか………。だが伊達がキッチリ働いている事に違いは無い。今はそれで十分だ。
「そう云えば、佐竹義重殿はどうだ?」
「くっくっくっ。當に鬼よ。下野の中南部、宇都宮の後背を暴れ回って蹂躙して居るぞ。火付けに強盗、人攫い、手段を厭わず戦国の猛将そのままにな。」
つまりは乱取り………。やはりそうなるか。
「宇都宮に詰めていた結城秀康の与力、大田原や大関、皆川などは皆国元に帰されたぞ。まあ、無理に引きとどめても逐電しただろうがな。」
一所懸命だからな。自分の領国が荒らされている時に家康に与力せねばならぬ義理も恩も無い。戦後の統治が思いやられるが、大方は期待した状況に成ってきたな。
「そうか。まあ良い。」
「ん?良いのか?治部。貴様の事だ、『太閤様の法度に背いた佐竹義重は隠居せよ………』とでも言い出すかと思ったが。」
「言わぬ。太閤様の法度は豊臣の治める地で有効なもの。徳川方の地は法度の外に有る。」
「ほぅ?日ノ本全ては豊臣が統べるとは言わぬのだな。」
「いまさら綺麗事は言わぬ。現実に豊臣が今治めている地はさほど大きくも無い。?どうした武蔵。何か言いたそうだな。」
「豊臣って天下人じゃな?なんで豊臣の地が小せーんじゃ?」
「太閤様在世の頃でも豊臣の直轄地はさほど大きくはないぞ。豊臣家は従来の大名と根本的に違うのだ。まあ、そこが太閤様の一番優れて居られた処で、実は殆ど誰も気が付いていないのだがな。」
「何が違うんじゃ?」
「豊臣の基盤は土地では無いのだ。従来の大名が土地、つまり農業を基盤としているのだが、豊臣は農業以外の商工鉱業を基盤とする政権なのだ。」
「??」
「豊臣は日ノ本の商いの粗方を抑えて居る。京、大阪、博多をな。この三か所で日ノ本の商いの七割は押さえている事だろう。」
「七割!そねーにか!」
「商いを抑えるという事は商家を抑える事。つまり、もし豊臣家が手を回せば他大名は一切の借財も出来ぬという事よ。」
「土地を質にいれて借りゃあええじゃろ?」
「その取引で得る僅かの利益のために日ノ本全体の取引の七割から締め出される。そんな大損を商人がすると思うか?」
「あー。そりゃあ誰も貸せんなあ。」
「さらに豊臣家は日ノ本の大きな鉱山の殆どを握っている。銭も小判も七大判も皆その金銀銅から造って居る。」
「豊臣から銭が入らんなら大名が自分で造りゃあええじゃろ。」
「武蔵は同じ大判でも金が七割以上入っている天正長大判と、諸大名が勝手に作る金が僅かしか入って居ない大判とどちらが欲しい?」
「そりゃ天正長大判…あっ!そうか。大名が適当に小判や大判造っても誰も使わんのか………。」
「そう云う事だ。まあ、他にも米は秋に一回獲れるだけだが、商いの利は季節に関係ないとかな。豊臣家の大方の土地、要所以外は諸将に恩賞として与えるために保有しているような物で、さほど執着はないのだ。」
「成程、そう云う事だったのか………。」
「小太郎まで、どうした?」
「いや、太閤が日ノ本のあちこちに五万石程度の倉入り地を細かく持っているのが解せなかったが、あれは将来の恩賞用だったのか。」
「そう云う事だ。」
「あれ?ジブ。それじゃあ今、家康の領地では禄に銭で物を買う事もできんのか?」
「戦になってまだ三月にも成らぬので、まだ買えるだろう。だが何れは商人は皆関東から逃げ出し居なくなるだろうな。まあ、それまでに米を食い尽くすだろうが。」
「じゃあ戦わんのか?もう。」
「そうしたいのだが、此方の米も限界が近いのだ。何せ三倍近い兵を集めてしまったのでな。両軍合わせて40万近い兵が普段の倍ほど食うのだ。日ノ本から米そのものが無くなりかけて居る。………いつの間にか随分と話が逸れてしまったな。小太郎、続きを聞こう。」
「うむ。何処まで話したか………佐竹の次か。中山道の中央軍は春日山を落とした北陸方面軍と合流、上野の各地で小競り合いに成っている。」
「小競り合い??家康は上野も後詰めせぬのか?」
「しておらぬ。主力は武蔵に集中して居るままだ。あくまで武蔵で決戦する腹のようだ。」
「武蔵と言っても、まさか江戸城では有るまい?」
「ああ。流石に江戸城まで引き付けては誰の目にも崖下の戦いよ。東軍は瓦解する。」
「江戸城では無いとなると………まさか?」
「判ったか。治部が一番嫌がる城、忍城よ。忍城は家康の四男松平忠吉の城でも有り、不都合はない。規模が小さいので忍城自体を最前線の砦として使う腹だな。その後背に秀忠と共に家康も布陣して手詰めの決戦を挑んでくる………今の処はそう云う動きだな。」
「秀忠も布陣する構えなのだな?」
「それは当然?では無いのか?家康は関ケ原にも秀忠を出陣させていたではないか。」
「確かに家康としては決戦場で秀忠に武功を挙げさせなければならぬが………そうか、秀忠も出て来るか………。」
意味不明の含み笑いをこぼす俺を小太郎も武蔵も怪訝な顔で見るのだった。




