58 11月18日 大坂城奥御殿 戌〈いぬ〉の刻(午後8時ごろ)
片桐且元と武蔵を伴い奥御殿に上がる。すでに中央に秀頼様と思しき子供が座しその脇には淀君だろう、如何にも神経質そうなおばさんが居る。だが秀頼様の斜め後ろには隈本城で会った加藤清正が無表情で侍っている。本当に小姓のようだな。まあ、これはこれで良い。両加藤が此の調子で張り付いて居るなら七手組の間者が一か八か、秀頼様を害そうとしても無駄に終わるだろう。
「治部少輔 石田三成、只今戻りまして御座います。」
「大義。」
大義の単語だけ覚えさせられているのだろう。天下人の子供も大変だな。
「治部少輔や、此度は見事な働きであったそうな、妾も嬉しく思うぞ。」
「は。太閤様の御威光、未だ衰えず。内府などが好きに出来よう筈も御座りませぬ。」
「そうか、そうか。未だ威光衰えずか。」
「は。実際、内府が集めし軍勢に倍する我が軍勢を維持できまする事、當に太閤殿下の御遺産有ればこそで御座ります。」
「ふむふむ、さもあろうの。」
「されど、その太閤様の残されし清州城の軍用米三十万石を内府が横領したため、内府の関東籠城を許す結果となっており、誠に慚愧に堪えませぬ。」
「盗人を働くとはのう、あの内府が。」
「内府の本性にて。」
(治部どの、あまり焚き付けては和睦が…)
「こりゃ、且元。何をこそこそ申しておる。」
「はっ。されば…内府の心根はともかく、真正面から太閤様に抗える事が出来た唯一の戦上手ですぞ。倍する兵を集めて今は優勢で御座るが戦は水物。何時覆るやもしれませぬ。今こそ和睦を考慮すべきかと。」
「またその話か。のう、治部少輔はどう思う?且元以外にも同様に申す者も多い。高台院殿は反対されておるのだが。」
「確かに和睦も筋が通っておる………と思われるやもしれませぬ。が、話になりませぬな。」
「なっ、治部殿!」
「よいか、片桐殿。此度の内府の行爲を順に思い返してみよ。始め、其処な加藤殿や伊達殿との縁組。これが太閤様の決められし法度を覆した始まりよ。縁組なれば内府だけに非があるのではない、相手方も同罪と言いたかろうが、それは違う。肥後半国の加藤殿がどうして関東二百五十五万石の内府の縁組を断れるものか。内府もそれを見越して堂々と法度破りを仕掛けてきておるのだ。」
秀頼様の後ろに控える加藤清正が驚いている。まさか、儂(三成)が清正を弁護するとは思っていなかったのだろう。
「次が利家様が亡くなるや待ってましたと前田家への言いがかりよ。前田家と豊臣家は尾張で長屋を並べて過ごせし間柄。隔意など有ろう筈もない。助作や市松、孫六や虎が高台院様に刃を向けるも同然の有りえぬ事ぞ。内府は斯様な有りえぬ言いがかりを為してまで人質を取り前田家を豊臣家から無理やり引き剥がしたのだ。此の時点で内府は豊臣家に弓引いたも同然ぞ。」
儂(三成)の繰り出す激烈な弾劾の言辞に片桐且元がおろおろしている。
「言いがかりはまだ続く。会津中納言様(上杉景勝)は会津に入られて間がない。内府に度々呼び出されたとて、仕置もすまぬ領国を放置してそうそう大坂まで来れるものか。内府とてそんな事は承知の上よ、なにせ自分も関東へ国替えの経験が有るのだからな。それを大坂に来れぬだけで謀反の兆しとは何事ぞ。ましてや築城など武将ならば当然の事。元々蘆名時代の会津城は古い戦国時代の縄張りの城で過去の遺物だ。新しく領国統治に適した城を造るのは当然。そもそも言いがかりをつけておる内府も江戸城を根本的に作り替えて居るではないか。築城が謀反の証拠と申すのであれば家康こそ謀反そのものではないか。」
片桐且元が口から泡を吹きそうだ。清正は………ほぅ………意外に冷静に思い返して居るな。多少は内府を疑う知恵もついたか。
「決定的なのは清州城三十万石の軍用米の横領よ。内府が一度でも軍用米の使用の許しを秀頼様から得て居るか?無かろうが。此処まで秀頼様を蔑ろにされておいて、誅殺すべしと激昂するならともかく且元、貴様どの口で和睦などと抜かす。家康と和睦せよなどと申す者共は家康同様に秀頼様を蔑ろにするも同然ぞ!。」
片桐且元の意識が完全に飛んでいる。秀頼様を蔑ろにしていると指弾されて全く身に覚えがないのだろう、精神の糸が完全に切れたようだ。恐らく数ヶ月は廃人同然か。めんどくさい奴なので当分退場しておくが良かろう。
おや、淀の方の顔が真っ赤になっているな。ああ、秀頼様を皆が蔑ろにして居ると言われたからか。この筋で押すほうが効果的か。
「御方様。直截に申し上げまする。内府は秀頼様のお命を縮める事すら考えて居る………そうとしか思えませぬ。」
「! な、なんじゃと!」
「現に、この治部も大坂に戻る途次、山崎で刺客に襲われまして御座ります。」
「なんと!」
「宇喜多様より借り受けました、此処に控えし武蔵の働きで返り討ちに出来ましたが。」
「おお、備前殿の。ほんに、武蔵とやら、こうして改めて見ると猛々しいのう。」
「今、秀頼様のお側に清正や嘉明が控えしも、秀頼様の御身を案じればこそ。この両名の何れかがお側に有る限り、狼藉者など近づけさせませぬ故、少々目障りでは有りましょうが、ご容赦くださいませ。」
「うむ、うむ、解っておる、解っておるぞ。やはり真に頼れるのは太閤様の子飼いよのう。」
「は。実はこの大坂城にも内府の手のものが多数潜入して居る様子で御座います。この治部が急ぎ戻りしもそれが為。」
「なんじゃと!、大丈夫なのかえ!?」
「大丈夫………と言い切れる程、内府も甘くは有りませぬ。ですので御方様、たとえ七手組の将兵であろうが、気を許しては成りませぬぞ。」
「なに?七手組もかえ?」
「は。気を許せるのは、某以外では高台院様と、お側の両加藤。他には安芸中納言様(毛利輝元)と安国寺殿で御座る。」
加藤清正の顔に朱がさす。自分が名指しで指名された事で、鬱屈していた感情がやおら開放されつつ有るのだろう。能面のようだった表情に生気が戻りつつ有る。
「?はて、治部少輔よ。七手組まで気を許すなと言うに、外様の毛利殿は信を置ける?のかえ?」
「外様の毛利殿なればこそ、信が置けるのです。内府は大老を一人一人追い込み豊臣家の羽翼を剥がしているのが実態。さればこそ、当事者であり的にされている大老がこぞってお味方されて御座います。豊臣家が太い幹なれば大老は太い枝。幹が枯れれば枝も枯れまする。」
「なるほどのう、そういうものなのかえ。」
ああ、駄目だな。高台院様も手を焼いた事だろう。もっと具体的に教え込んでおくか………
「なに、簡単な事で御座います。誰が何を言って来ようが鷹揚にうなずいて、『なるほど、そうやもしれぬがそうでない気もする。大老の安芸宰相にも諮るがよいぞ………』と返答なされませ。」
「誰にでもそれでよいのかえ?」
「誰にでもで御座います。あらゆる政を大老に諮るは至極当たり前の事。逆に大老に諮れぬ事など如何わしい企みでしか御座いますまい。」
「おお、確かにその通りじゃ。」
「秀頼様。聴いての通りで御座います。如何でしょう、これならば秀頼様のお言葉で命じる事も出来るのでは?」
「そうじゃのう、どうかの?」
「………あきたいろうに………はかるがよい。」
「おお、お見事で御座います。秀頼様のご成長に皆感激しましょうぞ。」
秀頼様が政治の表舞台に形だけでも立つ姿に淀君も満足そうに見惚れている。淀君には理屈を説明しても無駄だな。このような具体的指示が必要だったのだろう。だが清正よ、貴様までが目を潤ませてどうする。小知恵が有るようでも所詮は戦馬鹿か。まあ、親衛隊としては適任だが。




