56 11月16日 鈴鹿峠 午〈うま〉の刻(午前12時ごろ)
貞宗脇差し 刀身約31.2cm でおおむね一尺です。
桑名から東海道は鈴鹿峠まで戻ってきた。この先の草津には中山道との追分がある。東海道も中山道(東山道)も古代から有るが度々経路が変わっていて、今、一口に『中山道』とか『東海道』と言う場合は江戸時代に整備されたルートだ。この時代とは若干ずれていてこの時期本当のところは何処を通っていたのか今一つわからない。東海道は、たぶん現在の草津線が走っている付近だっただろうと、想定できるだけだ。
この東海道、東に行くと難所は次々立ち塞がる大きな川と箱根の険だが、西の鈴鹿峠も勝るとも劣らずの難所で現代でも主要幹線とは言い難い状況だ。
「ふう。何回通っても大変だな、此処は。無理をすると馬が保たぬ。」
「ジブは馬に乗ったままだけぇじゃ。儂は結構歩いたけぇ馬も元気じゃ。」
「美作の山育ちの武蔵とは違うのだ。」
「そねーなんか?」
「それより武蔵よ、これから京に寄って大坂に行くのだが、お前は俺の随従侍とする。なのであまり軽い物言いはするなよ。」
「わしが侍になる!」
「ああ。だから此れを差せ。」
自分が差していた脇差しを渡す。
「こねーな立派な刀!」
「刀ではない。『貞宗』の脇差だ。見ての通り刀身が一尺ほど有るので刀と勘違いするが、ちゃんと脇差しだ。お前には此れぐらい実戦的な物が良かろう。そして刀は此れを使え。」
これも自分が差していた刀だ。
「…これも…でーれー刀じゃ………」
「森若狭守が使用していた正宗の名刀だ。残念だが俺では使いこなせぬ。この二振りを差していれば武蔵も一端の侍らしく見えるだろう。」
「有り難う貰うが、実際に戦う時は、刀はなぁ………」
「解っておる。その為にもう一つ京で渡す。」
「次は何を貰えるんじゃろうか?儂は弓は使えんぞ。」
「安心せい。薙刀よ。薙刀が有れば存分に武蔵の力が奮えるだろう。」
「でーれー、薙刀の刃渡りがありゃあ、2人~3人いっぺんにぶったぎれる、ありがてー!」
合わせると相当な重量になるが、武蔵の膂力なら問題なかろう。それに武器で飾らねばとても侍に見えぬ。これだけの武装をしていれば多少言葉が田舎者でも侮られる事は無いだろう。
「だが室内では薙刀を持ち歩くことは出来ぬ。大阪城内で戦闘になった場合の事は考えておけ。」
「そねーな事が起こるのか?」
「無いとは言えぬ。」
「狭え場所で刀で戦う場合かぁ………地面に砂は無えし………」
こいつ、初めから砂も使う気なのか。
「刀と脇差しを両方手にして戦うのはどうだ?貴様の膂力なら出来るのではないのか?」
「ああ、そりゃあええな。相手の刀を弾くのじゃのうて、こう、挟み込んで毟り取る………」
やはり武蔵は天才だ。直ぐにカニバサミの秘技に到達するか。だがこれで城内での不意の遭遇戦になっても遅れを取る事は無いだろう。
「京の高台院様のお屋敷までもう少し時間があるので考えておけ。城内での戦闘は任せるぞ。」
「おう、任された。」
その後もああでもないこうでもないと刀を振りながらブツブツ言う武蔵を連れて京へ向かうのだった。
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「高台院様、只今戻りました。」
ぼーっとしている武蔵に目配せする。
「! も、戻りました。」
武蔵も慌てて平伏する。が、刀も脇差しも差したままだ。
「ほほほ。お供の方、座敷では刀は抜いて脇に置くのですよ。」
「こ、これでええのけー?」
「そうそう。ふふ。まるで昔の市松や虎を見ているようですね。佐吉が連れ歩いている理由もなんとなくわかりますよ。」
「或る意味ではこの武蔵、彼ら以上で御座ります。」
「あらあら、随分と見込まれているのですね。」
「はい、そこで薙刀を一振りお願いしたく。丹波守吉道(三成秘蔵の薙刀)は佐竹殿に譲ってしまいましたので。」
「薙刀………その大小に合わせて薙刀まで奮えるとは、武蔵とやら、恐ろしい剛力なこと。」
「無銘で構いませぬので刃渡り長めの『静型』(反りの浅い実戦向きの形状)を一振り、是非に。」
「ほほ。佐吉が無心とは珍しい。勿論良いですよ。準備させましょう。渡すのは明日で良いですね。」
「有り難く。」
「…あ…ありがとござんす。」
「では本題に移りましょうか。」
「はい。高台院様。まずは市松を死なせてしまいました。すみませぬ。」
「………目が覚めるのが遅すぎましたね。致し方有りませぬ。太閤様があの子に軍用米を預けた時点で定まっていた運命なのでしょう。佐吉が気に病む事ではありません。今は前を見る時。あの子の事は全て終わってからで良いでしょう。」
「………はっ。されば………公家のほうは騒がしく御座いませぬか?」
高台院が重く頷く。
「佐吉が関ケ原で東方を撃退してより、暫くは内府の使いと申す者が足繁く取り無しを頼んで来ました。が、我が取り合わぬので直接公家を口説いておるようです。」
「直接?」
「ええ。勿論殆どの公家も陪臣など相手にしませぬ。まして事後の褒賞を約しての無手の使いなど…ほほほ。」
現場の使いに権限が無いのだろうが、公家と無手での交渉など纏まるわけが無い。家康の吝嗇も度が過ぎている。
「ですが、此処に来て、山を張る者も出てきました。」
「ほぅ?それは?」
「…二条昭実…」
二条昭実…か。史実では江戸幕府の腰巾着のような男だった。有ろうことか禁中並公家諸法度の制定にも携わっていた。自分も高位の公家で有りながら公家の権威権益を大きく制限する動きに加担したのだ。豪放な近衛信尹とは正反対の陰湿な行動をする、如何にも公家らしい鵺のような奴だ。
「成る程、奴ですか。されど、反りの合わぬ近衛信尹様が居られましょう。信尹様の枕崎の郎党が島津様と共に出陣されており、権威も高まっておりましょうに。」
「ええ。信尹様も事有るごとに嘴をはさみ掣肘なされておりますが、元より裏方工作とは無縁のお方故。」
確かにその通りだ。議事に上がるたび押し止め先送りするのがやっとだろう。元々公家共は保身の権化だ。一方の勢力に全振りする事は好まない。手打ちの仲立ちをして両勢力に恩を売れると吹聴すれば靡く者も出てくる。これは是が非でも大坂が和睦を望まぬ事を、正式に通達せねばならぬ。
「公家の状況はだいたい判りました。大坂はどのようでしょうや?」
「大坂も予断を許しませぬ。淀殿はすぐに転びそうになりますし、助作(片桐且元)は優勢な間でなければ手打ちできぬと申す始末…」
片桐且元か。豊臣家の忠臣である事は確かだ。確かなのだが、とにかく戦略眼がダメダメで明後日の方向にばかり努力してしまう。まさに無能な働き者の典型だ。しかしどうしたものか。なまじ悪意が無いだけに始末に困る。
「成程………太閤様身内がそれでは安国寺殿も困って居られよう………。」
「ええ。なので佐吉は急ぎ大阪城に入り支えねば成りませぬ。他にも七手組の組頭が怪しい動きをしている様子。」
青木一重や伊東長実、堀田盛高あたりか。真野助宗も怪しいかもしれぬ。この者達の処置も難しい。すでに大方の兵は取り上げてあるので出兵名目で城から追い出すことも出来ぬ。兵糧運搬も駄目だ。そのまま兵糧ごと東方に出奔しかねぬ。
「七手組はある程度予想が付きまするので、手は有るでしょう。やはり一番の問題は根元の淀様でしょうか。」
「そうです。あの方はどうにも負け癖が付いて回っています。このままでは危ういでしょう。」
「………されば………高台院様。一時的に………お願い出来ましょうや?」
「?」
「淀の方様を、………高台院様。」
「!………出来るのですか?」
「出来る出来ないでは無く、するしか有りませぬ。」
沈思していた高台院が頷く。
「判りました。出来た場合は任せなさい。」
高台院様に深く平伏する。結局、この方に甘えてばかりだ。太閤様に今少し係累で信の置ける人物が居れば良かったのだが。秀次様が今になって惜しまれる。
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「昨夜は良く眠れましたか。二人共。」
「はっ。お陰様で生き返った心地です。」
満足そうに高台院が頷いている。
「それでは、これを。」
武蔵の前に薙刀が置かれる。
「!こりゃあ! こねーなでーれー薙刀を!」
「そんなに驚く物ではありませんよ。無銘ですし。ただ、造りは確かで少々手荒く用いても問題ない強さはありましょう。少し重いでしょうが。それから、佐吉にはこちらを。」
俺の前に大小二振りが置かれる。
「?これは?」
「ふふ。いくら自らは槍を振るわぬ佐吉でも、丸腰では恰好が付きませぬでしょう。餞別に三日月宗近の太刀と骨喰藤四郎の脇差を用意しました。三日月宗近は太刀ですので吊るさねばなりませぬが佐吉は抜くことは無いでしょう故、格式が高いほうが交渉の足しに成りましょう。」
「み、三日月宗近………天下五剣、足利義輝公も愛されし太刀ですぞ!」
「良いのです。すでに古式の太刀を佩刀する者はほとんど居りませぬ。今や僅かの公家だけ。公家と面突合せる可能性の無い者には猫に小判。佐吉でのうではこの三日月宗近を使いこなせる者は他に居りませぬ。」
確かにこの二振りが有れば、参内する事が有っても気後れせずに済む。三日月宗近そのものが交渉材料にもなる。
「ご厚情、忝く承りまする。」
「大坂の事、頼みます。」
黙って平伏する俺(三成)だった。




