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54 11月8日 浜松城北 砲兵陣地 卯〈う〉の刻(午前6時ごろ)

結局、浜松城砲撃は夜を徹して継続させた。天守台と古城が炎上したため、その明かりで照らされた本丸二の丸も視認できたので、順番に射点を寄せていき手持ちのほぼ全弾を打ち尽くしたのだ。明け方頃には丸弾が底を突き、其れ以後は全弾葡萄玉に変更している。その葡萄玉も大砲用に持ち込んだ火薬が尽きたため、漸く砲撃終了となった。


「こんな事に成るとは………これが本当の南蛮砲の恐ろしさ………で御座るか。治部少輔殿。」


中村次郎兵衛が絶句している眼前には廃墟と見紛う浜松城が朝日に照らされ幻想的な姿を晒している。深夜頃までは城方も騒いでいたのだが、明け方には静かになった。騒ごうが喚こうが降り注ぐ砲弾、なまじ堅城なだけに脱走もできずその場で頭を抱え(うずくま)るだけしか出来ない。大方の将兵の精神が折れてしまったのだろう。


「火薬も尽き申した。総大将に…城の接収をはじめて下され…と伝令を。」


中村次郎兵衛が頷き、伝令を走らせる。砲兵部隊に撤収を命じて我々も本陣へ向かう。


「おはようございます。秀家殿。」


「応、治部少輔殿、それに中村次郎兵衛もご苦労だった。城は落ちたも同然じゃ。朝餉を共にしようぞ。」


頷いて本陣付きの幕僚の中に混じって車座に座る。すぐに従兵が一汁一菜の簡素な朝餉を持ってくる。


「南蛮砲はあのように使用するのだな。城方の砲を制圧した時点で治部少輔が何故総攻めを抑えたのかと(いぶか)しかったが、こうなってみると、あそこで攻めなかった事が正しいと判る。」


頷いて、


「砲は制圧しましたが、そこで総攻め致してはお互い砲が無いだけ。普通に堅城を力攻めする結果となり大損害を受けましたでしょう故。」


「うむ。砲撃の派手さに釣られて無謀な突撃をする処だったわ。しかし、南蛮砲の威力の凄さよ。あの浜松城が見る影もない。まるで廃墟だぞ。」


「確かに。されどそれは北側だけ。南側半分は無傷で御座るので、まだ多少の抵抗はありましょうな。」


「まあ、それも悪くないではないか。全く無抵抗では逸る気持ちを抑えていた武者共の気合の持って行き場が無いわ。」


何れ猪武者の働き場所が減っていく事に宇喜多秀家も気がついたか。


「それはそうと、秀家殿。御家中の足軽、或いは陣借りとして居るやも知れませぬが、宮本村の武蔵(たけぞう)と申す者が居るはず。新免辨助(べんのすけ)と名乗っているやもしれませぬ。一五か一六程の若者で御座るが召し出してこの治部少輔に預けられませぬか?」


「?その宮本村の武蔵(たけぞう)とやらが治部少輔殿の目に止まったと?」


「は。この者今は腕力頼りの乱暴者で御座るが器用な男で御座ってな。物事の考え方も理に叶って御座る。上手く導けば秀家殿の羽翼に成り得るやも知れませぬ。」


「ほぅ、それは願ってもない事。おい、その武蔵(たけぞう)と申す者を探し出して参れ。」


朝餉を食べ終わる頃には東海道方面軍の諸将、長宗我部・鍋島・小野木・福原なども三々五々集まってくる。


「皆揃ったようだな。治部少輔殿が手配せし南蛮砲で見ての通りさしもの堅城も瓦礫の山と化した。既に味方が城に取りかかって居るが落城は時間の問題であろう。主だった諸将も集まられたので今後の方針を決めておきたい。」


宇喜多秀家が臨時軍議を宣する。


「久野城の松下殿は既にお味方で御座れば、浜松城の次は掛川城、遠州横須賀城、そして駿河は駿府城あたりが拠点で御座るが、遠州横須賀城は元よりさしたる要害でもなく問題は有りますまい。」


小野木公郷がざっと現状を確認する。


「左様。そして掛川城も駿府城もこの浜松城よりはかなり防御面では劣っている。カルバリン砲を配置してまで支えているとは思えんな………」


鍋島勝茂の見通しに諸将も頷いている。


「となると次の山は箱根で御座るか。」


福原長堯がポツリと呟く。箱根を越えると直近に小田原城が在るがこの時期の小田原城はごく小規模に縮小されており、北条氏時代のような総構えで町をまるごと囲い込むような巨城ではなく、防御力は乏しい。


「山中城など箱根の城塞群は廃城になっているが、元より要害の地、急造の砦でも十分に手強いですな。」


小野木公郷の見立て通り、恐らくそう来るだろう。山中城は秀吉の小田原攻めの時に落城してはいるが、それは大兵力に物を言わせて強引な力攻めをしたためだ。結果、攻め方も一柳直末など名のある諸将まで討ち死にしている。


「さらに山岳地帯で重い南蛮砲を持ち込むのは手間がかかる。街道なら運べる事は運べるだろうが、はじめから目標を決めておかねば一朝一夕には的を変更出来ぬ。」


南蛮砲の運用面での欠点を儂(三成)が指摘しておく。


「治部少輔殿、南蛮砲は弾を打ち尽くしたと聞きましたが、まだ使えるので御座るか?」


長宗我部盛親が尋ねる。


「使えまする。先日届いたのは第一便に過ぎませぬ。これから砲も弾も火薬も続々と届きますぞ。さらに、今、打ち出した砲弾を回収して再利用できる弾を選別しております。4割程は再利用出来ましょう。」


おお…という安堵のため息が聞こえてくる。南蛮砲の威力を目にした以上、これからも頼りに思うのは人情だろう。


「そう云う事であれば、やはり敵の南蛮砲の有無の確認をせねばなるまい。箱根までの各城には先行して一万から二万の部隊を出し、軽くひと当てして確認するのが良かろう。本体は南蛮砲の補給状況を(かんか)みつつ、後方から追いかける…これで良かろう。」


宇喜多秀家が話を纏める。諸将も頷いている。そこへ伝令が飛び込んできた。


「城方を掃討完了致しました。守将の保科正光など主だった者も捕らえました。」


宇喜多秀家が頷き場が直ちに捕虜謁見の体裁に変更されていく。車座だった配置が横一列に代わり正面に筵が敷かれる。


「秀家様、宮本村の武蔵(たけぞう)が居りました。」


近習が小声で伝えてきた。後ろに例の大柄な若者が控えている。


「すぐに捕虜の吟味が始まる。そのまま後ろに控えて居れ。」


宇喜多秀家がそのまま待機を命じる。連れてこられた武蔵は何が何だが意味不明といった顔だが、大人しく待てているようだ。程なく数名の捕虜が連行されてくる。


「左から保科正光殿、保科正重殿それに保科正貞…殿と名乗っておりまする。」


予め宇喜多秀家に頼んであるので秀家が目配せして誰何するように俺(三成)に促してくる。


「東海道方面軍総大将の宇喜多秀家殿の計らいに依り、この治部少輔 石田三成が誰何致す。」


言葉を切りゆっくりと三人を見回す。正貞は正光の異母兄弟との事。やはり真田氏の類縁と云う。正貞はまだ一二歳の子供で初陣らしい。目が合ったので穏やかに微笑んだがキッと睨み返してきた。やはり元・武田武士の気概か、中々に剛直なようだ。


「日ノ本での初めての本格的な南蛮砲による攻撃にもかかわらず、よく手兵を纏め醜態を晒すこと無く戦い抜かれた。流石武田の武士(もののふ)内府(だいふ)などには惜しい人物と感じ入った。」


「世辞は要らぬ。首にするなり磔にするなり、好きにされよ。」


「まあ、そう死に急ぐことも無かろう。束の間の慰みに話ぐらい致そうぞ。あの熾烈な砲撃で混乱しだした城兵を如何に纏められたのかな?」


「徳川の兵を舐めるでない。此方に砲が有れば相手にも砲が有ってもなんら不思議ではないと一喝しただけのこと。士気などすぐに回復するわ!」


「ほぅ、士気が回復したにしては、朝から始まった戦闘では一方的だったようだが?」


「くっ………城の石垣まで壊されてはすぐにも襲ってくると臨戦態勢で居たのだ。それを………まるで猫が小鼠をいたぶる如く、明け方までくどくどと砲撃を続けるなど………あれが武士の戦か!」


「これは異な事を。かの楠木正成公は関東武者の弓矢に糞尿をもって相対されたと云う。戦国以来勝てば武略、負ければ不覚者と決まっておろう。まさか、戦に卑怯だの正々堂々だのと愚にもつかぬ泣き言を持ち込まれまいな。軍略とは奇術と詐欺と不意打ちで粗方出来ているので御座るぞ。相手の思う通りに動くはずが無かろうに。まあ、そこらはお主の(しゅうと)殿(真田昌幸)の専門だ、よく教えを聞かれるが宜しかろう。」


「な…に…?」


筵の三人が一様にポカンとした間抜け顔だ。どうやら勝手に斬首されると思い込んでいたようで、精一杯背伸びして武士の意地を張っていたのだろう。こういう単純な男だから家康に抜擢されたのやも知れぬ。家康は自分の腹に一物が在るのを見抜くような策士は苦手だからな。そもそもこの三人を斬首に処したところで敵方にとって左程の打撃にはならぬ。縁者の真田昌幸の心象を害しかねない損害のほうが大きすぎる。ましてや十二歳の童に過ぎぬ正貞を斬首するなど論外だ。


「判らぬか。うぬら三名、真田昌幸殿の預かりとすると言うておるのだ。」


「ふ、ふざけるな。ここまで扱き下ろして置きながら更に生き恥を晒せと!」


「ああ。生き恥でも行き糞でも晒せと言うて居る。貴様、徳川のお家に忠義を尽くしておるのか?はたまた内府、家康個人に忠義を尽くして居るのか、然と返答せい!」


「そ、それは………お家だ。武田遺臣である我らを拾ってくれた徳川家に忠義を尽くして居る。」


「そうであろう。そうでなければ成らぬ。ならば生き恥でも行き糞でも晒して生き長らえねば成らぬ。よいか、この戦は西方が勝つ。必ず勝たせて見せる。そして家康は表舞台から引きずり降ろされるだろう。首になるか、高野山か、琉球や天竺に追放になるか、それは判らぬが二度と(まつりごと)には携わらせぬ。だが徳川、いや、そのときは松平に復しておろうが………お家は残る。今二百五十五万石を喰む大名を一息(ひといき)に取り潰しては関東はあぶれ者だらけになってしまうのでな。その小さくなった松平の主は恐らく平時に有能な秀忠殿になろう。貴様はその秀忠殿を見捨てて此処で死にたいと言うのか?徳川の家臣共を見回してみるが良い。平時の政の役に立つ者がどれだけ居る。ほんの一握りであろうが。しかも彼らは不当に貶められて居る。そんな徳川家を引き継ぐ秀忠殿の苦労は如何ばかりか………。」


場が沈黙に包まれる。筵の三人だけでなく、味方の諸将まで驚いている。おいおい、戦を差配する幹部が戦の終わらせ方を考慮しないのでは先が思い遣られるのだが。


「………治部少輔殿。儂が浅はかで御座った。お沙汰、謹んでお受け致す………。」


それを見て残りの二人も慌てて頭を下げる。漸く場が弛緩する。


「見事な沙汰よ、治部少輔、では縫殿助殿(小野木公郷)、三名を真田殿まで送る手配をお願い致す。」


小野木公郷が黙って頷き三名とともに出てゆく。それに伴い自然と散会となり、諸将も持ち場へ戻ってゆく。


「随分と待たせてしまったな、宮本村の武蔵(たけぞう)こちらへ参れ。」


宇喜多秀家が武蔵を呼び寄せる。


「こちらがお主を見出された治部少輔石田三成殿じゃ。知っておろう。」


武蔵が答えられず困った顔をしている。


「今朝は伝令大義であった。やはりお主が武蔵であったか。以前小太郎が申していたのを思い出してな。引き立てるも面白かろうと召し出して貰ったのだ。だが何故使番(つかいばん)をしていたのだ?」


「そりゃあ、目んめーで使者様が流れ弾ん当たってしもーてから…へーで直ぐ脇ぃおったワシぃ伝言せーいうて言われたんじゃ…です。」


「ほぅ、そうか。やはり()()には不思議な運が有るな。この戦の間に儂(三成)が()()を出来る限り引き上げてやろう。そして戦の後も宇喜多様の手足と成れるように学べ。」


「ははーーーっ」


訳が分からないままその場で平伏する武蔵だった。











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― 新着の感想 ―
[一言] まるっと採用していただけたとは、なんだか面映い心持ちです。
[良い点] 『貴様はその秀忠殿を見捨てて此処で死にたいと言うのか?徳川の家臣共を見回してみるが良い。平時の政の役に立つ者がどれだけ居る。ほんの一握りであろうが。しかも彼らは不当に貶められて居る。そんな…
[一言] 「そりゃあ、目のめーで使番様が流れ弾に当たって………直ぐ側におった自分が伝言を言いつけられたんじゃ。…です。」 岡山弁だと 「そりゃあ、目んめーで使者様が流れ弾ん当たってしもーてから…へーで…
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