47 10月27日 磐城街道掘越付近 巳の刻(午前10時ごろ)
上杉・伊達全軍で二本松街道を進み高倉で奥州街道に合流したのが昨日。此処で上杉勢と別れ今は伊達勢と共に磐城街道を磐城氏の本拠地、平の大館城にむけて移動している。
現在地の掘越付近は元は三春田村氏の治めていた地だ。三春田村氏はかの征夷大将軍坂上田村麻呂を祖とする名門という事になっているが、実は平氏であるという証拠もでてきて、まあ、そこらはそれぞれのお家の事情と云う事なのだろう。この三春田村氏から政宗正室の田村御前、愛姫が嫁いでいる。
「景勝殿と同行されぬのですな。治部殿。」
「既に腹を括られた景勝殿には、この治部など不要でしょう。」
「我が伊達のほうが心配ですかな。」
「伊達殿はなんら心配御座らぬ。」
「ほう?それはまた、如何なる心算で。」
「なに、伊達殿が方針を転換された場合は必ず正鵠を得られる。そう云う実績が御座れば。」
「…なんとも…信用されて居るのやら居ないのやら…。」
「心配は佐竹右京大夫(義宣)殿で御座れば。」
「?佐竹は強兵で御座るぞ?実際に槍を合わせしこの政宗が請負いましょう。」
「兵は確か。されど、右京大夫(義宣)殿には初めての大戦。三十路となり分別も有り申すが血気に逸らねばと多少は心配致しており申す。」
「無い…とも言い切れぬか。水戸まで迫られると些か心配ですな。」
頷いて
「義重(義宣の父)殿であれば、徳川勢をさらに北、太田城まで引き付けるも平気で御座ろう。されど、今の右京大夫(義宣)殿ではその手は採用出来ますまい。」
「確かに。お家を引き継いだ直後は判っていても家中に弱気と取られる言動は難しゅうござる。儂(政宗)も同じで御座った。」
政宗が自らの過去を思い出しているのか、遠く南の空を見ている。政宗も代替わり直後から人取橋の戦いまで激動に翻弄された。今の佐竹義宣に被る部分が有るのだ。
「それはそうと、政宗殿。この地は三春田村氏が治めし地だったはず。」
「如何にも。我が室、愛の古里で御座る。」
「予予お尋ねしたかった。何故に政宗殿は当時完全に孤立していた小領主の田村氏から正妻を娶られたのでしょうや?必然的に多数の敵を抱え込む事になり申したが。」
「はっはっはっ。何かと思えば、簡単な事で御座るよ。田村清顕殿は 音に聞こえた猛将。蘆名とは完全に手切れされて居り、裏切られる心配は無し。伊達が中通り(現・福島県中央部)を南下する先鋒には最適で御座れば。それに…」
「それに?」
「小領主ならばこそ、家臣団に組み込めると云うもの。大封を喰む者では一時だけの同盟でしか成り得ぬ。それでは父迄の代となんら変わらず、先の目が御座らぬ。」
やはり政宗は意識的に中央集権を進めていたのか。粟ノ巣の変(伊達輝宗拉致事件)は起きるべくして起きたのだな。
「成る程。したが、先祖累代相互に婚姻関係が入り組んだ陸奥の領主を家臣化するのは気が遠くなり申す。」
「左様。お陰で陸奥の地では儂(政宗)は悪鬼羅刹が如き云われようで御座るわ。はっはっはっ。皆が遠い縁戚である陸奥人は良く言えば情に厚い。が、戦国大名として、それでは立ち遅れる。最上が今それなりの戦国大名として在るのも一族の天童氏を滅ぼして吸収したればこそ。南部が当代の信直で漸く安定したのも太閤を動かし九戸政実を成敗して後よ。皆同じなのに、何故かこの政宗が悪目立ちしてしまうのう、はっはっはっ。」
それは政宗が手順を飛ばして強引に踏み潰して行くからだろう…とは思うが言えぬな。だが、確かに政宗が云う通り、今に生き残る大名はそう云う曲者ばかりだ。比較的温いながらも生き残るは秋田愛季ぐらいか…。
政宗と並んで駒を進めていたがいつの間にか小太郎も馬を並べている。政宗も少し驚いている。
「相馬はもう出立したか?小太郎。」
「既に平に駐屯していて岩城貞隆勢三千と合流済みだ。相馬義胤は元より佐竹に同心して居る。来ぬ筈がなかろう。まあ、たかだか6万石程度の小大名、千五百に過ぎぬがな。」
「それで良い。陸奥が尽く西方に傾いた事実こそが重要だ。」
「ふん。そう云うものか。侍は体裁に拘るのう。そもそもが、こんな大戦等必要有ったのか?貴様が排除したいのは家康個人であって、秀忠や秀康にはなんら含む処は有るまい。ならば、戦などせず家康を始末すれば済む話ではないか。」
「いや、そう云う事では…」
そう言いかけて詰まる。確かに小太郎の言も尤もなのだ。三成が太閤死去と同時に政治の表舞台から引き、豊臣家の内政官僚に特化したとする。そうしておいて、潤沢な資金で暗殺者を雇う。成功報酬は勿論、襲撃の事実だけでも懸賞金を出し襲撃の成否を問わねば延々と襲撃が続くことに成る。信長の時代よりさらに鉄砲も発達している。たとえ成功せずとも家康が人前に姿を出せなくなる。其の結果、引退を強制できるのだ。常時身に降りかかるストレスは寿命も著しく縮めるだろう。侍の枠に囚われなければ手段は幾らでも有ったな…。
「ふふ。小太郎殿よ。治部殿とて欲が薄いとは言え己が栄達を放棄している訳では無いのだ。また、そうでなければ石田の家臣団に見限られてしまうだろう。小太郎と雖も暗殺の依頼は滅多に有るまい?」
「ふむ。伊達殿の言われる通り、暗殺依頼は稀だったな。有っても合戦に及ぶまでもない取るに足らぬ者ばかり。暗殺は現実的なようで、実はあまり使えぬ手やもしれぬな。」
「小太郎殿に判ってもらえて何よりよ。で、話は変わるが他の動きはどうなのだ?陸奥の山奥ではどうしても日ノ本全体の状況が掴みにくい。教えてくれぬか?」
小太郎に”諾”と目配せする。
「先ずは東方全体の話だが、関東以外に領地のある外様は粗方骨抜きだな。留守城を西方に接収された寺沢などの九州勢はすでに軍勢とも呼べぬ。宇和島が囲まれそうな藤堂勢も恐慌状態で統制に四苦八苦して居るぞ。おお、そうそう、春日山の堀秀治は与力尽くに袖にされた上、期待していた援軍も瓦解、前後を囲まれるや1戦も交えず降伏した。身柄は高野山に押し込められるようだ。」
「ほう、これは治部のお手柄よな。西からだけであれば堀秀治も対処も叶ったであろうが。」
「中央の西方本軍は海津城に取り付いた。付城を造り腰を据えて攻める構えだ。」
頷いて
「森忠政は豊臣蔵入地を家康の口利きで横領している。最早攻め滅ぼす以外の道は無い。」
「ふふ。治部殿のそう云う処はまだまだかの。」
「政宗殿?」
「家康の口利きに抵抗できず流されただけとも云える。そう云う者は今の形勢なら調略出来る。だが、惟新斎殿も真田の親父も敢えて調略しなかったのだ。」
「むぅ?」
「海津城はかの武田信玄が目を付けた急所の地。調略したとて何時また家康に調略されるか知れた物では無い。全軍が関東に雪崩込んだ頃合いに海津城に籠もられ謀反されては堪らぬ。よって後顧の憂いを断つ事にしたのだろう。」
成る程、此方が調略出来るのだから、再び家康に調略されるのも当然ありえるか。
「それに、此方には治部殿が居るでのう。」
「儂が?」
「良くも悪くも決して筋を曲げぬ治部少輔殿の居る陣営だ。太閤様蔵入地を横領した森忠政は居心地が悪かろうよ。」
「………」
「最後、東海道はどうなっている、小太郎殿。」
「東海道は清州城がやっと落ちたぞ。兵糧攻めは効かぬと思われていた清州城だが、元々の蔵米まで家康が持ち去ったようだ。飢えている事が脱走してきた雑兵、元福島正則の手勢だったようだが、その供述で判った。」
「ほう。伏見城同様、また忠臣諸共捨て石か。良くも悪くも治部殿では出来ぬ事よな。」
「…家康の真似などする気にもならぬ。」
「ひどく嫌われたものよ、家康も。だが此れには裏が有るぞ。」
「裏…?。ふむ。清州城を捨て石にしてまで他に兵糧米を移した。つまり清州城よりも後方に、さらに硬い城があり、そこには長期持久の備えが有る…そう云われるか。政宗殿。」
「如何にも。吉田城、岡崎城、浜松城、駿府城と続くが、東海道を完全に扼し、尚且つ堅城で切り札のカルバリン砲も在りそうな城となれば?治部殿。」
「………浜松城しか御座るまい。」




