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46 10月25日 会津神指城予定地付近 巳の刻(午前10時ごろ)

まだ雑然と資材が積み上がり、何か大掛かりな作事をしているとしか見えない神指(こうざし)城に来た。5月から造り始めた新城で、僅かに堀らしきものが有る。そのため城を造っているのだろうか?と云う程度は推測できる状況だ。今は家康来寇を受けて中止していた作業が再開されている。

神指城は阿賀野川沿いに、ほぼ正方形の本丸、そのぐるっと一回り外側を包みこんだ、やや長方形の2の丸が現代に残る遺構から推測されている。この時代、城に要害の山を利用することは廃れつつあり、政務に利用価値が高い平地の平城に移行しつつあった。そのため防衛力を担保するには城が巨大化する傾向があり、神指城も最終的にはかなりの巨城に成っていた筈なのだが。


「仮の陣屋がある筈だが…ああ、あれか?」


仮陣屋らしき屋敷から身なりの良い侍が迎えに出てきている。


「某は甘粕備後(景継(かげつぐ))と申す。この神指城の普請奉行を致し居りまする。治部少輔(三成)殿と大崎少将(政宗)殿とお見受け致しまする。主、景勝が待ち居りますれば、此方へ。」


景継の案内のままに陣屋へ向かう。すでに動員がかかっている為、あちこちで数十人単位の小隊が(たむろ)しているが越後(なま)りの者が多い。


(治部少輔殿、やはり謙信公以来の精兵は会津中納言(上杉景勝)の手元に温存しているようだな。)

(城造りが緒に就いたばかりで籠城できませぬ。家康迎撃は会津全体を城に見立てて各方面を随時撃破して回る予定だったのでしょうな。信頼できる兵は手元に、新規徴兵の者は各地の出城に配置されているようですな。)


案内される途中も上杉勢の実態把握に務める。それを察したのか甘粕景継が自ら話し始める。


「我ら上杉勢は確かに総勢5万~6万に達しまする。されど信頼出来る精兵はその半分も有れば良い処。会津移封の居りに泣く泣く越後に(とど)まれし同輩も多く御座る。会津土着の新規召し抱え武士が特段弱いわけでもなく、また、緊急に集めし浪人衆も個々人は歴戦の兵で御座るが、如何(いかん)せん大部隊での連携の経験が御座らぬ。人数通りの力を発揮できるのは、2万5千がほどでしょうなぁ。」


「成る程。それで調練も兼ねて、兼続殿が山形へ新参衆を率いて行かれたと。」


「左様。されどご存知の通り、酒田の志駄義秀殿の手勢との力量差は歴然。あまりの力の差に(あるじ)・景勝も頭を抱えてござる。」


兼続の山形攻めに呼応して酒田から志駄義秀の別働隊が最上領に侵攻している。最上主力が兼続に当てられた留守を突いたとは云え、連戦連勝、最上川沿いに遡上して山形城のすぐ裏側の山辺城、重要拠点の寒河江(さがえ)城も落としている。


「上杉勢の事情はよく判りまする。中納言様には無理に成らない程度にお願いする所存にて。」


「良しなにお願い致しまする。」


上杉家重臣としても忸怩(じくじ)たる思いが有っただろう。

”蒲生氏郷(上杉景勝の先代の会津領主)殿が健在なら家康は西上出来なかっただろうに”

との陰口は嫌でも耳に入ったはずだ。


「白石城の上杉勢はあまり鉄砲を装備されて居らぬ様子で御座ったが、此処はかなりの装備数ですな、甘粕殿。」


伊達政宗が不遠慮に問う。白石城は政宗が関ヶ原の戦いの初期に攻め落とした城で、この甘糟景継の城だ。当時は甘糟景継が不在で登坂勝乃が城代だったが。


「登坂には満足な兵も鉄砲も与えられず不憫な事を致しました。あの頃は各方面が手一杯でしたので。されど、景勝様直率の此処の本軍であれば伊達殿にも恥ずかしくない装備と存じまするぞ。」


「確かに、此れならば心強い。なにせ上杉勢には仙道筋(中通り)を進撃願う事になりましょう。我ら伊達勢や佐竹勢が浜通りから常陸で奮戦致そうとも中央の仙道筋の進撃が伴わねば常陸で孤立しますのでな。」


「そこは上杉勢を信用してくだされ。一度は天下の大軍をも相手にしようとした軍勢で御座れば。」


伊達政宗の子供じみた挑発だが歴戦の甘糟景継にとっては何程の事でも無いようだ。これには政宗も満足したようで其れ以上の追求は無い。兼続が此処にいればどうなった事やら。


「主、景勝で御座る。」


話しているうちに陣屋前に到着、景勝の出迎えを受ける。とくに言葉を交わす事もなく、客殿に案内されて座が定まる。


「会津中納言(景勝)殿。先にお知らせ致した通り、伊達殿もお味方戴ける仕儀となりました。また遠く津軽は堀越城の 大浦為信(津軽為信)殿も既にお味方で御座る。越後揚北(あがきた)の溝口殿と村上殿も実質お味方で御座る。唯一残りし山形(最上)は直江山城殿が既に囲み居りまする………。」


沈黙…。これが現上杉家当主、上杉景勝を表現する代名詞だ。とにかく無口にして表情に乏しい。現状が意に沿うのか沿わぬのか、読み取る事はできない。流石の政宗でさえ、景勝相手の時には静かに待っている。


「治部はよく働く。」


「は。」


………?


「些か(せわ)しすぎるが。此度は治部の(さが)が良い方に転がった。」


景勝はそう言って僅かに口元を歪めた。笑った?………のか?


「惟新斎殿(島津義弘)の軍配は儂(景勝)も見たかった。」


「…なるほど…。」


………パンパン。景勝が柏手を打つ。


三献(さんこん)の儀を執り行う。主だった者を集めよ。」


三献の儀は室町時代に始まったと云われる出陣の儀式。打ち(あわび)、勝ち栗、昆布を肴に3度、酒を飲み干す儀式だ。


「!!有難たく!」


頷いた景勝が政宗の方に体を向ける。


「伊達殿。仙道筋は我が上杉に譲ってくれようか。」


「元より承知。伊達勢一万二千は磐城勢と相馬勢を合わせて後、浜街道を常陸太田へ向かいましょうとも。」


「忝なし。なれば我が上杉は二万五千の精兵を以て奥州街道を宇都宮へ向かう。」


二万五千だと?上杉百二十万石…実高は百五十万石を超えようが、如何に開戦直前に浪人衆をかき集めたとは云え山形に二万五千を出しており、会津には数千しか残らない事になるが………


「それでは…御領地の守備が相当手薄になりますが、宜しいので?」


「周囲に敵は居らぬので問題無い。それに………それが伊達殿の狙いであろう。」


成る程、そういう事か。伊達が領地を空にして全力で当たっているのに上杉が全力で当たらぬでは義に(もと)ると………。此処に兼続が居れば1万程度は残させただろうが、不在で景勝の性格の一端が見えたな。

政宗は………当然と云う顔だな。最初からこうなると読んでお互いの不可侵を物理的に担保するため全力で出てきたのか。


「御両所共に全力での参戦忝なく。ついては宇都宮に攻め寄せる景勝殿にお願いが。」


「?」


「戦力差が有りまするが結城秀康殿は猛将ゆえ当初は奮戦して防がれましょう。が宇都宮の軍勢の多くは下野の小大名の寄せ集め。早晩櫛の歯が欠ける如く脱落するは必定。秀康殿も何れは止む無く撤退されるはず。其の折に首を取らないで戴きたく。」


「?何故に?」


「家康をなんらかの方法で排除した後、秀康殿が居らぬでは敗残の徳川勢をまとめる事が出来ませぬ。関東一円の徳川勢を虱潰しに潰して回るのは1年では足りませぬ故。」


続きを政宗が引き取る。


「成る程の。景勝殿。治部少輔が申す通り、家康敗亡と成ろうが愚直な三河者の城代は決して城を明け渡して降伏はするまい。だが未だ武の棟梁と認められて居らぬ秀忠殿では彼らを説得できぬ。そこで秀康殿の出番と。そう云う事よな治部少輔殿。」


「は。政宗殿の御明察の通りにて。秀康殿の威で一喝されれば、腹に思う事は多々あれど三河者はことごとく平伏致しましょう。」


「そうか。ならば 了としよう。が、家康殿の暗殺は認められぬ。」


「暗殺は考慮致しませぬ。そもそも不可能で御座る。」


「?ふむ。別案が有るのだな。治部少輔。」


黙って頷く。成否は定かではないが、この際は張ったりを利かしておく。景勝を迷わせたくない。どうせ先の未来の話だ、誰も保証など出来ぬ。


「解った。追撃は程々に致すとしよう。皆も揃ったようだ。三献の儀を執り行う。」


景勝が率先して酒を煽り土器(かわらけ)地面に打ち付けて割る。政宗と俺(三成)もそれに習う。諸将も一斉に杯を叩きつける。軍扇を広げた景勝が(とき)の声を大音声であげる。


「エイ!エイ!オーッ!!」


「エイ!エイ!オーッ!!」


「エイ!エイ!オーッ!!」


いつ果てるともなく会津の空に(とき)の声が響き渡るのだった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 神指城再興ありがとうございます。 それと静かなる威圧感満載な景勝 ありがとうございます 奥羽はやっぱり伊達さんなんだな、と 改めて思いました。 彼が要と睨んだ三成さんの慧眼よ 下野攻略…
[良い点] 2万5千の全軍で出撃とはお見事! 関ヶ原で戦いが終わっていたら会津中納言の名が泣く所でしたぞ。 是非、思う存分力を奮っていただきたいですね。 上杉の精兵は西軍の主力ですもんねえ。 […
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