39 10月17日 能登半島沖 船中 巳の刻(午前10時ごろ)
敦賀から船を出してもらい、輪島を経由して今は越中の伏木港へ南下している。運良く輪島での風待ちで足止めされずに出港出来たのは良かったのだが…
「小太郎よ、何故輪島から南下せねばならんのだ。輪島からそのまま佐渡へ行けは良いのではないのか。」
「ふん。治部は世情に疎いと聞いていたが、本当に何も知らぬのだな。南蛮船ならいざ知らず、和船がそんな航路を取れば半分も行き着けず沈んでしまうわい。」
「何?そうなのか。」
「ああ、だから和船は細かく寄港できる沿岸航路を取るのだ。そもそもそんな遠洋に出れば潮に流されてどこに行き着くか知れた物ではないわ。難破せずとも渡島(北海道)あたりに漂着できれば御の字よ。」
「そういうものか。」
「日本海の潮はまだマシよ。東の大海には黒瀬川(黒潮)と云う恐ろしい潮流があるそうだ。こいつに飲み込まれると海の果てまで流されてしまい二度と帰れぬと船乗り共は恐れていたぞ。」
「小太郎は物知りだな。」
「何、小田原の北条でも多少の水軍は有ったからな。聞き齧っただけだ。実際に見ては居らぬ。」
やはりな。これで関東と東北間の太平洋航路は当面ほぼ不可能な事は確実だな。
「では南蛮船ならその黒瀬川も超えられるか?」
「よほどの大風でも有れば別だが、恐らく、黒瀬川本流に飲み込まれれば南蛮船でも只では済むまいよ。」
これはおかしい。マゼランは世界一の難所とも云われるドレーク海峡も突破している。最大時速9kmと云われる黒潮が超えられないとは思えない。南蛮船を過小評価しているのだろう。
だが、こう小刻みにしか移動出来ないのでは効率が悪い。政宗には南蛮船の建造も持ちかけてみるか。
「それよりも治部よ、輪島で手の者から繋が有った。小諸城を落としたようだ。」
「何!?東山道の本軍がもう小諸に届いたのか?あまりに早すぎる…」
「落としたのは真田の親父(真田昌幸)だ。徳川秀忠を上田城で撃退したときに仙石秀久の手勢に配下を仕込んでいたようだ。」
仙石秀久が小諸城に入ったのは10年前で歴史が浅い。仙石配下の者同士も見知らぬ顔も多かろう。まして同じ信州訛の者であれば疑うことはするまい。となると…今年森忠政が入城したばかりの海津城は勿論、恐らく敵方になっている真田信之の沼田城にも仕込んでいるか。
「流石の抜け目のなさよな。」
「全くだ。武士などにしておくのが惜しいぐらいだ。」
「小太郎は武士が嫌いか?」
「嫌いだな。武士はどこまで成り上がろうが自由がない。主君の下で命を的に成り上がり大名になろうが、その上に居る50万石、100万石といった大大名の機嫌を伺わねばならぬ。100万石の大老に成ろうが前田のようにより大きな者に虐められる。将軍まで上り詰めようがその上には朝廷だ。決して自由には成れぬ。我ら忍びは各々の忍び集団の長になれば自由だ。末端の忍びでも長がたまに命ずる課題さえこなせば普段は自由だ。」
成る程。大企業の社長でも所詮は労働者だ。大株主の機嫌を損ねれば首が飛ぶ。小なりと雖も独立自営業のほうが性に合う人間も多いだろうな。
「成る程、自由か…で、どうだ、『菊屋』の調べはついたか?」
「うむ。たしかに寺泊に『菊屋』と云う商人が居る、いや居た。溝口秀勝が野武士に襲撃されて危ない処を『菊屋』の私兵に救われている。だが堀秀治がこの『菊屋』を吟味もせず一揆の首謀者の一人として死罪としたので溝口秀勝が力ずくで救出、今も新発田に居るようだ。溝口秀勝が新発田に転封された時の事だから、8年ほど前の話だな。」
8年前か。8年もずっと疎遠なのに、家康は堀の与力に溝口を付けたままで上杉領への侵攻を指示していたのだな。やはり越後の事情に家康は疎いか。
「北隣の村上頼勝との関係はどうなのだ?小太郎。」
「村上と溝口は似たような経歴で堀の与力にされているからな。村上は堀よりも溝口のほうが同輩としての意識が強い。まあ、堀秀治の器では溝口や村上は荷が重かろう。」
溝口も村上も戦国から安土桃山時代を生き抜いた強者だ。だからこそか、史実では関ケ原合戦後に家康が言いがかりを付けて村上も改易している。上杉領への侵攻を家康に指示されていながら実行できていないので両者共に内心不安を抱えているはずだ。これは溝口だけでなく、村上も一組で調略したほうが良さそうだな。
「ん?小太郎、伏木港に入るのではないのか?」
「いや、どうやら海の具合が良いのでこのまま越後へ向かうようだな。」
「そう云う事もあるのだな…お、小太郎、あれに見えるのが親不知・子不知の険なのか!」
「うむ。その通り、あの断崖の下の波打ち際の細道だ。」
「波打ち際?道など無いではないか。」
「あれで道なのだ。崖際にわずかに有る砂地を波に飲まれぬように素早くすり抜け次の岩場に駆け込まねばならぬ。しかし治部よ。お主、以前に親不知・子不知を通過している筈だが、覚えていないのか?」
しまった、三成は太閤検地で全国を走り回っている。当然、親不知・子不知も通っているだろう。
「ん…い、いや、昔のことでよく覚えておらぬが…もっと簡単に通った気がしたが。」
「はぁ………呑気な奴よのう。それは恐らく景勝の指示で人垣を作り波を阻んでお前のために楽に通れる道を開けたのだろう。ろくに周囲も見ておらぬのか。」
「そうだったのか。考え事をしていると、つい…な。」
現代では崖に張り出して海上高架橋で北陸自動車道が通っているので崖の上に道が有ると勘違いしていたが、波打ち際の崖にへばりついて通り抜けねばならないとは。
「待ち伏せされたら軍勢など通れそうもないか…」
これは北陸方面軍が越後に取り付くのは骨だな。上杉謙信の越中方面への進出が遅れた遠因かもしれぬ。
親不知・子不知の険を右手に見つつ船は越後沖に進む。
「お、あれはもしや勝山城ではないか?」
越後に入ってすぐの沿岸寄りに城がある。勝山城は上杉景勝が豊臣秀吉に臣従するときの交渉が行われた城で豊臣方の担当は他ならぬ三成だ。
「流石に勝山城は覚えて居るのだな。」
「ああ。」
直江兼続と初めて会ったのも、あの勝山城だ。恐らく今は堀秀治の手勢が守備しているのだろう。
そのまま船は北東へと進み鳥ヶ首岬を回り込む。その先、今の上越市付近にある多数の城塞郡を一纏めにして春日山城と呼んでいる。
「治部よ、大谷刑部の船が有って良かったな。」
「確かにな。陸路だと、真田を頼みに沼田から魚沼に抜けねばならぬ。上田から沼田へは険しい山中だ。中間に岩櫃城があるとは云え、儂(三成)の足ではのう…」
「ふっ。津軽為信にその道を示しながらよく言うわ。」
「儂(三成)はもう武将の真似事はせぬのでな。この調子なら明日には新発田に入れよう。小太郎にも同席して貰うぞ。」
小太郎が頷く。
溝口秀勝か。軽い気分で物のついでと思っていたが親不知・子不知を考えれば意外に北陸方面の鍵を握る男やもしれぬ。




