33 9月28日 肥前国長崎 飽の浦 荒木宗太郎邸 申〈さる〉の刻(午後4時ごろ)
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隈本から島原に渡り、此処、長崎の荒木宗太郎邸に来ている。
長崎には二人の豪商が居る。末次政直(平蔵)と荒木宗太郎だ。
二人共南蛮貿易を手掛け、とくに荒木宗太郎は自ら朱印船に乗り込み東南アジアに足を運ぶ豪傑だ。後年、安南国王の娘を妻に迎える事になる。
この時期すでに平戸は廃れており、南蛮貿易はこの長崎が中心となっている。
「治部少輔様。遠路遥々、よくお越し下されました。」
小太郎に探らせたところ、末次政直は博多に出向いていて留守だったが荒木宗太郎はちょうど帰ってきていたので助かった。
「手の者を先に走らせたところ、ちょうど居られると判りまして参りました。以後、良しなに。」
「左様で御座いましたか。此処には年に半分も居りませぬので良う御座りました。」
「澳門は賑わっておりましょうなあ。荒木殿。」
この時期はまだオランダが東アジアに進出して居らず南蛮貿易と云えばポルトガル相手になる。ポルトガルはインドのゴアを起点に出発、澳門を中継地にして、東アジア各地で交易していたため澳門を抑える事は南蛮貿易を抑える事につながる。
「如何にも。堺や博多も商いが盛んとは云え、澳門は一桁違いますな。第一、寄港している船の大きさが違いますれば。」
「船が大きくなれば荷も増える。やはり当分は澳門か。」
「治部少輔様は澳門になにか御用が?」
「うむ。特に澳門でなくとも良いのだが、日ノ本に入ってくる硝石を暫くの期間買い占めたいのだ。」
「硝石。なるほど、徳川殿に火薬を造らせぬと。」
「左様。堺や博多で買い占めても、どうしても漏れが出る。根本の澳門で買い占めてさらに博多と堺でも買い上げれば徳川まで届く硝石は僅かになろう。」
「その通りですな。そして高騰した硝石を買える財力があるのは豊臣様だけでござれば、治部少輔様の狙い通りになりましょう。」
流石に荒木宗太郎、話が早い。
「さらに、荒木殿にはカルバリン砲二十門とカノン砲十門、それに伴う砲弾と弾薬を手配願いたい。カノン砲が難しければカノン砲を少数にしてカルバリン砲で埋め合わせても良い。」
カルバリン砲は南蛮船の自衛用に普及しているので入手は難しくないはずだ。カノン砲は砲弾重量がカルバリン砲の倍以上ある重砲でいずれカルバリン砲はカノン砲に駆逐される事になる。現代の野砲の御先祖さまに当たる。
「ほう、大砲で御座るか。されど、あれは固定目標、城や船を壊すには良いですが、野戦ではあまり意味がありませぬぞ。」
榴弾が登場するのは十数年後なので、現状では投石機のお手軽版だからな。荒木宗太郎の言う事も尤もだ。
「それは理解している。荒木殿は数ヶ月前にオランダ船リーフデ号が豊後に漂着した事をご存知であろうか。」
「リーフデ号。もちろん存じておりますぞ。」
「リーフデ号の装備も物資も船員も、全て徳川が横領して居りまする。その中にはリーフデ号の備砲、カルバリン砲が十数門有りますれば。恐らく江戸城は勿論、宇都宮城などの要衝に分散配備されておりましょう。迂闊に付け城を造ると…」
「成る程。同じカルバリン砲を前線部隊に届けておけば実物で射程確認ができる。そうしてカルバリン砲の射程外ギリギリに付け城を築けば良いと。」
「その通りで御座る。また、徳川方が何かカルバリン砲を使った奇策を用いた場合も同じカルバリン砲が有れば対抗策も容易かろうと。」
荒木宗太郎が然もありなんと頷いている。
「荒木殿にもう一つお願いが御座る。オランダ船、そしていずれ姿を見せるイングランド船と接触を持っていただきたい。」
「ほう?オランダとイングランド。オランダは未だしも、良くイングランドなどご存知でしたな。」
「今、近海までやってきているのはポルトガル船で御座るが、数年のうちにポルトガルは衰退しますぞ。その後は交易に特化したオランダと世界一の海軍力になるイングランドの時代になりまする。」
「! なんと、ポルトガルが衰退するので御座るか?」
「左様。すでに南蛮本国近海はイングランド海軍が覇権を握っておりまする。その影響が日ノ本近海まで届くのも間近で御座れば。」
「交易の相手がオランダとイングランドに変わるので逸速く手蔓を掴め…と。」
黙って頷く。
「…ふ…ふっはっはっ。治部少輔様は商い上手じゃ。この智見も此度の取引の対価の一部という訳で御座るか。これほどの事をご教授頂けた以上、否やは有りませぬな。大商いに成りますれば末次政直殿とも図って早々に動きましょうぞ。」
「有り難い。ご両所が動いてくだされば成就したも同然。天下泰平の後も南蛮との交易は疎かにはできませぬ。末永く良しなに。」
「此方こそで御座る。政の中心が皆、治部少輔殿のようであれば安心なのですがな。」
「全く。槍働きばかりに目が行き、交易を蔑む者が後を絶ちませぬからな。侍大将まではそれでも良う御座るが、国主がそれでは民が堪りませぬわ。」
「さて、難しい話はこれぐらいですかな。ならば先ずは酒じゃ。そちらの御方はお見受けした処、薩摩の御方では?」
「はっ。島津が臣、新納忠元ち申す。」
「おお、新納様の武名は此処でも聞き及びまする。ならば南蛮焼酎は如何かな?ブドウの焼酎、麦の焼酎…まあこれは薬用との事でさほど旨くはないが…。それから旨くも無ければ不味くもない、まるで水のような焼酎で御座るが南蛮諸国の遠く北の国の地酒も有りますぞ。」
「ならば儂も戴こうか。」
小太郎も割って入るようだ。俺(三成)はあまり酒に強くないので助かる。
「うむ。それが良かろう。これなるは風魔小太郎。今は秀頼様の目で有り耳で御座る。」
「おお、風魔殿まで。おい、ありったけの焼酎を全部出せ。中国の白酒もだ。」
「白酒?」
「さすがの治部少輔様もご存知ないか。白酒は中国でもめったに無い焼酎で御座る。古くから造られて居るようでは御座るが…。殆ど市場には出回って居りませぬ。」
「ほう、どれ一口………こ、これは強烈な………ん、されど微妙な味わいが残りまするな。」
話を振ってみるが小太郎も新納忠元も手当たり次第に飲みまくっている。
「やれやれ…これ、小太郎。まさかお主が酔いつぶれる事も無かろうが、先に報告を済ませたらどうだ?」
「酒が先だ、既に終わった結果は逃げはせぬ…が、まあ、言っておくか。取り敢えず長島城は無血占領した。福島正則が長島城の福島正頼(正則の弟)を清州城に引き上げさせた。長島城には予定通り小野木公郷が六千の兵で入り防備を固めている。」
「敗戦後でもあり、市松(福島正則)も抵抗は無理と悟ったか。」
「北陸にも予定通り、丹羽長重を先鋒、小早川秀包を主将とした一軍を出した。副将に毛利吉政も付いている。兵は合わせて二万八千程に成ろうか。」
二万八千。上杉に領内を掻き回されている越後の堀秀治だ。単独では手に余る大兵だろう。
「ほう、惟新斎様は関ケ原を挟んで南北でん戦線を作られたんじゃな。徳川には大封を食ん将が居らぬんで軍を別けにくかろう。」
新納忠元も徳川勢の構造的な欠点を認識している。過去、徳川勢は常に家康が居る戦場で功を上げてきている。家康不在の戦場では第一次上田合戦のように普通に惨敗も有る。島津義弘も家康が一人しか居ない欠点を突いてきたか。
「その通りだが、黒田長政と藤堂高虎、それに池田輝政が家康に全てを掛けている。彼らの何れかが別働隊の長となり援軍に出るだろうな。或いは…」
「或いは?」
「思い切って東海道を関東まで引くやも知れぬ。」
「ないごて東海道?」
「それは、清州城の三十万石の米。これが無くては徳川勢の再びの西上は叶わぬ。」
「ふん。他人の米を持ち去っ算段とは情けなか。」
「ふむぅ。治部殿、それを福島殿が是と致しますかな?」
珍しく荒木宗太郎が割り込んできた。当事者で無くとも気になる部分なのだろう。
「…正直、この治部にもどう転ぶか分かり兼ねまする。野生の猪のような者で御座れば。」
………暫し沈黙が場を支配する。
「野獣の心配をしても埒が明くまい。次に行く。」
小太郎が話題を変える。
「上杉の直江兼続だが、山形城を攻め倦んでいる。」
これは意外だ。山形城はさほどの要害ではない筈だが。
「どういう事だ?」
「一つは兼続の率いる兵が今ひとつ統制を欠いている。」
成る程。やはり兼続の兵は浪人衆の寄せ集めか。主力は上杉景勝の手元に残してあるのだろう。
「もう一つは最上義光の奮戦だな。千丁も有ろうかと云う鉄砲を駆使して上杉勢に出血を強いている。」
「なに?最上が千丁も鉄砲を保有しているだと?」
この当時でも東に行くほど鉄砲の入手が困難で装備率が下がるのが実情だ。東北でも出羽はかなり奥地なので最上氏の規模で千丁の鉄砲装備はかなり異常と言える。
「ああ。これには皆見事に騙されていたな。儂(小太郎)も驚いた。そして…」
まだ有るのかと皆が小太郎の発言に注目する。
「ふっ。そしてだ、伊達政宗はほぼ全軍を率いて南部に攻め込んだぞ。」
「なんだと?南部は一応は東軍の立場だろうが?」
「あの暴れ馬がそんな些事を斟酌するものか。西軍が家康を跳ね返しつつ有る今、政宗は家康など全く宛にして居るまいな。」
伊達政宗が本格的に独自の動きをし始めたか。これは良い方向に転ぶやもしれぬ。
口の端が緩む俺(三成)をニッと笑って見返す小太郎。
目が会ってしまい、慌てて顔を引き締めるのだった。




