32 9月26日 肥後隈本城外 申〈さる〉の刻(午後4時ごろ)
「見えてきましたな。忠元殿。あれですか。」
島津義久が付けてくれたのは老将ながら重鎮の新納忠元だ。義久の祖父の島津忠良から仕えている生え抜きだ。
「そうど。まだ本丸付近しかできあがっちょらんが、わっぜ大規模な城になりそうど。」
城の完成後には隈本から熊本に改名される事になる熊本城。現在は後世の西南戦争で威力を発揮した石垣などはまだ未完成で本丸付近の作事の途中に過ぎないが、かなりの規模である事は判る。
「築城は或る意味で数奇の側面が有るとは申せ、清正はいったい誰と戦う積りで築城しているのか、領民の負担が思いやられますな。」
防衛力としては殆ど意味がない施設だが、松永久秀が初めて造ったと云う天守もこの時代では多くの大名が採用するように成っている。実用以外の意味が城に込められる時代になりつつ有った。
「ふふ。治部殿らしい見立じゃ。そう言えば治部殿ん佐和山城は実用重視で装飾は殆ど無かとか。」
「左様。壁土の藁もいざと成れば食えるように配慮し、空き地には矢竹を植え、深井戸には力を入れまして御座る。」
「実戦一本槍ん縄張りで御座っか。」
話す間に城に到着する。来訪は知らせてあるので門前には完全武装の武将と兵が大量に待ち構えている。
「こんた大仰なお出迎え、痛み入っ。島津が臣、新納忠元で御座っ。これなっは従五位下、治部少輔 石田三成殿。加藤清正殿と談判に罷り越した。取り次がれたし。」
戦場仕込みの大音声で新納忠元が口上を述べる。
新納忠元の名を聞いた清正の家臣に動搖が広がっていく。
(流石、忠元殿。勇名が轟いて居りまするな。)
(なんの、虚名でん使いよう次第で御座っ。)
暫く待つと奥から一人の重臣らしき男が現れる。
「ご丁寧なご挨拶痛み入る。某は加藤清正が臣、飯田直景。覚兵衛とでも御呼び下され。主清正が茶を馳走したいと申しておりまする。此方へ。」
茶室か。事実上の密室だ。双方護衛の兵は伴えない。恐らく清正側も重臣一人だけが相伴するはずだ。だが茶室の周囲は加藤兵で固められていようし茶室内でも、俺(三成)の武力など無いに等しく、事実上の2:1だ。談判が不調に終われば即座に打ち取る腹だろう。
躙り口をくぐって茶室に入る。武器は脇差一本だ。新納忠元も同様に茶室に入る。
亭主は清正が自ら務めるようだ。三人だけで他は居ない。俺(三成)の武力が皆無な事を知っている清正が武力の釣り合いを保ったのか。
「治部少輔相手に茶を点てるのは烏滸がましいが、我慢してもらおう。酒という訳にも行かぬしな。」
黙って頷く。だが一向に茶を点てようとしない。真正面にどかっと座り感情を殺した目でじっと見てくるだけだ。
…
…
…
「ふん。大戦の陣頭に立って多少は肝も座ったようだな。…で話は何だ。内容次第では新納殿共々此処で消えて貰う事になる。」
「…どうする積りなのだ、主計頭(清正)」
「?今更だな。治部少輔に与みする筈もなかろう。」
「そんな事は訊いておらぬ。秀頼様をどうする積りか?と訊いておる。」
「秀頼様………?」
「当然だろう。我等は太閤様の子飼い。秀頼様に忠を尽くす以外に何が或る。」
「…それは…勿論だ。」
「主計頭(清正)の今の行いを本当に秀頼様の御前で胸を張って報告できるのか。」
「…内府(家康)は秀頼様の君側の奸を誅すると…」
「市松(福島正則)ならばまだしも主計頭がそのような戯言を真に受けた…と本気で云うのか?」
「…秀頼様の摂政が奉行から内府に変わるだけだ。秀頼様への忠義は関係なかろう。」
まっすぐに清正の目を見る。清正が僅かに目を外らせる。
「本気でそう思うか?」
「…内府(家康)とて、後の世の評価も気になさろう。そうそう秀頼様に無体な事は致すまい。」
「すでに前田殿と上杉殿には無体を極めて居るが。」
「………」
加藤清正は上杉攻めを諫止する直言を家康にしている。家康の行いが筋違いだと理解はしているのだ。
「そうだ、忘れていた。文を預かっていた。これは島津義久殿から。そして、これが高台院様からだ。」
「………高台院………様。」
震える手で清正が文を読み始める。高台院の手紙の内容は家康が豊臣家を滅ぼす腹だと云う事の筈。これでも家康に与みすると云うのであれば、俺(三成)の清正像が根本的に間違っているという事だが………。
「………佐吉。何時から気がついていた?」
「気が付いたのではない。小牧の役以後ずっと徳川を監視していた。家康は最初から豊臣家に臣従する気など無い。腹の底ではな。」
「太閤様に注進しなかったのか?」
「注進する迄もない。太閤様も元よりご存知の事よ。蒲生(氏郷)殿を会津に据えられたのも家康を牽制する為。東海道を豊臣恩顧で固めたのも家康の西上を抑える捨て石にする為。清州城の三十万石の米は徳川を攻める時の為の備蓄米だ。太閤様が最も信用出来る子飼いの将に託した筈…だったのだがな。」
「…太閤様はなぜ我等に教えてくだされなかったのだ………。」
「教えられる筈が無かろう。言えばお主達は家康と太閤様の間を取り持とうとするに違いないからな。そんな事をされてみろ、家康に太閤様が気を許して居られぬ事が露見してしまうわ。」
…
…
…
沈黙。この期に及んで、まだ踏ん切りが付かぬのか。いや、何をしたら良いのか、何もせぬが良いのかすら見極められぬのだろう。
「………高台院様の達ての願いと雖も佐吉や弥九郎(小西行長)と轡を並べて戦う事など出来ぬ。」
やれやれ。これには同席している新納忠元も呆れ顔だ。
「ふん。左様な事など端から期待して居らぬわ。」
清正がぎょろりと目を怒らす。
「なに?佐吉は儂等を嬲りに来ただけとでも云うか!」
「たわけ!最初から言うて居ろうが。秀頼様を如何致す………と…な。」
…
…
…
「まだ判らぬかっ!疾く大阪城に詰めて秀頼様の御指示を仰がぬかっ。秀頼様の御下命であれば、なんら迷う事も無かろうがっ!」
一瞬で清正の顔から怒気が失せる。阿呆のように口を開けて固まっている。
暫く固まっていた清正が漸く動き出す。
「くっ…くっくっ。成る程その通りじゃ。最初から誰の云う事も聞かず大阪城に詰めれば良かったのだ。前田殿が詰めれなくなったその時にな。」
前田利家は自分の死後、長男の利長には八千の兵で大阪城に詰めよ、次男の利政には同じく八千の兵で国元で待機せよ…と遺言したと云う。だが前田利家室のまつが家康を恐れ自ら人質となって屈してしまった為、利家の構想は崩れ去った。
この時利長の迎撃論をまつが邪魔しなければどう転んだか。豊臣武断派諸将は利家に非常に近かったので少なくとも加藤清正・福島正則・加藤嘉明などは前田家に与した可能性が高い。黒田長政や藤堂高虎にせよ、堂々と前田攻めに加わる事は憚られただろう。何より、清州城の軍用米が使えない。家康の構想は此処で頓挫していたかもしれないのだ。
「ふう…やっと判ったか。ならば用は終わった。もう貴様(加藤清正)と会う事も無かろう。さらばだ。」
「待て。佐吉はこれから中津城(黒田如水の城)へ向かうのだろう。文を書くから持ってゆけ。」
黒田如水は清正を取り込むべく交渉していた。如水に大阪城へ出仕する報告を書くのだろう。
これでなんとか目的は達成した。清正を西軍に取り込めれば最高だが、それは根本的に無理な話だ。文禄の役と慶長の役で決定的となった清正達との溝は、たとえ高台院様の嘆願があろうが埋まりはしない。
ならば清正が中立で有れば良いかと云えば、それでは不足だ。肥後に清正の軍勢が丸々残っていては島津も小西も全力動員が出来ない。清正の兵は安全な場所に隔離せねばならないのだ。
………
………
「やれやれ。なんとも頑固者で御座っな。加藤清正どん。」
「事は幼き頃よりの確執で御座れば、いまさらどうにも成りませぬ。」
「次は中津城でよろしかね?」
「いや、その前に肥前は長崎へ寄りまする。そこで一仕事有りますれば。」




