29 9月21日 大阪城 毛利屋敷 戌〈いぬ〉の刻(午後8時ごろ)
新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
豊臣時代の大阪城は日本式の他の城郭(除く、北条氏小田原城)と異なり、中国の城のような都市を丸ごと総構に取り込んだ巨大な城だ。現代の大阪城公園、森之宮、玉造、法円坂、上町、谷町、久宝寺、内平野などの大部分が総構の内側になる。
その総構北東の1/4ほどの面積を囲んで巨大な外堀(水堀)が構築されており、その中に大阪城の各郭が設けられている。
豊臣につらなる各大名屋敷も大阪城に有るのだが、三成は佐和山蟄居からそのまま挙兵したため、大阪城内に拠点が乏しい。
そのため、安国寺恵瓊の計らいで毛利屋敷に身を寄せている。
「恵瓊殿、居候させて戴き忝い。」
「なんの、此処までくれば豊臣と毛利は最早一心同体、何の遠慮も要りませぬぞ。しかし、上手く七手組の兵権を取り上げましたな。」
「なに、伊東長次や青木一重からすれば、大阪城で忍び働きをする事が大事。此処に居座れれば良いと思っているのですんなり運んだ迄の事。本気で豊臣として戦いたければ、ああも簡単に兵権は手放しませぬわ。」
「ふぉ、ふぉ。彼等の行動それ自体が正体を現して居りますな。ま彼等は最早何も出来まいて。それより先ずは飯と酒じゃ。」
「確かに。腹が減っては戦が出来ませぬな。ん?小太郎か。小太郎も相伴するが良い。」
「…」
いつの間にか恵瓊と俺(三成)の中間やや後ろに小太郎が座り、恵瓊の徳利を掠め取り手酌で飲んでいる。
「ほっ、そなたが当代の風魔小太郎殿か。流石の技前よのう。今日からは我が毛利の座頭衆や世鬼衆とも良しなに頼みますぞ。」
小太郎は軽く会釈するのみだ。
「こういう性で御座ればお許しくだされ、恵瓊殿。」
「なんの、陰働きの者ならばこの程度の気骨がのうてはのう。頼りになりそうじゃわい。じゃが酒だけでは体に悪かろうて。これ、誰かある、もう一膳手配せよ。」
「で、小太郎。わざわざ気配を示したからには、加賀の前田の事よな?」
「前田勢は吊り野伏りに嵌り壊滅した。」
「やはりな。前田利長殿は如何した?」
「敗兵二千ほどと共に投降した。重症だが命に別状はない。」
「それは良かったですな、治部殿。」
「恵瓊殿の言う通りだ。利長殿が討ち死にすれば能登の利政殿とて西軍に良い顔も出来ぬ事になる。が利長殿が投降したとなれば、前田は中立に成らざるを得ぬ。」
「然り。これで北陸方面では越中から越後をうかがう事も出来ますぞ。」
「恵瓊殿は気宇壮大で御座る。それもこれも一度は秀忠殿の徳川本軍を撃退してからだが。」
「勿論じゃ。されど、上杉殿を関東に向かわせるためにも越後の堀殿には早々に退場願わねば成らぬのでは?治部殿。」
「確かにそうなのだが…軍配は島津惟新斎殿に預けた以上、口は出さぬと決めて御座る。」
「ほぅ………治部殿は随分と我慢が効くように成られましたな。」
「………で、小太郎、他には?」
「島津が本格的に徴兵を始め、すでに一部が宇土の援軍に出ている。鍋島も国境に兵を出して固め、柳川の立花留守居と気脈を通じている。」
宇土には肥後南半国を領する小西行長の居城がある。史実でも加藤清正(肥後北半国)の攻撃を受けているが、島津の援軍が入ったとなると、清正も最早動けまい。
鍋島直茂も西軍として腹を括ったようだ。これで如水殿も大きく包囲されてしまい臍を噛んでいよう。元々黒田の主力は息子の長政が率いて関ケ原へ持って行ってしまっている。今如水殿の手元にある兵は浪人、それに豊後の西軍の城を接収した時の留守居の老兵などの寄せ集めだ。正面から野戦を挑める軍勢ではない。清正を先鋒に使う腹積りだったはずだが、宛が外れた思いだろう。
どうやら、俺(三成)の九州行きは間に合いそうだ。
「酒田が上杉の臣、志田義秀、最上川沿いに急進して寒河江城・白岩城を抜いた。」
「なんと、寒河江城と言えば山形城のすぐ北近く。酒田からでは無理をして三千が程であろうに。上杉の志田義秀殿とはそれほどの猛将だったかのぅ、治部殿。」
「最上義光、恐らくは兵の多くを山形城に集中しようとしたので御座ろう。山形城の裏口に当たる北側はほぼ空き家同然だった…そうではないのか?小太郎。」
にっと笑った小太郎が頷く。
「最上は恐らく長谷堂城の要害で上杉主力を支える腹積り。長谷堂城は要害で容易くは抜けませぬ。それに伊達も上杉に嫌がらせをしましょうな。上杉勢を関東に向けるには、まだまだ手札が足りませぬ。」
「やれやれ。治部殿は全く別人のようじゃ。儂(恵瓊)のほうが手綱を引き締められるとはのぅ。」
「甘い見通しは許されぬ相手で御座れば。」
「まあのぅ。じゃが、志田義秀殿当人に出会った折りはしっかり称賛なされ。」
恵瓊の言葉に頷く。そうなんだよな。今までの三成はこういう当たり前の事が出来ていないのだ。
「伊達の主力は和賀忠親支援のため北上。南部領侵略に向かった。」
何?これは史実とは少しズレてきている。史実では一揆を扇動はしたが直接手を出しはしなかった。何らかの手段で関ケ原で東軍が攻めあぐねている事を掴んだな………。
「…よし、ならば伊達の主力が北に去った事を直江兼続に教えてやれ。牽制に出てきている伊達の軍勢は三千のみで増援は無い…とな。」
今頃最上の長谷堂城を攻めている上杉家重臣の直江兼続は伊達の牽制に足を止められ動けずにいる筈だ。伊達の増援が皆無と判れば伊達を無視して最上攻めに集中出来よう。
しかし直江兼続も案外だな。諸葛孔明と同じで本質的には政治家か。軍略はあまり得手では無いのかもしれぬ。
最上は全軍でも七千ほど。兵を集中し切れておらず、山形城には三~四千しか居ない。兼続の手元に二万五千も兵が有るのだから千数百しか籠っていない長谷堂城など、抑えの兵を五千も置いて主力は山形城を直撃すればいいのだ。
山形城は規模こそ東北最大級だが平城でさほどの要害ではない。堀も一通りはあるが大阪城のような巨大な堀とは違う。普通に兵力差で押し切れるだろう。
「如何なされた?治部殿?」
いかんな。直江兼続への不満が顔に出ていたか。
「いや。これで上杉も、苦戦はしましょうが出羽を平定出来ましょう。先ずはそれからで御座る。上杉殿は。」
やはり上杉はあまり宛には出来ぬな。関東に打ち入ったなら儲けものぐらいに考えておかねば。となると、佐竹の支援は………やはり奴を使うしか無いか。




