22 9月18日 北天満山、中島氏種陣中 風魔 未〈ひつじ〉の刻(午後2時ごろ)
”治部少輔…殿”
「おっ。そ、そこか。もしや、小太郎? 当代の風魔小太郎殿なのか?」
”是”
「本当に来てくれたのだな。」
”豊臣なれば”
「無論だ。秀頼様に馳走してほしい。俺(三成)は申次にすぎぬ。だが、十分な報酬と装備や資材の調達、一族の者の安住の地はこの治部が請け負う。」
”治部殿の言葉に二言無しと聞く”
「うむ。儂(三成)は嘘や甘言が言えぬ性なのでな。」
小太郎の口の端がわずかに歪む。笑ったのか?
「先代殿はご健勝なりや?」
風魔小太郎は個人名ではない。伊賀の服部半蔵同様の、代々の頭領が名乗る通り名だ。小田原の陣で相対した小太郎は先代の筈だ。
”高齢なれば”
「然も有ろう。小田原の陣から早十年か。」
”………”
「今、我が方は間諜が入り放題だ。風魔には先ずは防諜をお願いしたい。七手組の青木一重が徳川の間諜である事は既に判っている。同じく大阪城の増田長盛が二股膏薬である事も知っている。」
意外だったのだろう、僅かに小太郎の顔色が変化する。
「彼らは反間として利用するので泳がせてくれ。他の間諜は闇から闇へ。」
”諾”
「次は索敵だ。この関ケ原周辺の敵状は勿論、薄くはなろうが日ノ本全体の諸勢力の動きが知りたい。」
当たり前と考えているのか小太郎に変化は無い。
「特に、淀の方様とその周辺、高台院様(秀吉正室のねね、北政所)とその周辺は手を抜けぬ。」
小太郎が頷く。やはり小太郎にも既に気になる節が有るのだろう。
「次いで岩村城の田丸直昌殿に繋ぎを頼む。中山道の補給路を襲い、殊に火薬を狙うように伝えてくれ。物資の運搬は難しかろう故、金も届けてもらう。」
小太郎の反応に僅かに間が生まれる。田丸直昌は意識の外だったようだ。
「最後が遠江久野城の松下重綱殿だ。加藤嘉明に連なる者だが加藤嘉明が蓄電したので所領に戻っていよう。太閤様は若かりし頃松下之綱殿の下に有った事もあり、松下重綱殿としても最早東軍に居場所が無かろう。久野城は運良く海にも近く太田川も利用出来るので、飛び地なれど我が方から補給が出来る。九鬼殿から手当して戴く事も伝えてもらえばお味方戴けよう。当然、東海道からの火薬の補給を阻害して戴く。」
さすがの小太郎も、松下重綱は全く予想外だったようで、意表を突かれたのが顔に出ている。
「これで漸く、東海道も中山道も補給の妨害が出来る態勢が整う。この戦は長引く。…いや、長引かせねばならぬ。」
”家康殿の寿命が尽きると?”
「家康の命を縮めることは出来ぬ。だが、補給を嬲る事は出来る。火薬が尽きれば戦は出来ぬ。」
”戦働きは如何に?”
「おお、そうだったな。風魔は戦働きもこなすのであった。可能なれば、徳川の補給路を襲ってもらいたい。が、無理なれば引け。風魔の人数は替えが効かぬ。一人たりとも失わぬように留意いたせ。新しい里は、我が領内で適地を選ぶが良い。」
”佐和山でも?”
「構わぬ。」
小太郎がにやっと笑い消える。
かなり癖のある忍びだ。だが見かけによらず風魔は義理堅い。敗北必至の小田原北条氏であっても、最後まで寝返る事はなかった。なにより、大勢力になっている家康の伊賀者に対抗できるのは、風魔しか思い至らない。
「治部殿、だれか居られるのでしょうや?」
「中島殿、今少し早ければ顔合わせ致せたのだが…予てより求めていた風魔の棟梁、風魔小太郎が来ていた。」
「なんと!あの北条の風魔でござるか!」
「ああ。これで中山道も普通に伝令を出せるようになる。我が方は防諜に難が有ったのだが、やっと互角に戦えますぞ。」
「忍びの手配まで…それも補給の一環でござるか………」
「はっはっ。如何にも。秀頼公への補給でもありますな。」
「どうも、治部殿のお傍に仕えてから、補給と云う物がやっと判ってきた気がしますぞ。斯様に幅広い物であったとは。」
「何れ中島殿には大阪城へも同行をお願い致すやもしれませぬ。補給を阻む者の動きを阻止せねばなりませぬので。」
「何?大阪城?まさか、内応する者が?」
「左様。されど今はお胸の内に沈めておいてくだされ。」
中島氏種が頷く。
「されど治部殿。われら二人が大阪に戻ってしまうと此処の補給に障りが出ますぞ。」
「然り。されば、毛利秀元殿の一件が終わってからですな。秀元殿が動けるようになれば、長束侍従(長束正家)が動けるようになりまする。長束侍従であれば此処を任せられましょう。」
「成程。そうなれば安国寺殿も動けるようになりますな。」
そうだ、安国寺恵瓊を忘れていた。毛利輝元を直接的に動かしたのは恵瓊であり、完全に西軍に賭けているので安心だ。むしろ、恵瓊を大阪城の重石に置いておくべきなのか…使僧の経験が長く、癖の強い淀殿とも衝突せずに流せるだろう。恵瓊自身も前線より後方勤務のほうが適任でもある。あとは………
「小太郎!」
”これに”
「すまぬ、もう一つ頼まれてくれ。薩摩の島津義久殿に風魔の手の者で今までの此処の状況を知らせて欲しい。」
”?”
「惟新斎(島津義弘)殿から当然知らせは届いている。それは判っている。それでも風魔の手の者が義久殿に目通りする…それ自体に意味が有るのだ。判るな?」
”成程…義久殿の背を押せと”
黙って頷く。それを見て小太郎が消える。
「じ、治部殿、今のが風魔小太郎…殿………」
「左様。流石に頼りになりそうで御座るぞ。」
冷や汗を流しつつ中島氏種も頷くのだった。




