19 9月17日 北天満山、宇喜多秀家本陣、軍議 戌〈いぬ〉の刻(午後8時ごろ)
中島氏種と今夜も軍議に来ている。参加者は昨夜と同じで、やはり吉川広家も図太く参加している。
「概ね集まられたようだが、暫くお待ち戴きたい。もう御一方すぐに参られる。」
宇喜多秀家が新たな参加者が居る事を告げる。
吉川広家の顔に焦りが見える。大方、毛利輝元の着陣を恐れているのだろう。
「遅くなり申した。夜道は迷いやすいですな。」
「な、鍋島(勝茂)殿が何故に!」
吉川広家が驚いて居る。鍋島直茂を通しての中立化までしか情報を持っていないのだろう。すでに関ケ原本戦が始まったので家康も安心して鍋島勝茂から監視の目を外したようだ。
「実は、父、直茂に数日様子を見よ…と止められて居りましたので。されど、先日治部殿から『とりあえず戦場を直に見られよ…』と手紙が来ましてな。見るだけであれば問題ないので烏頭坂付近から拝見して居ったのです。 」
鍋島勝茂と目が合ったので目礼する。今日の戦いは完勝だった。あれを見て西軍にも十分勝ち目があると判断してくれたのだろう。勝茂であれば国元にも知らせを送ったはずだ。これで鍋島直茂も西軍として動き出す目が出てきた。
「し、しかし…その、お国元の事情は宜しいのでしょうや…。」
広家が悪足掻きして思い止まらせようと呟くが言葉に力が無い。
「肥前は遠く御座る。国元ではなかなか戦の状況が読めませぬので様子を見るように云われていただけで有れば。一目見れば西方優勢は明白。聞く所では秀忠勢三万四千が遅延しているとの事なれど、東方の与力の過半は士気が失せているのは明らか。あれでは使い物に成りますまい。」
どうやら物見も放って田中吉政や浅野幸長などの部隊も調べたようだ。おそらく、大垣城と現在の西軍が依る堅陣も確認済みだろう。西軍に加担した場合と、逆に家康側に付いたとして西軍のこの陣を突破出来るか?と考えた場合の2つを天秤に掛け、東軍に乗るのは無理だと判断したか…。
「見事なお覚悟。そういう事であれば大歓迎で御座る。儂も些か国元が心配だったので兵の3割ほどを残してきている。肥前の直茂殿がお味方になれば儂も安心出来ると言うもの。」
肥後南半国を領する小西行長だ。行長は北隣で不仲の加藤清正に備えて兵を割いている。六千は動員出来るが四千しか連れてきていない。その清正の更に北側の肥前が西方になれば、清正も迂闊に動けない。
「南宮山の向こうの状況が此処からでは不明なれば、どんな様子でしたかな?」
大谷吉継が尋ねる。皆気になっていた事なので勝茂に視線が集中する。
「さて、何処から話せば良いか…。まず不思議な事は毛利秀元殿ですな。南宮山山頂付近で留まっており、様子見されているように見受けまする。山から降りるだけで一時は必要であれば。」
これは皆知っていることなので黙って頷いている。
「その秀元殿の抑えの体裁なれど、あまり意味が無さそうな場所に浅野幸長殿の軍勢が居ましたぞ。その横に田中吉政殿の小勢。さらに筒井定次、山ノ内一豊といった、太閤様と縁の深い諸将が列べられて居りまする。」
前線に出しても部隊の保全に走り、本気で戦いそうも無い豊臣恩顧の諸将を家康が下げたようだ。
「南宮山北側までは見れて居りませぬが、堀尾忠氏殿の五千程が西に移動して行く所で御座った。」
堀尾忠氏は史実では確か、長宗我部盛親の居た場所のかなり北東寄り、大垣城との中間付近で待機していたはずだ。後方の部隊と豊臣恩顧の諸将を入れ替えているのか。
「堀尾忠氏殿に遅れて中村一忠殿の四千ほども続いて居りましたな。」
中村一忠はこの関ケ原本戦が始まる直前、島左近が宇喜多勢と共同で叩いて杭瀬川で凹ませている。そのため、四千五百が四千に減っているのだ。
「その付近には、池田輝政の軍勢が居たはずで御座るが?」
俺(三成)が尋ねる。池田輝政は心底東軍に掛けているので戦意は落ちていない。浅野幸長のように家康に懸念を抱かれる立場でもない。
「池田輝政殿は見かけませなんだ。既に西に移動したのかも。」
小早川、福島を取り除いても、まだまだ東軍の陣容は厚い。お互い攻めに出るのが難しい睨み合いになりつつ有るのが判る。東軍には、まだ他に大垣城を包囲している水野勝成、松平康長、西尾光教といった連中も居る上、そろそろ津軽為信も着陣しているかもしれない。
「我が陣営も充実してきているが、敵もまだまだ小揺るぎもして居らぬ。目先の戦況に一喜一憂せず、腰を落ち着けて戦う事が肝要と存ずる。」
宇喜多秀家が総括し、諸将も頷いている。
「如何にも。時を経れば上杉殿が遅かれ早かれ関東を伺う事となろう。時は我らに利がある。」
毛利元康の見解だ。間違いではないが、上杉が独自の判断で行動し辺境で割拠しようとしている事までは見えていない。尤もそれは致し方ない事で、紀之介(大谷吉継)ですら俺(三成)が知らせるまでは西軍と連携した行動に出ると信じていたのだから。
だが、元康の誤解は此処では良い方向に作用したようで、吉川広家に焦りの色が浮かんでいる。
「では明日以降もこれまでん策を続けて粘り強か戦を行うこっでえね。鍋島殿が着陣されたで一部、陣変えをすっに留むっでよかね。」
島津義弘が明日の方針を宣言、軍議を終える。
「中島殿。一つ考えが浮かびましたので、残っていただきたい。元康殿と話を致したく。」
吉川広家が去るのを確認後、改めて毛利元康に声を掛ける。
元康が頷き中島氏種と3人で陣を出かけるときに後ろから声が掛かる。
「何やら面白そうな成り行きですな。儂も混ぜてもらいますぞ。」
(陰の声)あまり日時を過ごすと前田利長が再び一万数千を引き連れて出て来るのだが…




