14 9月16日 北天満山、中島氏種陣中 未〈ひつじ〉の刻(午後2時ごろ)
横陣の北側、石田隊、小西隊、宇喜多隊の正面に東軍が寄り付いている。
浅野を中心に筒井と田中隊だ。
「中島殿。田中隊は此処暫く出続けて居りますな。」
「そう言われれば、交代はしておりませぬ。」
やはり、紀之介(大谷吉継)の言っていた通りか。田中吉政は馬鹿ではない。守備側ならまだしも、防御陣地に拠る相手を単純に攻めされられているのだから今頃は自隊をすり潰す家康の狙いにも気が付いている筈だ。だが東海道筋で家康に組した連中の城はすでに徳川に明け渡していて、いまさら帰る場所も無い。戦功も挙げられず単純に消耗させられる。仮に徳川が勝利したところで戦後は減封されて辺境飛ばしが見え見えだ。
「まあ、自業自得か。」
「?」
「いや、哀れなものだなと、思いましてな。」
「確かに。治部殿の思われる通り、ただ勝てそうな側に付けば良い…そういう物では無かったのだ…と今頃臍を噛んでいるでしょうな。」
根本的に、仮に戦功莫大で大封を得たところで、徳川がそんな外様を放置する訳がないのだ。時間をかけて難癖付けては減封されてしまうだろう。まあ、それは伊達も黒田如水、そして上杉も同じだが。
「お、治部殿、本当に筒井と加藤が入れ替わりまする、刑部殿が言われた通りですぞ。」
そして田中隊はまだ放置か。とは言え、田中隊はもう地面にへばりついているだけだな。
「只そこに居るだけの田中隊など、もう問題無いですな。宇喜多隊と小西隊の間に出て、加藤嘉明隊から良く見えるように、機を見て旗を掲げてみましょう。」
中島氏種を伴い敵からも見える位置まで進出する。戦場の中央に近い場所で五七桐の旗を見せ付けられた加藤嘉明がどういった行動に出るのか、ちょっと予想ができない。これが北の端、石田隊に接触するなら北の山に一時退避も出来ようが、敵味方衆人環視の中では誤魔化しようがない。
「治部殿! 加藤嘉明隊来ます!」
「今だ、中島殿、加藤隊の進路正面に旗を!」
数十の白地に五七桐の旗指物が揚げられ中央には総金無地の大旗も振られている。
総金旗はさすがに無理かと思い話に出さなかったのだが、中島氏種が以心伝心で使用してくれたのだ。これは借りが出来てしまったな。
旗を確認したのだろう、加藤嘉明隊が突撃を中止しその場で止まる。………両軍凍り付いたような沈黙………その凍結が溶けた瞬間、左旋回、やおら伊勢街道めがけて去ってゆく加藤嘉明隊。これには南側の敵味方諸隊、長曾我部や井伊はもとより、盟友の福島勢も呆然と見送ってしまう。
「…中島殿、旗を降ろして下がりますぞ。」
「…あ、ああ、そうでした、いつまでも出すのは宜しくないですな…。」
旗を収容した中島氏種と自陣へ戻る。道中、総金無地の大旗の礼を言う。
「なに、指物を掲げるなら五十歩百歩ですからな。私も及ばす乍腹を括る事とします。しかし、加藤嘉明殿はいったいどうする積りで御座ろう。」
「孫六(加藤嘉明)の居城は伊予の松前城ですからな。徳川には差し出して居らず、帰る場所が有りまする。恐らくは城に戻って動かず、謹慎するのでは。じっとしていれば東西何れが勝とうが”謹慎していた”と言い張れる。減封は必至なれど滅亡までは至りますまい。」
「ふうむ。あの一瞬でそこまで。小狡いようですが、嘉明殿のお立場なればそうするしか無い事も判りまする。」
「最初が間違って居りまするからな。家康が豊臣家を滅ぼすに当たり、両加藤や市松(福島正則)は最も邪魔な存在。家康が天下人になれば確実に抹殺されるのに………まるで判って居らぬ。」
この時期、家康はあくまで五大老筆頭として豊臣政権を運営している立場で諸将に命令しているが、それが薄っぺらな建前にすぎぬ事など、ほとんどの将が理解した上で家康に合わせて演技している。本気でそんな戯言を真に受けているのは市松(福島正則)、次いで両加藤ぐらいだ。
「加藤嘉明殿が抜けた中央には山之内一豊殿が入るようですぞ。」
「伊右衛門(山之内一豊)殿か。あれは田中吉政と異なり、自分がすり潰される為に出されているとは気が付いて居りますまい。いままで後方に放置されて居たので。」
「一豊殿も掛川城を差し出して居るのでしょうや?」
「左様。しかも真っ先に差し出した張本人で御座る。」
「ほう………しかし治部殿は敵情にお詳しい。普段の治部殿からは想像出来ませぬ。」
「な、なに………昔の仲間であれば、それなりに知らせも入りますれば。」
「成程。太閤様は皆を御一族のように扱われたと聞きまする。…然もありなん…」
勝手に納得してくれたのでほっとする。
あれ?すると刑部はすでに俺(三成)の異変に気が付いていて、それをも丸飲みして信用してくれているのか。
刑部がもし、不審に思い真正面から誰何してきたら、全部白状したほうが良さそうだ………
「田中殿は流石に下がるようですぞ…。二千?程度でしょうか。」
連戦の上、伏せている間も撃たれ続けた結果、当初三千だった兵がすでに二千を割り込みそうだ。現代なら壊滅判定だがこの時代は雑兵がかなり抜けても中下級指揮官が居れば再編成して参戦も可能だ。士気は全く振るわないだろうが。
「代わりは金森長近と織田長益の両隊か。二人とも本気で闘いそうもない人物だが。」
「如何にも。両名共に小勢ですし、正面から掛かるのは無理でしょうなぁ。」
「つまりは、秀忠殿が来るまで待つ気ですな。浅野の六千五百とわれらを噛み合わせて。」
「不愉快で御座るが、我らとしても陣から打って出るには無理がありまする。動かぬ筈…とは云えども家康本軍は3万丸ごと無傷で御座れば。それに…」
「それに、秀忠勢がいつ着陣するかが読めぬので動くに動けませぬな。掛かって今一息の所に秀忠勢の横槍を受けては壊滅します故。」
浅野幸長もそう判断しているのだろう。一応鉄砲射程内で打ち合っては居るが家康へ言い訳が付くギリギリの距離だ。本気で削り合う積りが無い事が見て取れる。
「ほう?もっと単純な男かと思っていたが、意外に知恵が回るのか。」
「確かに。治部殿の言われる通り、今までの行動では伺い知れぬ事で御座る。福島殿同様の蛮勇を振るわれる方と思うて居りましたが………」
「案外、蛮勇は演技で、本質は黒田長政に近い男やも知れませぬな。」
とすると、この浅野幸長も秀頼公を滅ぼす側へ回った確信犯の一人か…。大阪の陣での行動ではそうとも思えなかったのだが。あれも豊臣贔屓の敵意を買わないようにする演技やもしれぬ。
浅野幸長………相当に見極めが難しい男のようだ。
かくて戦場は再び膠着するのだった。




