12 9月16日 北天満山、中島氏種陣中 辰〈たつ〉の刻下(午前9時ごろ)
いつも誤字のご指摘ありがとうございます。
土佐のネイテイブの方、より適切な表現が有る場合や間違っている場合はご指摘よろしくおねがいします。
両軍入り乱れた南東方面の激闘は立花宗茂勢の急襲で決着した。脇坂・赤座の両隊に続いて即応できる東軍の軍勢が無く、小勢の脇坂・赤座隊は立花隊の一撃で壊滅、脇坂安治・赤座直保共に乱戦の最中、行方不明となった。
元々、長宗我部勢の背後からの襲撃は東軍にとって全くの奇襲であったため、東軍第二列の織田長益や生駒一正そして藤堂高虎隊も井伊・松平隊のように即応出来なかったのだ。むしろ即応出来た井伊・松平隊が流石に手強いと再認識させられた。
小早川勢は半壊しつつも桃配山西端付近へ撤退、形の上では家康本隊の前備えのような位置で半減した軍勢を再編成しつつある。
割って入った井伊・松平隊も六千近くあった兵力を四千五百程度まで減じて小早川勢の南で再編成中だ。
入れ替わって東軍第一列には藤堂高虎隊を中心に京極・生駒・有馬・寺沢各隊が配置されている。
藤堂高虎は朽木など四将を東軍に引き込んだ張本人であるため、矢面に立ちこの方面を立て直す事を買って出たのだろう。だが手勢が二千五百と不足しているのは明白で、有馬などの予備部隊まで此方に投入したようだ。
「これだけ有利な状況でも、すんなりとは勝てぬものですな、治部殿。」
「全く。この戦い、すんなり一撃で勝とうなどとは思わぬほうが良いようで御座る。」
長宗我部の奇襲、立花の早期来援があっても辛勝といった程度だった。だが、とにかく松尾山から小早川を排除できたので、南北に貫通した横陣が形成できた。
北から順に、石田、小西、宇喜多、大谷、立花、長宗我部と現在は並んでいるが、午後には毛利元康隊が到着するので変更されるだろう。
「ともかく、本当の御味方だけで昨日の初期配置までは戻せた。これからですぞ、中島殿。」
「いかにも。では奮戦された方々へ差し入れに行きましょうぞ。」
差し入れと言ってもまだ朝と言える時刻なので、軽く握り飯を配る程度だ。それでも全力で動き回った兵達には大いに感謝された。とくに、移動距離が長くそのまま突撃した長曾我部勢と立花勢には多めに分配して回る。
立花宗茂は午後の布陣の相談に島津義弘の所に行ったそうで行き違いになったが長曾我部盛親とは面談できた。
「盛親殿、此度は無理を聞いていただき忝い。お陰で裏切り者を追い払えました。」
「こちらこそ、何処に布陣してええか判らず困っちょった処、連絡が来たきほんつに助かった。」
「ところで、南宮山の南の街道付近、敵の忍びは如何でしたか?」
「忍び言われると伊賀者やろうか。特には気がつかんやったけんど。小早川にも奇襲出来たき、居らんのじゃないろうか。」
すると東南は吉川任せという事か。ほぼ伊賀者の全力を中山道に撒いた事になるか…。
「戦の後の飯はまっこと助かる、中々対陣中はぬくい飯は食べられんき。」
「それは良かった。物資は嫌という程持ち込んでいますぞ。ご安心くだされ。おお、そうだ、火薬も置いてゆきましょう。」
「火薬は有難い。土佐は兵は強いが貧乏やきね。はっはっはっ。やけんど、治部殿、石田の兵は指揮しちょらんのか?」
「我が兵は全て島津殿に預け居りますぞ。石田の兵も強うござるが、この大将は戦下手ですのでな。治部自身は此方の中島殿の所に居候致し居ります。」
「七手組の中島氏種で御座る。以後、お見知り置き下され。」
「これはご丁寧に。長曾我部盛親で御座る。見てのとおりの若輩者けんど、よしなに。やけんど、全兵を貸し出すなど、治部殿以外に誰っちゃあできんな、はっはっはっ。」
戦勝後でもあり、やたら機嫌が良い。裏表のない性格のようだ。皆がこうであれば秀頼公も安心なのだが。
「盛親殿、まだまだ話し足りませぬが、もう一戦午後には有るやも知れませぬ故、今は戻らせて戴きまする。続きはまた今宵の軍議で。」
「そうやな、まだまだ何回も寄せて来るろうな。やけんど、今回、仙石秀久は敵やき負けはせん。任してくだされ。」
秀吉の九州平定戦の別動隊として仙石秀久を主将に豊後に侵入した軍に、長宗我部元親・長宗我部信親父子が編入されていた。当時讃岐一国まで出世していたとはいえ、仙石秀久では所領も格も長宗我部元親に遥かに劣る。完全に情実人事で、すでにこの頃から秀吉は劣化していたのかもしれない。この戸次川の戦いでは長宗我部信親が戦死しており、戦犯である仙石秀久は改易されているが、恨みはまだ生きているのだろう。
長曾我部盛親に別れを告げ、北天満山の陣へ戻る。南東方面が小休止に入ったのに合わせて、東方面の戦場も敵が引いて居り、喧噪が止んでいる。
「丁度良い具合に間が開き申した。中島殿、鳥羽城の九鬼嘉隆殿へ使者二名をお願いしたく。」
「…九鬼殿。成程、それで先ほど街道の状況を尋ねられていたのですな。」
「如何にも。九鬼嘉隆殿は現在伊勢湾を抑えて居られる。されば東海道からの東軍の荷を随時襲って貰いたく。」
「ふむ…。それはさして難は有りますまいが、すでに清州城の三十万石の備蓄米が横領されて御座る故、些か…。」
「懸念は御尤も。されど米は確かに有りましょうが火薬は御座らぬ。敵軍は我が軍より鉄砲装備が劣りまするが、それでも結構な数。火薬の備蓄は少なかろうと…如何でござろう?」
「成程、火薬。南蛮船は堺より東にはまず行きませぬ故、その通りやも知れませぬ。」
二名の使者が選ばれ、別々に同じ内容の手紙を預ける。
本当は江戸湾も荒らし家康へ嫌がらせをしたいのだが、流石に遠すぎて鳥羽からでは無理だ。
もう1手、鍋島勝茂へも…と一瞬思ったが、
”もう少し形を整えてからか。”
まだ時期尚早かと思い直し見送る。
「治部殿!」
中島氏種が指し示す先には中山道を埋め尽くす兵が。
毛利元康率いる一万千五百がついに関ケ原に着陣した。




