第21話 『友達』
「こっちのキューブはだいたいこの辺りにあった。壁のクラックに押し込まれてたような感じだ」
事務所にて、机の上に広げた迷宮の地図の上をクレアが指さす。
「むう、結構広範囲に散っているのです」
クレアの指示に従ってアビーが地図の上にマークを付ける。地下一階の中、既に数か所のマークが記されているが、その分布に偏りや規則性はない。
それを見たイーサンが腕を組んで頷いた。
「でも、だいぶ順調なようですね」
「はい、テリーやシンみたいな足の速い人もいるので結構早く調査が終わりそうなのです」
「なるほど、こちらも負けていられませんね」
「見つけたら一つ五〇〇シンクのボーナスなので皆さん張り切っているのです。でも、イーサンとクレアならもっと上を狙えると思うのです」
「そう言われてしまっては頑張らないといけませんね」
そう言ってイーサンが笑った時、事務所内に警報が鳴り響いた。
魔動器が奏でる、迷宮内の異変を知らせるものだ。
「非常警報なのです!」
アビーだけでなく、居合わせた事務スタッフたちも瞬時に警戒態勢に移行した。非常に時において、事務室は対策本部になる。
ロビーに屯していた多くの冒険者たちも一斉に迷宮に向かって走り出した。
「思ったより早かったね」
聞こえてきた声にクレアが視線を上げると、二階に続く階段から足早に降りて来たのは完全武装のギルドマスターだった。
「マスターも参陣ですか?」
イーサンの言葉にカイエンは渋面を作った。
「さすがに冒険者の皆を矢面に立たせて、自分だけのうのうと部屋でふんぞり返っているのも抵抗があるからね」
「心強いですね。正直、貴方の引退は早すぎると皆が思っていましたから」
「お世辞でも嬉しいよ」
「僕らもすぐに行きますので先に向かってください」
イーサンのその言葉に、クレアは一瞬眉を顰めた。
本来であれば警報と同時に迷宮の入口に駆けつけるのが冒険者に与えられていた指示であったはずだ。実際、他の冒険者は皆それに従っている。
そのイーサンの言葉にカイエンは少しだけ表情を揺らし、しかし深くは追及せずに頷いた。
「……無理はしないように」
それだけ言うとカイエンは足早に迷宮に向かって行った。
「イーサン殿、我らは行かなくてもよいのか?」
クレアが怪訝な面持ちでイーサンを見ると、そのいつもの笑顔の中に微かにネコ科の獣が警戒しているような緊張感を感じた。
「できればすぐにでも行きたいんですけど……喫茶室のテーブルに、ローブ姿の人たちがいるのが見えますか?」
イーサンに言われて視線をずらすと、確かに喫茶室のテーブルに四人のローブ姿があった。他の冒険者がいた時は気づかなかったが、全員がいなくなった今となってはやけに違和感がある一団だった。
「……見慣れない連中だな」
呟いたクレアに、イーサンが応じる。
「僕は昔、浮浪児みたいなことをしていましてね。ヴァルターと一緒に毎日ひもじい思いをしながら、大人から日々の仕事をもらって暮らしていたんですよ」
「そのような話だったな」
「そのため、目の前の大人がどういう人物なのか、子供を食い物にするようなひどい奴なのかどうか、なんて感じに常に警戒しながら生きていたんですよ。それがいいことなのか悪いことなのか分かりませんけど、そのおかげで何となく人を見る時に鼻が利くようになりましてね」
「その琴線に、あの者たちが触れたということか」
「ええ。いろいろ人間を見てきましたが、あれは酷い。あんな血腥い人は初めてです」
その言葉に、クレアの中の警報が大きくなった。
「まさかヴァルター殿が言っていた……」
「そうでないといいんですけど」
イーサンの言葉に、クレアの中で入道雲のように不安と言う名の暗雲が広がっていく。
「……すまんが、アビーを逃がしたい」
「今は建物の中の方が安全でしょう。仮に狙いが彼女だとしたら、人の目から離れた方が連中もやりやすいかも知れません。我らの目の届くところにいてもらった方がいいでしょう」
程なく、遠くから魔法の破裂音が響いて来た。戦いが始まったらしい。
華々しい迷宮前の戦闘と異なり、こちらは静かながら重苦しい空気が充満する沈黙の戦場だ。
しかし、その激戦の音が響いて来た時、それが合図であったかのようにローブ姿の連中が一斉に起立した。それに合わせてイーサンが彼らに向かって足を踏み出し、クレアは自然とその者たちと事務室で働くアビーとの間に割って入るような位置取りに足を進める。
受付カウンターに向かって来るローブ姿の一団の前に、イーサンが立ち塞がる格好となった。
「初心者登録の方々ですか?」
笑顔のままで問うイーサンに、フードの奥から男の声が返って来る。
「ええ、こちらで一旗揚げようと思っております」
「生憎と、御覧の通り今は取り込み中でして。少しお待ちいただけるとありがたいのですが」
「ご心配なく。手間は取らせません」
「無理を仰いますね」
「私どもも、あまり時間がないものですから」
「ならばまず僕が話を伺いましょう。できればフードも取っていただけないでしょうか」
その言葉に男はゆっくりした動作でフードに手をかけ、そして外した。
中から現れた顔を見て、クレアは息を飲んだ。記憶の中にある風貌と、顕れたそれは綺麗に合致した。
「貴様、サイファ……」
「いかにも」
サイファの口の端が不気味に吊り上がった。
その言葉と同時にギルドの入口が乱暴に開き、武装した男たちが一〇人ほど飛び込んで来た。風体はハーフプレートを着込んだ冒険者風ではあったが、その面構えはただの冒険者のものではなく、狂信者独特の三白眼が鈍く光って見えた。
剣を手にした男たちは、いささかも躊躇うことなくイーサンとクレアに真っ直ぐに襲い掛かった。
「逃げろアビー!」
クレアは叫びざまに剣を抜く。
イーサン愛用の二振りのマチェットは、既に彼の両手の中にあった。
来襲した男たちが強化魔法の光を発しながら一気に間合いを詰めてきた。
それを迎え討ったのはイーサンの持つ迷宮で磨き抜かれた戦闘術と、クレアの持つ基礎から積み上げられた正当な剣法。
彼我の技量の違いは、互いが互いの殺傷圏に接した時点で露見した。イーサンもクレアも、最初の一合で一人目の首を断ち切っていた。
だが、その一瞬が隙となった。
イーサンとクレアが剣を振るう一瞬の内に、サイファの隣に控えていたローブ姿の一人がカウンターを軽業師のように飛び越え、クレアの声を受けて他の事務員たちと共に逃げようとしていたアビーの前に降り立った。
唐突に目の前に現れたローブ姿にアビーが息を飲むより早く、ローブ姿がそのフードを取った。奥から現れたのは妙齢の女の顔。長い銀髪を持ったその女がその魔眼をもってアビーの目を覗き込むと、アビーは不意に糸の切れた人形のように力を失った。
視界の端でその様子を捉えていたクレアの裡に、憤怒の火が吹きあがった。
その炎を種火として神速で振るわれたツヴァイヘンダーの研ぎ澄まされた刃は、数閃で邪魔者たちの首をあっさりと撫で斬りにしてのけた。
すぐさまアビーの元に向かおうとしたクレアに向かい、今度はローブ姿の一人がローブを捨てて長剣を突いて来た。
ハーフプレート姿となった男のその剣捌きにクレアは唸った。それは教皇庁で習得した剣術の剣筋そのものであった。
正規の訓練を受けた剣士の技。
異端審問官の実働部隊。サイファ個人ではなく、組織として彼らはここに寄せて来たのだ。
寸毫の時間の中でそのことを理解し、クレアは背中に冷たいものを感じた。恐れていた教皇庁の狩人は、最悪の形でその手を第二大陸まで伸ばして来ていたのだと確信した。
とっさにその一撃を剣で受け、互いの膂力を振り絞っての鍔迫り合いとなった。
力比べとなればどうしても男女の性差が出るが、強化魔法を用いた場合はその限りではない。魔力量と運用効率の技量次第で女性が男性を凌駕する事態も起こり得る。
魔力を全開で身の裡に走らせ、クレアの剣が男の剣を押し込み始めた時、出し抜けに横合いから襲ってきた衝撃にクレアは壁際まで吹き飛ばされた。
その方向に敵はいなかったはず、と混乱した思考をまとめて視野を戻し、そこに見えた光景にクレアは思わず悲鳴を上げかけた。
クレアの視界に、彼女を庇って脇腹を貫かれたイーサンの姿が映った。
その刃の出どころは、クレアを襲った男の腹。さらにその後ろに酷薄な笑みを浮かべたサイファがいた。
「貴様!」
味方ごとイーサンを貫くサイファの暴挙に怒声を上げたクレアの前に、最後のローブ姿の男が立ち塞がった。
手練れではあるが、やはり技量ではクレアに劣後した。
数合の打ち合いの後、こめかみから入ったクレアの刃が男の頭蓋を根菜を切るように斬り飛ばした。
しかし、その時にはサイファはカウンターを超え、アビーを抱えた女のところにいた。
その足元に輝くのは赤紫の光を発する魔法陣。
何の術式かは分からないまでも、ろくなものではないことだけはクレアにも理解できた。
させじと踏み込んだクレアに対し、女が小さな塊を投擲する。
魔晶石。鼻先に迫るそれをクレアが振るった剣が弾いた時、石に込められた術式が発動した。
生じたのは黒い靄。己の迂闊を悟りながらそれを真正面から浴びたクレアは、抵抗することもできぬまま呪詛に捕えられた。
体の自由を奪う暴力的な痺れに膝を屈したクレアの前で、魔法陣の輝きが増していく。
数秒の後、ひときわ大きく魔法陣が輝くと、サイファと女はアビーと共にかき消すようにその姿を消した。
☆
ギルドマスターの部屋で、私たちはクレアの話を聞いた。
その話しが終わった頃には、長かった今日という日の陽が落ちようとしていた。
茜色の部屋の中で、ギルドマスターとフリーダ、そして私はただ無言で顔を伏せるクレアと向き合っていた。
一つため息をついて、ギルドマスターがフリーダに問う。
「フリーダ、その魔法陣は転移魔法のようなものか?」
「恐らくそうね。使い勝手が悪い術式だから滅多に使う人はいないけど」
冷徹な分析者の顔を隠そうともせずにフリーダが言う。
転移魔法。それは空間魔法の一種とされる。A地点とB地点の魔法陣を繋げることで長距離を瞬時に移動するものだが、それぞれの地点で同じタイミングで魔法陣を起動する必要があるのでその調整が難しく、相互の連絡手段の確保等、然るべき組織力がないと使いこなせないものになる。
それらも含め、出揃った情報から幾つか明らかになったことがある。
まず、件の人物は間違いなく異端審問官のサイファなる男であるということ。そして個人のスタンドプレーではなく、教皇庁の狗としてこの地にいたこと。それはイーサンとクレアが倒した連中の身からアルタミラ教の聖具が見つかったという話からも間違いないだろう。
次に、サイファは転移魔法のノウハウがある部門にその立場があるということだ。それであれば迷宮の深部からでも脱出は可能だろう。ヴァルター襲撃の際の謎についても整合がつく。
最後に、これは推測、あるいは邪推ではあるが、不明だった盗賊ギルドの動機についても、ここに教皇庁と言う要素が入ってくれば話の筋は通る。盗賊ギルドは金で転ぶ組織だ。連中の前に然るべき額の金を積み上げて結晶をばらまかせ、そのどさくさにアビーを略取するというのが目的と言う仮説だ。詳細は治安局が調べることだろうし、今はそれどころではない。
「その転移陣を追跡することはできるか?」
私の問いに、フリーダは首を振った。
「無理ね。一度用を終えれば陣は消失するの。魔力の痕跡を辿ろうにも空間が断絶してしまえばどうしようもないわ」
「近くのアルタミラ教の教会が転移先と言う可能性は?」
「ないでしょうね。もしそうだとしたら、その後でどうやってこの街を出ていくのかしら?」
フリーダの言葉は正論だ。イルミンスール内を転移先とした場合、教皇庁に戻るには陸路であれ海路であれ、治安局の検問に引っかかるだろう。
そうなると、転移先はやはり第一大陸。教皇庁に直接飛んだと考えるのが自然だろう。通信球を用いれば不可能なことではない。
その時、クレアが顔を上げた。その表情は悔し涙でぐしゃぐしゃだ。
「すまぬ、エリカ。私が付いていながらこのようなことになってしまい、詫びの言葉も思い浮かばぬ」
「謝ることはない。お前は最善を尽くしたと思う。敵の方が上手だっただけのことだ」
その時、ドアが開いてエンデが人数分のお茶を運んできた。その動作が、どこかぎこちないのは私の気のせいだろうか。
無言で彼女が全員の前に茶器を並べる中、カイエン様が口を開いた。その顔に、彼の中の苦悩が見て取れる。
「状況は分かりました。正直、現時点で打てる手はなさそうです。既に治安局には話を通してありますが、ここまで用意周到な連中がそうそう尻尾を掴ませるとも考えづらい」
これだけの手間暇をかけた連中だとすれば、確かに詰めを誤ることは期待できないだろう。
要するに、私とクレアはアビーを守るという戦いで後手を踏んだのだ。
重苦しい空気が満ちた中、皆がお茶を飲み干した頃にカイエン様は一つ手を叩いた。
「全員疲れていることですし、今日はここで解散しましょう。この件は私の方から改めて治安局の知人に相談してみたいと思います」
風呂を浴びて自室に戻り、私はベッドに身を投げ出して思考の海に潜った。
アビーを持っていかれた。それは時を追うごとに私の中で重みを増していく事実だった。恐らくはクレアはこの数倍の重圧を背負っていることだろう。
今回の失態の原因は、教皇庁の手が私たちが考えていたより遥かに長くしつこかったということだ。
所詮は貴族崩れの小娘、私の浅知恵など組織の力の前では蟷螂の斧と言うことなのかも知れない。
アビーを攫い、教皇庁が何をしたいのかは断片的だが認識はある。
千年秘祭。
アビーをここまで荒っぽい手を使って取り返したと事は、レナが聖地に向かったという謎の祭祀が不首尾に終わったということだろう。
『入星』というものがどういう物かは今も分からない。だが、レナの手紙を思えば恐らくそれはろくでもないものだということは間違いないと思う。イメージとしては『贄』のようなものだろうか。
レナに託された彼女の妹分が、その祭祀に供されてしまう。
そう思うだけで鉛が流体になったような重苦しいものが腹の裡に溢れるような感覚を覚える。
レナの妹分と言うだけではない。アビーは私にとっても大切な友達だ。
明るく、邪気がなく、一緒にいれば誰もが自然と笑顔になってしまう優しい女の子。その彼女が、恐らく今、不安に押しつぶされるように泣いているだろう。
攫われたからと言ってはいそうですかと泣き寝入りできるようなものではない。
だが、だからと言って勢いに任せて動いてどうなるものではない。
アビー奪還を考えるとなると、いよいよ敵は教皇庁そのものになる。事実上、世界の半分とも言っていい巨大組織だ。それを相手に、何の力もない女一人で何ができる。それこそ蟷螂の斧もいいところだろう。
それに、サイファが飛んだ先が教皇庁と仮定した場合、今から出発しても教皇庁までは船旅だけで二〇日はかかる。女の子一人を生贄の祭壇に捧げるには十分な時間だ。
手持ちのカードをいくら見返しても対策が思い付かない。
どこかに活路はないだろうか。
私は瞑目し、百手詰めのチェスの手順を考えるようにさらに深く思考の海に沈んだ。
真夜中、私は何通かの手紙を書いて机の上に置いた。
旅の荷物は既に鞄に詰めてある。
そして白衣を脱ぎ、魔法使いらしいデザインのローブに袖を通した。
鞄を手に取り、最後に愛用の長い杖を持った。
照明を落とした部屋を見ると、一年足らずとは言え相応に思い出が染み込んだ自室の様子が月明かりに照らされて見えた。
結局、アビーを救う手立ては思いつけなかった。残念ながら、それは認めざるを得ない事実だ。
ならば、どうすればその手立ての手掛かりになるものを得ることができるかを考えるのが次善の方針だ。
その方針の候補として考えれば、ここにいても何も事態は変わらない。イルミンスールでは教皇庁との距離があり過ぎるのだ。まずは第一大陸に渡り、そこで各方面から情報を集めるのが私なりに結論した最善手だった。
もちろん今なお自分が追われる身であることは承知の上だ。状況打開の光明を得るには、そのリスクを取っても敢えて相手の懐近くに飛び込むしか取れる手段は思い付かなかった。
行き当たりばったりと言われれば返す言葉もないが、教皇庁の思惑を推し量るにも情報が少なすぎるのだ。
ギルドの方々には不義理を働くようで申し訳ないが、正直、気持ちとしてはできれば第一大陸に空を飛んでいきたいところですらあるのだ。機会があったら頭を床にこすりつけて詫びをしようと思う。
私は自室に調度たちに今一度眺めて別れを告げ、ドアを開けた。
ドアを開けると、そこに壁に背を預けた背の高い人影があった。
旅の荷物と共に背に背負った長剣にサーコート姿。明かりの落ちた廊下でも、その青い瞳の眼差しの輝きが強い。そこから感じられるのは、運命と対峙する意思だ。
そのことだけで、冒険者クレアの剣は未だに折れてはいないと知れた。
彼女が私の部屋の前で待っていたことについては、私たちの間で特に何かを申し合わせがあった訳ではない。彼女が私が自身と同じ結論に達し、この時間にこの地を発つと思っただけのことだ。彼女と私の考えは同期している。今私の裡で渦巻く想いも、恐らくそうであるはずだ。
挨拶はない。視線だけを交わして私たちは歩き出した。
「船の心当たりは?」
クレアの問いに、私は応じる。
「遅延がなければフリッツの定期便が早朝に出るはずだ。それを捉まえるつもりでいる。ダメならチャーターだ」
出奔する時に持ち出した資金を使えば船を一隻借り上げるくらいの余裕はある。
「酔い止めはあるのか?」
「急なことだから用意はない。また桶を頼む」
「心得た」
そんな会話のやり取りをしながら、女子寮の出口まで来た時のこと。
扉を開けるとそこにいたのは小さな人影だった。
「こんな夜中にどこに行くの?」
赤い瞳の少女は、いつも通りに感情の抑揚に欠けた声で私たちに問うて来た。
「急な話だが、第一大陸に行こうと思う。今まで世話になった」
その返事にも、いつも通りにエンデの表情に揺らぎは見られない。
「アビーを、助けに行くつもりなの?」
「教皇庁相手に何ができるか分からないが、できるだけのことはしようと思ってな」
「何故?」
エンデにしては強い口調で問いの言葉を発する。
「敵は強大。行けばほぼ間違いなく貴女たちは死ぬ。何故そこまでするの?」
彼女らしからぬ、感情が先に立った問いだった。だが、ストレートな問いは返答がしやすい。
こちらも真っ直ぐに答えればいいからだ。
「友達が窮地にあるんだ。それを知らぬ顔していることは私にはできない、というだけのことだ」
「友達のために命を懸けようというの?」
「そこまで御大層な決意ではないよ。友達が泣いている時、できることがあるのならそれを探して実行しようと思っているだけだ」
それが命懸けになるというのは結果論だ。
友達が泣いている。困難に直面して立ち竦んでいる。
今行動を起こす動機は、それで充分だ。
私のその言葉をエンデは数秒斟酌し、そして納得したように大きく頷いた。
「分かった」
そう言うと、入口の脇に置いてあった大荷物と、彼女愛用の巨大なハルバードを手に取った。鍛冶屋のホーガンが店のディスプレイ用に半分冗談、しかし本気で鍛造したという本来実用品ではないはずの巨大武器。それを軽々と肩に担いでエンデは私たちの隣に立った。
「船旅は初めてだから、案内をお願いしたい」
彼女の行動が理解できず、私は問うた。
「どういうつもりだ?」
「私も行く。理由は貴女が今語った通り」
「私が?」
「アビーは私の初めての友達。その友達が困っている時にできることがあるのなら、私も私ができることやりたいと思う」
「正気か。死ぬかもしれないと言ったのはお前だぞ」
「それを貴女に言われるのは心外」
私を見つめ返す彼女の赤い瞳の中に、彼女の揺るがぬ信念が見えた気がした。
エンデの出自を考えた時、確かに隔意を持つ人が少なくないだろう。その中でアビーのぶっ壊れた他人との距離感がどのように作用していたのか、私はようやく理解した。
初めての友達。その嬉しさは私も身に覚えがあるものだ。
その友達を助けることは、命を懸けるに足る。その思いもまた私は理解できる。
既に完全に言質を取られていた。返す言葉に詰まった私に、エンデはほのかに笑みを浮かべ、自身の首に掛かったリングを指さした。
「大丈夫、私はヴァルターの花嫁になるまで死ぬことはない。これは神でも覆せない絶対の決定事項。また、貴女達もアビーも死なせるつもりはない。背中を守るくらいのことは任せてもらいたい」
私はクレアと目を合わせ、少し笑って歩き出した。その後ろをエンデが静かについて来る。予想を外れた珍道中になりそうな予感に、私は思い描いていたプランの再構築に頭を切り替えた。
予想外のことは常に連鎖的に起こるものであるらしい。
寮を出てギルドの母屋の前に差し掛かった時、さらにもう一人の人影が現れた。
「よう、いい夜だな」
ギルドの入口のところに、既に大きな荷物を背負い、手には槍を持ったヴァルターがいた。
既視感のようなその様子に、私は思わず目頭を押さえた。
クレアはまだ分かるが、何故こいつらは私の動きを予見したように網を張っているのだろうか。
「いや、大将の性格と行動パターン考えりゃ普通は分かるだろ」
「私の性格?」
「間違っても黙って殴られてるような女じゃねえだろ。売られた喧嘩の値段に文句をつけるタイプでもねえしよ」
「失敬な。物の道理や筋道を大切にしていると言ってくれ」
私の言葉にカカカと笑うと、ヴァルターが不意に真顔になった。
「アビーのお嬢ちゃん拉致られたってだけでも当然腹は立つし、俺の借りのこともけじめをつけねえといけねえ。それに加えて、俺のダチの腹に穴をあけてくれやがったんだ。これで泣き寝入りしてちゃ、俺の中の俺が俺を許さねえ。嫌だと言われても同行させてもらうぜ」
その顔に浮かぶのは、ぎらりとした刃物のような笑みだ。
「エンデの言葉ではないが、死ぬかもしれない旅路だぞ」
「心配すんな。俺はイルミンスール冒険者ギルドのガイドだぜ。俺がいる限り、随行者の安全には責任を持つさ」
「調子のいいことを。本心は、エンデを嫁にもらうまでは死ねないというところだろうに」
私の言葉にヴァルターは赤くなって怯む。
その様子に少し留飲を下げ、私も笑った。
「理由はどうあれ、百万の援軍に勝るよ。感謝する」
「礼なんか要らねえよ。俺はあの野郎の腹にイーサンの三倍の風穴を開けてやるために行くのよ」
そう言うと、彼もまた私たちと肩を並べて歩き出した。
どうにも奇妙な符合だと感じた。
私がここを発つのは、アビーを助ける術を求めてのものだ。その根底にあるのはレナと言う友人との約束だ。そして、同じ重さでアビーに対する想いがある。
クレアもまた、アビーに対する想いがその原動力だろう。
そして、エンデはアビーに対する想いが基にあり、ヴァルターはイーサンに対する想いをその行動の基点としている。
共通するのは、友達への想いだ。
人は一人で生きているのではない、という言葉について、半ば綺麗ごとのように思う時がままある。
結局、人と人との繋がりは損得勘定に基づくものではないのかという事案を目にするときは特にそう感じる。
だが、そういう打算的な面が用をなさない行動原理がこの世界にあることを、この人たちを見ていると確信できる。
友情は見返りを求めない、という言葉がある。
その想いの根底にあるものは、多分すごく人として大切なものだと私は思う。
自分の中で他人という存在を区分する時に知人と友人を隔てるものは、恐らくそのすごく純粋な想いの有無なのではないだろうかと、そう思うのだ。
今度こそギルドを後にしようとした時、私たちの前にまた違う存在が姿を現した。
ギルドから港に続く道の真ん中に座る小さな影。
瞳孔が月のように丸くなった金色の瞳と、美しい白い毛並みが月明かりの下で微かに輝いていた。
霊獣サーベラ―。
小さな体の猫型のそれが、私を見ながらみゃーと鳴いた。




