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第18話 『錯綜』

 遭遇した妖魔はオーガであった。

 身の丈四メートル程度の人型の妖魔であり、その腕の一撃は牛の首を容易にへし折る。

 そのような威容と向き合っても、男はいささかも怯むところがなかった。

 瞬時に強化魔法をその身に走らせ、一気に肉薄してその首に刃を走らせる。得物はありふれたクレイモアではあったが、電光に比肩する剣速は鈍い刃を妖刀にも劣らぬ業物に変えた。

 首を半ばまで断ち切られ、しばし暴れた後にオーガは地に伏して動かなくなった。そのまま、その目から生命の火が消える。


 全く危なげなく中型の妖魔を屠ったその様子を見ながら、槍を担いだヴァルターは口笛を吹いた。


「大したもんだな。全く出番がねえよ」

「……どうも」


 傭兵上りというその男がギルドを訪ねて来たのは先日の事だった。

 珍しい話ではない。イルミンスールに登録されている他の冒険者と変わらぬ登録手続き。そのままごくありふれた手順を経て初心者講習を受講した。そしてガイドがついての初探索が今回となる。



 地下迷宮は広大である。ギルドの把握している範囲では差し渡しは街一つくらいは優にあるとされている。

 その迷宮の中に日々数十、多い時は百を超える冒険者が潜る。長い時は数日に渡る探索を行うこともある。

 そのような迷宮探索において、初心者のデビューは通常であれば地下一階から二階といった浅い階層を探索するのが一般的な手順ではある。

 しかし、既に男は五階層にまで到達していた。快挙である。


「この調子ならデビューで五階層突破も無理な話じゃねえな。どうする、次の階層行ってみるか?」

「よろしくお願いします」

「それにしても、傭兵やってた割には妖魔戦も器用にこなすな。他所のギルドの経験、本当にねえのか?」

「冒険者ギルドには登録したことはありません。傭兵でしたが、妖魔と戦う機会はなかったわけではないので」

 

 男のその言葉にヴァルターは納得した。

 魔法使いが多くいる戦場においては、使い魔として妖魔を呼び出すことが往々にしてある。互いにその使い魔をけしかけ合うような戦いの場合、強力な使い魔の脅威に晒されるのはまず前線の傭兵になる。

 その中で腕を磨いて生き残って来たというのであれば話の整合はつく。


「そりゃ大したもんだな。あとはお仲間か。正直、講習で言ってる最低でも二人ってのは本当のことだぜ。上級者でも一人で迷宮に入るのはお勧めしねえ。二人いれば生き残れる確率は二乗倍、三人いれば三乗倍と言うのは嘘じゃねえからな」

「仲間は追々探したいと思っていますが、まず冒険者にならねばそれも叶いません。今日で実績を積んで、それを売りにしたいと思っております」


 一匹狼にはありがちな思考ではあるが、実力本位の冒険者稼業としては合理的な思考ではある。


 そんな男の話を聞きながら、ヴァルターは彼が発する気配にざらついたものを感じていた。

 職業柄、ヴァルターも多くの人間を見て来た。

 元騎士、ヤクザ崩れ、腕力自慢の田舎者、その中にはもちろん傭兵上がりもいた。

 だが、件の男が纏った気配はそれらの連中とは一線を画する奇妙なものだった。

 時折香る奇妙な癖のある気配。それはどこか血の臭いのような気がした。

 未だ会ったことはないが、人斬りを愉しむ趣味の人間がいたとしたら、もしかしたらこんな雰囲気を漂わせているのかも知れない。

 全くの邪推と自覚しながらも、ヴァルターはそう感じていた。



 次のフロアでも男はオークの群れを相手にも剣の冴えを見せ、全く危なげがない戦いを続けていた。多数を相手にトップクラスのガイドと肩を並べ得る剣舞である。

 既に人型妖魔を始め、男が獲得したライセンスは結構な数に及んでいるし、デビューで六階層到達であれば、欲をかかなくても箔としては十分な水準に達していた。


 そんな中、通路を進んでいたヴァルターが不意に停止のハンドサインを出した。

 怪訝な顔をする男の前で、ヴァルターは笑いながら目の前の床を蹴った。

 刹那、重々しい音を立てて床材が左右に割れ開いた。


「落とし穴……」

「たまにあるんだ。講習でも言ってたと思うが、見破るコツはてめえの足音の響き方が変わるかどうかってのを常に気を付けることだな。落ちたらまず命はねえからよ」

「下はどうなっておるのですか?」

「さて、落っこったことがねえから分からねえ。スパイクでも生えてるのかも知れねえな」


 ヴァルターの言葉に、男は興味深げに深々とした落とし穴の中を覗き込んだ。

 その表情が不審なものを見たように歪む。


「……あれは、ドラゴンの類ですか?」

「何だって!?」


 男の口から飛び出したとんでもない言葉に、ヴァルターは慌てて穴の中を覗き込んだ。

 ドラゴンの吐くブレスでも見えるのかと思いきや、見えるのは果ての知れない闇だけであった。


「どれのことを言って……」


 そこまで言葉にした時、不意に背中を走った悪寒にとっさに身を躱した。

 遅れたのは寸毫の間。だが、神速で走る刃はその隙を逃さずヴァルターの背中を捉えた。肩から斜めに鈍い感触が走り抜ける。躱していなければ脊柱を断たれていたであろう。


「てめ……」

 

 振り返ったヴァルターを正面からの神速の突きが襲う。とっさに槍で反らすと、出来たばかりの背中の傷の重い痛みがその動きを阻害し、僅かに回避が鈍ったところに男の蹴りが飛んできた。

 反射的にそれを躱そうとした時、ヴァルターの足元の感覚が消えた。

 途端に身を襲う浮遊感。ヴァルターはそのまま重力の虜となった。

 最後に見たものは、急速に小さくなっていく男の顔に浮かんだ獣のような笑みであった。

 




「……何だそれは」


 喫茶室でヴァルターの話を聞き、私は心底驚愕した。

 何の理由もない理不尽な害意。すべてが理解不能だ。快楽殺人者の類であろうか。サイコパスの類だとしたら、その行動規範を理解しようとするのも難しいだろう。


「こればっかりは俺が甘かった、ということなのかも知れねえがな。悟ったことは、知らねえ奴には背中を見せねえのが長生きのコツってとこだ」

「いや、幾ら何でも特殊事例に過ぎるだろう。そいつが本当にあの人物だったのか?」

「ああ、間違いねえ」

「しかし……記録では迷宮から出ていないのだろう?」


 迷宮出口での出場記録には彼の名前がなく、扱いは行方不明になっていると聞いていた。だが、ヴァルターは自信をもって首を振った。


「あいつが地下でくたばるような可愛い奴とは思えなかったからな。何らかの手で生き延びていた方がしっくり来る」

「……何だか嬉しそうだな」

「ああ、嬉しいね」


 そう言うとヴァルターは凄まじい笑みを浮かべる。


「生きててくれたおかげで、奴をこの手でギタギタにしてやることができるんだ。嬉しくねえ訳がねえ」 

「勝てるのか?」

「さてな。底が知れねえ奴だったからな。こればかりはやってみなきゃ分からねえ」


 冗談めかしているが、その顔には自信が溢れている。


「無茶をしてくれるなよ。怪我なら私でも治してやれるが、それ以上となったら責任持てん」

「心配すんなって。俺が死ぬと泣く奴がいるんだ。もう下手は打たねえよ」


 そんな会話をしている間も、厨房の方から入道雲のように不可視の瘴気が漂って来ている。

 見れば黙々と皿を洗うエンデが濃密な殺気を発している。こちらの話は全て聞こえているのだろう。

 その様子に、私はあのサイファと言う男に対する同情の念を募らせた。

 ヴァルターの怒りに触れたことからして気の毒としか思えないのに加え、もし首尾よくヴァルターを返り討ちにしたら、次はあれが修羅となって襲ってくるのだ。どう考えても既に命運が尽きているとしか思えない。



 今一度無茶をしないよう念押しをしようとした時。


「エリカ!」


 背後からの声に振り返ると、そこに昨日にも増してやつれた感じのフリーダがいた。


「あら、もしかしてヴァルターとデートだったのかしら!?」


 よりによってエンデのテリトリーで大声で大変なことを言いよる。この人は私を早死にさせたいのだろうか。


「世間話をしていただけだ。それより、どこか悪いのか?」

「ちょっと相談があるのよ!」

「相談?」

「医療関係の相談よ!」

「分かった。診療所で聞こう」





「正直あまりお勧めはできないぞ」


 診察室でフリーダに栄養剤の点滴を望まれて、私は一瞬処方を悩んだ。


「大丈夫よ! ここを乗り切れば三日ぐらい眠るつもりだから!」


 既に彼女なりに自作の栄養剤を飲んでいたが、そろそろ自己流の限界を悟ったのだそうだ。

 その顔を見れば隈はさらに面積を広げ、肌もがさがさだ。覚醒系の薬でもやっていなければいいのだが。

 

「人の体は寝だめできるようにはできていないよ。過労で倒れたら元も子もないぞ」

「だから専門家である貴女のところに来たのよ!」

「医師としては休息を勧めるぞ。栄養剤の点滴くらいならかまわんが、興奮剤をよこせとか言い出したら保険医権限で抑制するからな」

「そっちは自分で何とかするわ!」

「こら、何とかするんじゃない」

 

 とりあえず診察台に寝てもらい、栄養剤を点滴する。ブドウ糖を主剤にした総合栄養剤だ。

 そのまま目を閉じて力を抜いているフリーダが、ぼそっと呟いた。


「ここを凌げば、というのは嘘じゃないのよ」


 声のトーンが深く、重い。雰囲気も裏フリーダになっていた。


「貴女に話した結晶に反応する術式が組みあがったのよ。あとはそれを形にするだけなの」

「探索の魔道具ということかな?」

「その通り。あとはそれを着けたガイドたちに浅い階を歩いてもらえば最悪の事態は回避できるわ」

「そういうのって、そんな簡単に造れるものなのか?」

「私を誰だと思ってるのよ。フリーダさんを甘く見てはいけないわ」

 

 彼女が言うのはもちろん強がりだろう。

 今の彼女の状態を見る限り、恐らく彼女のパフォーマンスの限界レベルの対応が必要な局面なのだと思う。

 

「明日には探索作業を開始するわ。貴女のお口の封もそれでお役御免よ」

「それは良かった」


 まあ解決してもわざわざそのことを知っていたと触れまわるつもりはないないが。


「ねえ、エリカ」


 瞑目したまま、フリーダが言った。


「迷宮って、何だと思う?」


 出し抜けな質問に、私は言葉に詰まった。


「唐突だな」

「この種の魔道具を造っているとね、たまにいろいろ分からなくなるのよ。良かったら、貴女の意見を聞かせてちょうだい」

「……古代の遺跡に妖魔が住み着いたものではないのか?」

「では、その妖魔はどこから来るのかしら?」

「迷宮の奥にある……魔力だまり辺りから生まれて来るのでは?」


 考えたこともないだけに、想像で語るしかない。

 だが、その私の答えにフリーダは笑みを浮かべた。いつもの彼女の朗らかな笑みではない、黒い艶を含んだ薄ら笑いだ。


「よく聞く話だけど、それ、変なのよね。魔力だまりは浅い階層でもできないことはないわ。もちろんマナの特性を考えれば深い位置の方が質の高い魔力だまりができる。でも、マナの濃度が臨界に達しても、魔晶石が生まれることはあってもそこから妖魔が生まれることはないのよ」

「そうなのか?」

「『人』を作ろうとした昔の錬金術師の論文でね、そういうアプローチがあるのよ。マナを凝縮して生命体を作ろうとしたらどうなるかってね。エンデが発見されたときに思い出したくらい錬金術師の間では著名な論文よ」


 エンデも彼女の見立てでは妖魔ではない。では、妖魔でなければどういう切り口で造られたかとなるが、それは私が知りたがるべき情報ではないと思っている。己の生まれを他人に詮索されたくない気持ちは誰よりも理解できるつもりだ。


「マナからは妖魔は生まれない。となると、彼らはどこから来るのかしら?」


 妖魔はどうやって生じるのか。

 一部の人型の妖魔が女性をさらってそういう用途に用いる話は聞いたことがあるが、キメラのような複雑怪奇な妖魔は自然交配ではないことは間違いないだろう。スライムのように分裂して増えるようなものもいるが、高等生物にしか見えないようなものはそういう芸当は難しいだろう。

 中々に難しいお題だ。


「……突飛な話だが、迷宮の奥に妖魔を生成する魔法陣のようなものがあるとか?」

「嬉しいわ、エリカ。私と同じ仮説に貴女は辿り着いてくれた。うちのギルドでも、まだ迷宮の最深部に辿り着いた冒険者はいない。では、初めて最深部に到達した冒険者が妖魔を生み出すからくりを発見したとして、それは何のために設けられたのかしら?」

「迷宮の中にある秘宝でも守るため……とか?」

「隠された秘宝と、そのガーディアン。定番だけど無理のない設定ね。まるでお伽噺のようだわ。でも、その仮説にはおかしな点があるの。ガーディアンなら、駆除しないと溢れるほどの数を生み出し続ける必要はないでしょ?」

「それは確かに」

「妖魔は自然発生しない。そして、その数は一定ではなく常に増加の方向で推移している。では妖魔を造った存在は、何を目的にそういうことを始めたのかしら?」


 常に増え続ける妖魔。人を害する存在が地上に溢れた歴史はこの街にも存在する。その目的は何か。 


「……人類の根絶まで話が飛びそうだな」

「私も同意見よ」


 そう言ってフリーダは笑った。


「妖魔の増加が人が対応できる総量を上回った時、人は地上から駆逐されるでしょうね。でも、現状は妖魔を迷宮に封じることに成功している。もし、そのバランスを崩そうとしている人がいるとしたら、それは誰かしらね?」


 フリーダの言葉が、棘となって脳に刺さったような気がした。

 そんな私の様子に、フリーダが今一度笑みを浮かべる。今度は見知った、彼女ならではの楽しそうな笑みだ。


「思考の遊びによる戯言は以上よ。忘れてちょうだい」

「いや、興味深い話題だった」

「ありがと。それともう一つお願い。点滴が終わったら起こして」


 それだけ言い残すと、フリーダはスイッチを切ったように眠りに落ちて行った。

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