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第17話 『思索』

「ガサ入れだってよ」


 午後に鍛冶屋のホーガンのところに注文の品を取りに行きがてら、世間話の延長で昨夜の街の状況の情報を聞くことができた。

 白い蓬髪に白い口髭、若い頃は冒険者でもあったと言う筋骨隆々のこの快傑が言うには、昨日の街の騒ぎはやはり治安局の実働部隊による捜査だったようだ。それも動員数一〇〇名を超える大規模なものだったとのこと。


「盗賊ギルドのヤサに治安局が踏み込んで、丁々発止の大立ち回りだとさ。結構な数がふん捕まったらしい。悪党どもの末路としちゃ妥当なとこだな」


 ホーガンの言の通り、複数確認された盗賊ギルドのアジトは司法局の急襲で軒並み叩き潰されたらしい。一市民としてもギルド関係者としても非常にありがたい話ではある。

 何故連中が免許の偽造のようなみみっちいことをしていたかの動機などは今後明らかになって来るだろう。小骨のように引っかかっていた不安材料が、これで終息に向かうのであれば重畳だ。


「商人ギルドの親方衆もこれで安心だろう」

「おかげさんでな。それより、これだ。待たせちまって悪かったな」


 差し出されたのは点滴針の新作だ。焼き入れを工夫してもらい、強度を保ったままより細くしてもらったものになる。

 鈍色に輝くそれは、手に取る前からその完成度が感じられるような出来栄えだった。手に取って微細に見てみてもバリ一つない、鏡面のような仕上がりだ。


「期待はしていたけど、すごいな……流石としか言えん。消耗品なのがもったいないよ」

「おう、もっと褒めてくれ。苦労したぜ、マジでよ」


 身の丈二メートルで体重一三〇キロ、体脂肪率は一〇パーセント台前半という筋肉の塊みたいなホーガンだが、指先の器用さではこの街で右に出る者はいない。本職は武器製作だが、グローブみたいなでっかい手で釣り針みたいに小さい縫合針のような細かい製品も器用に作ってくれるので非常に助かっている。点滴針はその性質上使い回しはできないのだが、そういう物でも隙のない仕事をする辺りは模範的なプロフェッショナルだと思う




「お、大将も来てたのか」


 ホーガン相手に点滴針の量産とその値段についての交渉をしていたら、店に入って来たのはヴァルターだった。


「よう、また得物を壊したのか?」


 ホーガンが応じると、ヴァルターは渋い顔で答えた。


「今日はこっちさ。一〇本ばかり頼みてえ」


 取り出したのは投擲用のナイフだ。重さのバランスがスローイングに特化しており、ヴァルターが使うとカエル型の妖魔が舌を飛ばしてくるより早くその眉間を穿つ。


「こいつならストックがあるぜ」

「そりゃよかった。それじゃその分の売り上げも含めて大将の買い物の値段を一考してくれ」

「馬鹿言うな、先生の注文は職人泣かせなんだぜ」


 ホーガンは露骨に顔をしかめたが、まあこのクオリティなら安売りを強いられたら渋るだろう。いい仕事には適正価格を払う主義だが、流れはヴァルター対ホーガンの価格交渉だ。当事者ながら勝敗の帰趨を特等席で見物することと相成った。





 ヴァルターの援護射撃のおかげで思ったより安く針の金額交渉がまとまり、私は上機嫌でヴァルターと共に帰路に着いた。


「何か面白い話は聞けたか?」


 ヴァルターの問いに、私は頷いた。


「昨夜の騒ぎ、やはり盗賊ギルド相手の捕り物だったらしい。アジトが割れて治安局が踏み込んだと言ってたよ」


 私の言葉にヴァルターがひょうと口笛を吹いた。


「そりゃまた治安局も金星だな」

「多分ギルドの方にも連絡があるだろう。何か分かったら教えてくれないか。何故免許の偽造なんかやったのか、詳細が知りたい」

「大将も拘るね、それ」

「生まれつき小心者でな。一度気になると後を引く」

「まあ、治安局の連中相手にシラは切れねえからな。結果は聞いてのお楽しみだ」


 そう言って笑うヴァルターをよそに、私の内心は穏やかではなかった。言うまでもなく、まだ盗賊ギルドの目的が分かっていないからだ。

 世の中は、私が思っている以上に面倒でややこしい。

 厄介ごとは一度に一つが望ましいのだが、運命を司る御方は中々に意地悪なのだ。

 私がギルドに生じた別の懸案を知ったのは今朝のことだった。





 朝、起き出してギルドに行くと、どういう訳かいささか空気が重かった。

 いつもよりピリピリした雰囲気に何事かと思ったが、その原因となっている見知った顔を喫茶室に見つけた。

 そこにいたのはフリーダだ。数日寝ていませんと言わんばかりのひどい顔で、目の下は黒々とした隈が幅を利かせている。


「おはよう。顔色が冴えないようだが、何かあったのか?」


 同席の許しを貰い、エンデにお茶を頼んで恐る恐る対面に座ると、ひどい顔色のフリーダが恨めしそうな顔で言い返してきた。


「いろいろあったのよ! そしておはようエリカ!」

「私に当たられても困るぞ。何があったって?」


 その言葉に我が意を得たりとばかりにフリーダが顔を近づけてまくし立てて来た。


「前に貴女にも見せた黒くて四角い塊があったでしょ!?」

「発掘品がどうとか言っていたあれか? 」

「そうよ! あのキューブが何なのか分かったのよ!」


 キューブとは上手い名付けだと思う。さすがギルドの鑑定担当。


「何か価値のあるものだったのか?」

「価値どころか、最悪のシロモノだったわ!」


 まるで癇癪を起した子供のようにフリーダが拳を振り回す。

 エンデが大皿を持ってきたのはその時だった。


「お待ちどう」


 持ってきたのはエンデ特製のミートボールパスタ。バケツをひっくり返したようなボリュームのあれだ。


「誰かと待ち合わせだったか」

「何のことよ!?」

「いや、誰かと一緒に食べるのだろう?」

「これは私の朝御飯よ!」


 一瞬、その言葉の意味を理解しきれなかった。

 私の記憶が確かなら、これはヴァルターとイーサンが二人がかりで食べていた量なはずなんだが。

 だが、当のフリーダは絶句する私を気にもせず、フォークを手に取って取り皿も使わず大皿からダイレクトに食べ始めた。特に気負うところがないのを見ると、普通に食べ慣れているのだろう。

 フリーダも蜂のように腰が括れた細身の体型が持ち味なのだが、全部食べたらこの体のどこに収まるのだろうか。この人の胃の腑も一度現物を拝んでみたいものだ。


「それで、最悪というのは?」


 話の続きを質問の形で求めると、肉団子をひょいと口に入れてフリーダが答える。


「簡単に言えばマナの結晶だったのよ、あれ!」


 意外な言葉に、私は首を傾げざるを得なかった。

 マナは言うまでもなく自然界に存在する魔力のことだ。魔法の源でもあるが、おいそれと固形化できるものではないと思う。どういう術式を用いたものなのだろうか。

 原理はさっぱり分からないが、そういうものなのならそれはそれとして理解するしかない。

 迷宮とマナ。その二つは切っても切れない関係がある。妖魔はマナによって生かされた存在だからだ。

 何故迷宮は下層に行くほど強力な妖魔が出て来るかと言えば、マナは下に溜まる性質があるからだ。迷宮は下層に行くほどマナは濃い。そのため、強い妖魔ほど下層を棲み処とし、追われた弱い妖魔は上層階を棲み処とする棲み分けが発生するのが定説とされている。


 その条件で、フリーダの言うマナの結晶という要素を考えてみる。

 問題のキューブは一般的な冒険者が普通に活動している程度の浅い階層で発見されたと聞いている。

 その階層でキューブが結晶から還元され、迷宮の上層階や中層階によさげなマナが多くこもる部分ができたとしたらどうなるだろうか。

 そこまで思考が至って、全身から汗が出た。

 長期的には生じたマナは下層に向かって落ちていくだろう。

 だが、一時的に上層階に下層階より良さそうなマナが生じる場ができた時、力のある下層階の妖魔はどう動く?

 仮にそのマナに釣られて上層に向かった場合、上層階の妖魔はどうなる?


「フリーダ……それって……」

「その先はまだ大声で言わないでね、エリカ」


 私のつぶやきをフリーダが遮った。

 トーンの低い、重い声だ。

 見れば、彼女の顔にいつもの陽気でちょっと言動がおかしい彼女と違う、別人のような表情が浮き出ていた。

 今の仕事を始める前は流れ者の錬金術師であり博物学者であったというフリーダ。だが、今の彼女が放つ迫力はそんなものではない。ほとんどの者が知らない、彼女のもう一つの顔。

 錬金術師フリーダ・ヒルデブラントは、私の思っていたそれより遥かに深遠に位置する人物だと知ったのはこの時が初めてだった。


「貴女の前で口を滑らせたのは私のエラーだわ。貴女は思慮深いし、勘もいい。でも、誰もがそうとは限らないの。センセーショナルな情報は独り歩きするものよ。そういう時の結果は概ね良くないものになるわ」

「しかし……もしそうだとしたら、これはかなり大きな事件ではないのか?」

「そうね。だからギルドとしても最優先事項として動いているの。事を公にできるようになるまではお口に封をしておいてね」


 それはお願いではなく命令なのだろう。少なくとも私はそう感じた。


「職業柄、口は堅い方だよ」


 私の答えに、フリーダは妖艶に笑う。


「口外はしないけど、自分なりに調べないと気が済まない、っていう顔ね」


 図星を突かれて私は絶句した。

 充実した日々の中でたまに忘れかけるが、これでも追われる身だ。不安要素には敏感にならざるを得ない。


「貴女は往々にして一人で背負い込もうとする癖があるけど、少しは周囲の人を頼ることを覚えた方がいいわ。貴女より少しだけお姉さんである私からの忠告。いいこと?」

「……心に留めておこう」


 そう答えると、フリーダは満足げに笑ってパスタの山を切り崩す作業を再開した。





「どうしたんだ、難しい顔して?」


 黙考に陥っていた私を、ヴァルターが心配そうに覗き込んで来た。


「この街のことをちょっと考えていた」


 彼がどの程度のことを知っているか分からないのでフリーダの情報を話すわけにはいかないが、もし私の想像が嫌な意味で当たったら、それは冒険者である彼の身の上にも降りかかる話だ。


「ヴァルター、この先の隔壁はいつ出来たものだ?」

「隔壁?」


 それは前にヴァルターから聞いた妖魔の溢れた時のための隔壁。

 上層階の妖魔が逃げるとしたら、それは地上しかありえない。そうなった時の備えがあの隔壁だという。


「だいたい二〇〇年くらい前って聞いてるぜ?」


 二〇〇年。思ったより昔の話だ。


「その時は迷宮が溢れたと言っていたな」

「ああ、スタンピードって言ってな。妖魔連中が地上にわらわらと湧いて出て来たんだそうだ」

「それはどれくらいの周期で起こるものなんだ?」

「そこまでは分からねえ。今のところうちのギルドも駆除計画が順調だから当分は起こらねえとは思うがな」


 ただの飽和対策であればそれでいいだろう。

 だが、その『スタンピード』というものが故意にもたらされるものであった場合は駆除活動とは関係がないところで騒動は起きるだろう。


「過去のことについて詳しい情報はどこかにあるんだろうか」


 件のキューブが迷宮自身が作り出したものなら、スタンピードの発生周期が分かればそれに符合する発生条件になる何かが見つかるかも知れない。


「資料なら図書館にあるだろうけど、どうしたんだ一体?」

「どうにも引っかかることがあってな」

 


 そんな会話をしていた時のことだ。

 隣を歩くヴァルターの気配が唐突に一変した。

 視線の先、雑踏の中でこちらに向かってくる一〇人ほどのローブ姿の一団を見てヴァルターが信じがたいものを見たような表情をした。次いで、その顔に浮かんだのは狼が笑ったような凄みのある笑みだ。

 正直、この男の顔を見て初めて怖いと思った。

 何事かとそのローブの連中を見てみれば、一見すると何かの巡礼者に見えなくもない。だが立ち姿を見てみれば、全員やけに姿勢がいい。肩幅も広く、何かの鍛錬を積み重ねて来た人たちに見えた。


 黙っていればそのまますれ違っただけであろう集団。

 だが、ヴァルターは私の隣を離れてその一団の正面に立ちふさがるように仁王立ちした。


 深くフードを被ったローブの一団は、先頭の人が止まるのに合わせて停止した。


「久しぶりだな」


 肉食獣のような笑みを浮かべたまま、ヴァルターが先頭の人に声をかけた。


「てめえがくたばってるわけがねえとは思ってたが、こんなに早く会えるとは嬉しいぜ」

「……不躾ですな。どなたかとお間違えではないですか?」


 返って来た返事はやけに低姿勢だった。


「とぼけんな。その血腥え臭い、忘れろと言われても忘れられねえよ」


 その言葉に、先頭のローブ姿がフードを取った。

 中から現れたのは、三〇に手が届くかという年齢の男性だった。銀色の長髪を後ろに流した、精悍な面構えの男だ。


「人違いでしょう。よくある顔ですから」

「下手な変装を落とすとそういう面か。生憎、口でいくらとぼけようったって臭いって奴はどうにもならねえよ。特にてめえみたいな血臭がすげえ奴はな」

「……困った御人だ」


 困ったようでありながら、件の男性も薄ら笑いを浮かべている。


「身に覚えのないことで言いがかりをつけられても困りますな。それとも、よもやこの場で私に斬りかかろうとでも?」

「できりゃそうしてやりてえところだがな。生憎とこっちも物証がねえ。残念だがな」


 そのヴァルターの言葉に、男性は鼻笑いを返した。

 

「では、失礼してもよろしいですかな?」


 男性の言葉に、ヴァルターは視線を反らさずに脇に避けた。

 ローブ姿の一団が歩調を合わせてヴァルターとすれ違う。


「おう、名前くらい教えろ。どうせあん時のは偽名だろう」


 ヴァルターの問いに、数秒の間をもって男性が応じた。


「サイファ」

「夜道は気を付けな。今度は俺が後ろから行くぜ」


 ヴァルターの言葉に対して男性はぞっとするような凄みのある笑みを浮かべ、そのままローブの一団は雑踏に消えていった。


 気付けば、知らぬ間に拳を握りこんでいた。掌の汗を拭ってローブの一団に視線を向けているヴァルターに近寄った。


「因縁でも?」


 私の問いに、ヴァルターもまた寒気を覚える笑みを浮かべて答えた。


「あれが俺を地獄の一歩手前に叩き込んでくれた男さ」

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