第13話 『奇人』
私の朝は、曙光と共に始まる。
窓から差し込む生まれたての光に瞼をこじ開けられ、布団の甘い誘惑を振り切って起床する。
洗顔を済ませ、寝衣を脱ぎ、仕事着である白いブラウスと紺のスカートを身に着ける。
タイの色は水魔法の色である青。
少しだけ癖のあるブルネットの髪は櫛を入れた後でヘアスティックを用いてアップにまとめ、化粧は申し訳程度で済ませるのが普通。
小物は懐中時計に聴診器、加えて魔晶石を幾つか。
魅了・催眠等の魔眼を防ぐフィルターレンズの眼鏡をかけ、そして洗いたての白衣に袖を通すと、また新しい一日が始まる。
迷宮都市『イルミンスール』。
その地下迷宮では、地上では手に入らない多くの貴重なアイテムが手に入る。
例えば妖魔の角や牙のような特定の身体部位や、彼らの体内にある魔石、迷宮の一部ではアダマンタイトのような希少な鉱物や魔力だまりで作られる魔力の結晶である『魔晶石』等と言ったものは一般社会において有用な資源として高値で取引される。
かつては冒険者自身がそれを売って歩いていたが、度胸と腕力だけを頼りに人生を切り開いて来た大きな子供みたいな精神年齢の冒険者など本職の商人にかかればカモも同然、ずいぶんとアコギなことをやられていた時期もあったのだそうだ。
冒険者ギルドが組織されたことで流通にはまずギルドが間に立つようになったことから買取価格は適正なものとなり、需要に応じた時価相場の変動はあるものの、概ね安定した収入を冒険者にもたらすことが可能となって今に至る。
ギルドの中庭の迷宮の入口に近い辺りに、ちょっとした大きさの建物がある。
事務棟のイメージが強いギルドの本館と違い、こちらはどちらかと言うと外観は倉庫に近い気がする。
建屋の入口を入るとクロークのような受付窓口があり、迷宮から出て来た冒険者は釣果を持ってここを訪れる。そして鑑定を受けてその対価を受け取るのが冒険者が自身の活動を現金化するための基本的な流れになる。
私が足を踏み入れると、その受付にはイラスト入りで『ただいま検品中』の表札がぶら下がっていた。
ここの主はこういうところは非常にきまぐれだ。
耳をすませば在室の気配がするので、窓口の隣にあるドアをノックすると、打てば響くのタイミングで『開いてる~』と返事が来た。
遠慮なく中に入ると、そこは本当に倉庫のような空間だった。
二〇メートル四方はありそうな空間の中に棚が並び、どういう風に分類しているのか分からない感じに多くの品々が並んでいた。雑多と言うか混沌と言うか、何度来てもこの物量には圧倒される。
バシリスクと思しきトカゲの全身骨格があった。
ヤギの角のようなものがあった。
岩に刺さった大剣があった。
私の身長くらいある大きな鳥の羽があり、延々と炎を出している球なんてのもあった。
それらの物品のジャングルの中を歩き、平積みされているガラクタに混ざってもぞもぞと動いているローブ姿の後ろ姿に声をかけた。
「お楽しみのところを悪いが、魔晶石を貰いに来たぞ」
「魔晶石! 大丈夫! 用意できてるわ!」
私の言葉を受けて、荷物の間からその女性スタッフは立ち上がった。
これがギルドスタッフのフリーダ。三〇歳の女性。トレードマークはおさげにした黒髪と灰色のローブだ。
「はい、これよ! よろしくね!」
そう言って木箱に入った一ダースほどの魔晶石を私に渡してくる。
受け取った魔晶石はギルドからの依頼で、私がクリエイトウォーターの魔法を注入するためのものだ。
これは迷宮内のシェルターで使用するもので、定期巡回のガイドが水の消耗があったらタンクにこれを補充する。スペル要らずの自律起動式で、水に触れると三分後にタンクが満タンになるまで水を生成する効果がある。
独立採算制の診療所なだけに、こういうところで小銭を稼ぐのが健全経営の秘訣だ。
それはともかく、今日のフリーダは少々テンションが高めだ。いつも妙にテンションの高い人だが、別にその手の薬をキメている訳ではなくこれが彼女の性格だ。
「また何か面白いものでも入ったのか?」
「いい質問よエリカ、是非この喜びを貴女と分かち合いたいと私は思うの!」
そう言って取り出したのは、五センチ四方の黒い立方体の物体と、ガラスのケースに入ったメロンほどもある目玉の薬品漬けだ。
「見てちょうだい! サイクロプスの幼生のものよ! ここまで綺麗な状態で手に入るのは珍しいの!」
サイクロプスはいわゆる巨人系の妖魔で、腕力が強く正面戦闘ではなかなか強力な妖魔だと言われている。
定石ではまず目を潰してから攻めることとされているから、眼球が無事と言うのは確かに珍しい。
「これを研究して成分を分析するの! 精力剤の成分の正体が分かれば巨万の富が築けるはずよ!」
サイクロプスの目玉は男性用の精力剤として珍重されている。乾燥させたものを煎じて飲むのだが、滅多に手に入らないものなだけに結構な値が付くのだそうだ。
男性諸君の情熱の方向性も分からんでもないが、そこまでせんでも活力の減退は生活習慣の改善だけでもかなりマシになるというのが個人的な意見ではある。
次いで黒く四角い物体を示す。石と言うより石英のような素材のものだろうか。何だか全体的に少々禍々しいものを感じるのだが。
「そしてこっちは全く分からない謎の発見物よ! ルーンは彫られているけど機能は未知なの! もしかしたらすごい発見かも知れないものだわ!」
「これも出土品なのか?」
「通路の端に無造作に置かれていたそうよ!」
嬉しそうなのはいいのだが、爆発物の類ではないことを祈るのみだ。
このフリーダ、いささかエキセントリックな人ではあるが、本職は博物学者にして錬金術師だ。加えて鑑定魔法をベースにした鑑定術にも長けており、その経歴を買われてギルドの鑑定士を任されている。
その実力は『迷宮の値段を決める女』とまで言われており、冒険者が迷宮で入手してきたアイテムについてギルドの代表として分析、鑑定、値付けを行う責任者だ。その仕事は正確無比。荒っぽい冒険者でも、彼女の値付けに文句を言うやつはいない。稀に理不尽ないちゃもんをつける命知らずもいるそうだが、その場合は彼女秘蔵のオートマタが隊列を作って『しつけ』に来ると聞いている。
迷宮の産品は大抵のものはそのまま市場に売られて流通に乗るが、希少なものは彼女が自ら買い取ってコレクションに加えたりもする。その結果がこの倉庫だ。とは言え、自分で買い取る際の値付けでもちゃんとした値段をつけているのが彼女が善人たる所以だ。
昼休みになり、エンデの所で昼食を済ませると私はギルドの運動場の外れにある木陰に向かう。
運動場ではクレアとイーサンが剣の稽古をしていた。
ここしばらく、イーサンは正規の剣術を学びたいとクレアに持ち掛け、時間がある時に稽古をつけてもらっている。
イーサンはギルドでも屈指の腕を持つガイドではあるが、剣術においてはクレアに遠く及ばない。それはそれぞれが身に着けて来たスキルの方向性の違いによるものだ。
武術と言うものは、人間を相手にすることを想定して磨き上げられて来たものだ。人間は腕を二本有し、両の足で大地に立つ。頭部と胴に多くの急所を持ち、拇指対向性を有する手で武器を持って戦う。お互いその条件で闘争し、そして相手を効率よく倒すための技術が武術だ。
これに対し、これまでイーサンが身に着けて来たものは妖魔相手の戦闘術だ。腕や足の数は相手によって違ってくるし、おかしな特性を持つ物も少なくない。剣で受けたら体ごとミンチにされるような剛力の物もいる。
そうなると自然と『受けずに斬る』『躱して突く』というような形の技術に収斂していく。その戦闘は不意打ちや罠のような対人戦闘では『卑怯』と言われるような手段がむしろ王道であり、使う武器も刃物に鈍器に飛び道具、薬品や魔晶石となんでもありだ。
どちらが優れているという訳ではない。それはその場その場で正解が変わるものだからだ。
その辺りを理解したうえでイーサンは対人戦闘のスキルを欲し、それをクレアが伝授している。向上心、誠に結構というのが私の率直な感想だ。
そんな彼らを遠目に見ながら、木陰に至る。
まだ樹齢を重ねていない若木が多いが、中にはそこそこ育った樅の木があり、その下のベンチに座ってほうとため息をついた。
ここでも幹に触れれば稀に『誰かさん』の声を聞くことができるが、ここに来る理由はそれだけではない。
本を広げてしばらくすると、程なく遺跡の方から白い小さな影がテテテと小走りにやって来た。
綺麗な毛並みの成猫だ。
『やあ、いい天気だね』と言う感じに私を見上げてみゃーと鳴き、そして膝の上にひょいと飛び乗ってきた。
この子に出逢ったのは、ここに来て半年くらい経った晩秋のことだった。
はらはらと落ちる木の葉の音を聞きながら今のようにボケっとしてた時のこと。
彼方に見える丘の上の遺跡を見ながら、かつてそこにあったという塔のイメージを膨らませていると、ふと足元に気配を感じた。
見れば、一匹の白い猫が足元で不思議そうに私を見上げていた。
「おや、どうした猫?」
野良猫かと思ったが、逃げる気配もない。人差し指を鼻先に突き付けてみると指先をすんすんと嗅ぐ様子からして、私に対する警戒心はないようだ。
野良猫はここまで人の接近を許さないのがほとんどだから、恐らくはどこぞの飼い猫だろう。
そのうち私の足に頭をこすりつけ始め、最後には私の膝の上にひょいと飛び乗って来た。
「……ずいぶん遠慮がないな、お前」
これはいい場所があったわいと言わんばかりに私の膝の上で丸くなり、午後の日差しのもとでぬくぬくとお昼寝タイムを決め込もうという風情だ。
顎の付け根の辺りを撫でてやると目を細めてごろごろと言い始めた。
あまり緊張感がなさすぎるとそのうち痛い目に遭うぞ、と思いながらも、やはり可愛いことは無敵だ。猫の愛らしさは世界を救うとすら私は思う。
毛艶も悪くないのでやはりどこかでいいものが食べられる生活をしているのだろう。野良猫の寿命は長くて五年。そういう意味では恵まれた身の上の猫だと思う。
今度小魚の天日干しでも持って来てやろうかと思っていたら、そこを通りがかったのがフリーダだった。
「ちょっとエリカ、何よそれ!」
私の膝の上の猫を見るなり、フリーダが大声を出した。
「起きちゃうから静かに」
「そういう問題じゃないわ、どうしたのよそれ!」
「どうと言われても、座っていたら膝に乗って来たんだが」
「そ、それ、サーベラーよ!」
「さーべらー?」
「知らないの!? 霊獣よ霊獣!」
霊獣と言うのは高位精霊のような存在だ。幻獣とも言われるが、知っている範囲ではペガサスやケルベロスのようなイメージだろうか。
「もしかして妖魔なのか?」
「妖魔ではないわ! でも、霊獣だから自然界の生き物とも違うの! 新教では霊獣サーベラーは月神の御使いと言われるものよ! 遺跡に出没するとは聞いていたけど、実物を見られるとは思わなかったわ!」
フリーダの解説になるほどと頷くが、この緊張感のないのが霊獣……。ちょっとピンと来なくてまじまじと見てしまったが、やはり猫にしか見えない。
そうしている間にもフリーダが鑑定魔法のルーンを唱え始め、それに応えて件の猫がぱちっと片眼を開けた。
「……フリーダ、それはやめておいた方がいいかも知れん」
「どうして、こんなチャンス二度とないかもしれないのよ! サーベラ―がどういう存在なのか情報を採らないと!」
「いや、ちょっとご機嫌を損ねそうな気がする」
「誰のよ!?」
フリーダがそう言って鑑定魔法を発動させようとした時、むくっと置きあがった白猫はフリーダを見て一声吠えた。
私は猫はにゃんと鳴く生き物だと思っていたが、トラやライオンのような咆哮を上げることもできる奴がいることを初めて知った。
『脅しには屈しない、私は学問の徒なのよ!』と叫んで警告の咆哮にも詠唱をやめなかったフリーダに対し、白猫は実力行使に出た。
彼女に飛び掛かるやひっかき攻撃の嵐を見舞い、フリーダの悲鳴を残してそのまま遺跡の方に走って行ってしまった。
その後、チェス盤みたいな網目状に傷だらけになったフリーダの治療に忙殺されたのは言うまでもない。
その翌日、もう来ないと思っていた白猫は、再び私のところにやって来た。そして前日と変わらぬ緊張感のなさでごろごろと懐いて回り、最後には膝の上で寝てしまった。
その姿を見ていると斯様な緊張感もない困った奴であっても許せてしまえるから不思議だ。まあそれが猫好きというものなのかも知らん。
今もそれが当然と言う感じで、この猫は膝の上でゴロゴロと寝転がっている。
見ているだけで幸せになれる生きたアイテム。
これ以上に和めるものがまたとあろうか。
寝てる猫のほっぺをつんつんと愛でて至福を味わいながら視線を上げれば、そこにあるのは紺碧の空と、その下に横たわる遺跡の威容。
そして前にあるのは活気のあるギルドと、そこで働くスタッフたち。
そこが今の私の居場所だ。
改めて考えてみれば、ずいぶん遠くへ来たものだと思う。
だが、悪くない。この街の暮らしは私に馴染む。
一年。たったそれだけの時間で、このイルミンスールという土地がとても大切な場所として私の中の位置を占めるようになっていると感じる
このまま馴染んでいけば、いつか私もこの土地で異邦人と言われなくなる日が来るかもしれない。
巡り合わせと言うものは、斯くも面白いものなのだと改めて思った。
「相変わらずよく懐いているな。サーベラーは孤高と聞いていたのだが」
気付くと、イーサンとの稽古が終わったのか、一息ついた感じのクレアが汗を拭きながら話しかけて来た。
「どうやら私と相性がいいらしい。なかなか癒される」
「仲がいいのはいいのだが……」
そこでクレアが表情を渋らせた。
「その歳で猫を抱いて日向ぼっこというのは、悪いとは言わんが人として落ち着き過ぎではないのか?」
「何を言う。お年寄りが長年の経験を経て最後に行き着く至高の安寧が猫を抱いての日向ぼっこだ。私の年齢でその域に達することができた叡智を褒めてもらいたい」
「そうは言うが、貴公もまだ二十歳だろう。昼休みにのんびりするのもいいが、たまには運動の一つもした方が健康に良いと思うぞ」
そこまで言われてクレアの言いたいことについてピンと来た。
「剣の稽古は嫌だぞ。この前ので懲りた」
初心者に黙々と一〇〇〇本も素振りをさせるのがクレア流だ。前に引っ立てられた時は翌日から翌々日にかけて金縛りの目に遭った。
「まあ、そう言うな。この後でエマたちにも稽古をつける約束があるんだが、メンバーが奇数だから半端なのだ。初心者コースだし、少しくらい付き合ってくれてもバチは当たるまいよ」
「当たる! というより当たった!」
猫を膝に乗せたまま友人とのひと時で、今日の昼休みが過ぎていく。
そんな一日。




