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第12話 『楽土』

 イルミンスールに到着したのは早朝だった。

 曙光が強さを増す中、見えてきたのはダータルネスより遥かに大きな港町。

 漁業が活発なのか、港湾に近づくにつれ多くの漁船が漁に勤しむ様子が見えた。

 

「これがイルミンスールか」


 舷側でしみじみと呟くクレアに私は問うた。


「詳しいのか?」

「教養程度だ。第二大陸では屈指の港町らしい。港の他にも迷宮を抱えていると聞いている」

「迷宮?」

「山の方に見えるであろう。あれだ」


 クレアが指さす先に、街の奥の方にやや高い丘のようなエリアがあり、そこに時流を感じさせる廃墟が見える。


「イルミンスールの廃墟で、太古の遺跡とのことだ。その地下に迷宮が広がっていると聞いている」

「おいおい、せっかくここに詳しい奴がいるんだ。街のことなら俺に訊いてくれや」


 クレアのレクチャーに、ヴァルターが首を突っ込んできた。


「其方の仕事は迷宮のガイドと言っていたが、あの辺りが住まいなのか?」

「おう、ちょうどあの遺跡のあたりにギルドがあってな。そこが俺の家兼職場ってわけだ」

「心配している者もいるだろう」


 私の言葉にヴァルターの表情が歪む。


「まあな。怒っているか、それとも泣いているか。もしかしたら葬式を出されてるかも知れねえ」

「すぐに行ってやるといい。私たちは街で宿を取って身の振り方を考えようと思う。いろいろ世話になった」

「おいおい、そりゃねえよ。あんたらもギルドまで来てもらうぜ」

「ギルドに?」

「ギルドマスターがいてな。顔が広いから、お悩みの身の振り方ってやつについて相談に乗ってくれると思うぜ。ダメでも当面の宿くらい面倒見させてくれ」


 おせっかいなヴァルターの申し出に、まずは行き先は決まった。正直何が起こるか分からないだけに宿代で手持ちの資金を削られるのは避けたかったのでありがたいことこの上ない。


 

 入港の時には既に日が大分上っていた。カモメなのかウミネコなのか分からない鳥がみゃーみゃー鳴く中を桟橋に接岸し、私は久方ぶりに夢にまで見た恋しい大地に両足を付けた。


「揺れない大地というのは、素晴らしい」

「私はまだ何だかゆらゆらしているのです」

「その前に、良く生きて着けたと感謝しようぞ」


 船長のフリッツに挨拶をして、ヴァルターの案内に従って街を歩く。

 古風なレンガ造りの街並みだ。海風が吹く土地柄だけに風化が早く進むようで、結構な味わい深い建物が多く軒を連ねている。

 店の数は予想以上に多い。鍛冶屋や床屋、パン屋に酒場、大抵の店の看板は見ることができる。

 大きな通りには市が立ち、朝市が一段落したのかいささかのんびりした気配が漂う。取り扱われている品目も多く、生鮮食品がここまで揃うということはそれだけ街の勢いがあるということだろう。そういった随所に商都の名に恥じない活況を感じられた。


 そのまま緩やかな坂を上っていき、官庁街らしき一角を抜けると大きな塀に突き当たる。


「これは非常用の隔壁だ」

「非常用?」

「昔、迷宮から妖魔が溢れ出たことがあったらしくてな。そういうことが起こった時は、ここの門を閉じて妖魔を堰き止めるんだ。時間稼ぎにしかならんかも知れんが、街の連中を逃がすくらいのことはできるんじゃねえかな、って話だ」


 門をくぐると、いよいよ迷宮が近くなって来た。

 廃墟は近くで見ると思ったより大きい。まるで小山のようだ。高い位置にあるだけに迫ってくるような迫力がある。

 その一角に見えて来た、ちょっとした規模の石造りの建物。どうやらあれがギルドであるらしい。


「さて、久々の里帰りだ。ちっと待っててもらうことになるかも知れねえが……」

「気にするな。心配をかけた人たちへの挨拶はちゃんとするべきだ」

「お袋みたいなこと言うなって」


 私の言葉に意を決してヴァルターはギルドに向かう。

 ちょうどその時、ギルドの入り口から青年が出て来た。

 なかなか整ったマスクをしているが、それを台無しにするくらい全体的にやつれた感じの疲れ切ったお兄さんだ。

 その彼を見るヴァルターの表情が歪んだ。


「よう、イーサン」


 苦笑いを浮かべたヴァルターの声に、その青年が顔を上げた。

 彼の時間が停止したのは数秒。

 理解が彼の脳に浸透するや、その虚ろだった細い目が驚愕に彩られる。

 

「ヴァルター……」

「おう。久しぶりだな」


 その言葉に、青年は弾けたようにヴァルターに詰め寄り、その襟首を掴みあげた。


「い、今までどこに!」

「すまねえ。いろいろあって気づいたら海の向こうだった」


 ヴァルターの答えに、青年の顔が歪む。


「よく、生きて……」


 こみ上げるものが大きすぎて言葉が出てこないかのように、青年が唸った。そして、踵を返すと脱兎のごとくギルドの中に戻っていった。


「みんな、ヴァルターが戻ってきました!」


 ドア越しに聞こえる、青年の声。


「あーあ、こりゃ予想以上に大変だな」


 ヴァルターは他人事のように呟き、そして私たちを振り返った。


「んじゃ、ちょっと行ってくら」

「気張ってな」


 私の言葉に少し顔をしかめて、ギルドの中に入っていった。

 凄まじい蛮声が聞こえたのは三秒後のことだった。蜂の巣を突いたような騒ぎとはこのことだろう。


「す、すごい人気なのです」

「ずいぶん人望のある人物なのだな」

「あの腕っぷしだからな。恐らくギルドでも中核に近い立場だったんじゃないかと思うんだが」

 

 呆気にとられる私たちをくしゃくしゃにされたヴァルターが呼びに来たのは五分ほど経ってからのことだった。


「待たせたな。ギルドマスターに会わせたい」




 案内されてギルドに入るや、周囲から凄い視線が飛んできた。冒険者っぽい連中やギルドの職員のようなスタッフ、いろいろ取り交ぜて三〇人はいただろうか。

 その中をヴァルターの案内に従って階段を上る。行き先はギルドマスターの部屋だった。



「ようこそイルミンスールへ。私がギルドマスターのカイエンです」


 握手を求められたギルドマスターを見て、私は内心非常に動揺していた。

 白髪交じりの髪。整っていながらも経験が彫り込まれたような味のある顔立ち。そして歳を経ても緩みない体つき。

 完璧だ。まさにナイスミドル。

 私は心の中のランキング表の最上位の評価欄にカイエン氏の名を刻んだ。

 

「あの……ミス?」


 カイエン氏に言われてようやく我に返った。

 彼に見惚れるあまり、差し出された彼の手を握ったままだった。


「し、失礼しました」


 私としたことが、平常心を失うとは情けない。

 

 そこから先は真面目な話だ。

 まずはヴァルターとの邂逅に関する経緯について。次いで、私たちの事情も正直に話したが、そこは秘密厳守を約束してもらった。

 第一大陸と違い、第二大陸ではアルタミラ教はそこまで勢力があるわけではない。より正確には、大昔に第一大陸でアルタミラ教に迫害された宗教が逃れててきたのが第二大陸になる。そのためこちらでは複数の宗教が存在しており、表向きは互いを尊重しつつ共存しているというのが現状だ。中でもアルタミラ教会に反発して組織された新教の派閥は独自の宗派を組織しており、その内容は似ているものの全く違う形になっている。ついでに言えば宗教と一緒に王権も嫌われたせいで共和制が政治形態として採用されているというのも注目点だ。

 レナが第二大陸にアビーを逃がせと言ったのも、恐らくそういう中であれば市井に紛れることも可能と考えたのだろうと私は思っている。

 マスターが信じられる人かどうかは、ヴァルターの『信じろ』と言う言葉が唯一の担保だ。アビーが聖女だということは徹底して秘匿するべきと言うのは私たちの共通の認識だが、それを隠して彼やヴァルターに迷惑をかけるのは心苦しい。こちら側の誠意として、そのことは素直に話した。

 そうして、それらを踏まえたうえで出来そうな仕事を紹介して欲しいという話に、マスターは意外なアイデアを提案してきた。


「そういうことでしたら、ここの診療所をお願いできませんか」


 聞けば、冒険者には回復担当の魔法使いがいるものの、絶対数が少ないため常に需要過多の状態らしい。そのため魔法使いが仲間にいない場合は怪我をしたらいちいち街の病院に出向かわざるを得ないのだが、できればその手のケアについてはギルドの中で完結したいというのがマスターのご意向なのだそうだ。正直、重傷の場合は街の病院までもたない患者もいるらしい。

 彼自身、冒険の最中に足を失っていることからその手のケアには熱心なのだそうだ。


「私に務まるでしょうか」

「大将なら問題ないんじゃねえか?」


 気軽にヴァルターが言うが、患者に対して責任を持つというのは言葉で言うほど軽くはない。

 悩む私をよそに、マスターは連れの二人にも提案を持ちかけた。

 

「できましたらこちらの御二方にも仕事を手伝っていただきたいと思います。お嬢さんには受付を、剣士の方には指南役というところでいかがですか?」

「私は受付やらせてもらいたいです」

「私も異存はない。だが、強いて言えば指南より冒険者の方が興味がある」


 そんなやり取りをしている時、廊下から騒がしい足音が急接近し、ノックもなく出し抜けに部屋のドアが開いた。

 そこには、可愛らしい女の子がいた。

 年の頃は一五か六。恐ろしく端正な子だ。

 だが、その全身はボロボロだった。返り血と思しきもので服全体が赤く染まっていた。顔には疲労の影が濃い。

 その赤い両目が、マスターの隣にいたヴァルターに注がれていた。


「よう、エンデ。帰ったぜ」


 そう言って立ち上がると、エンデと呼ばれた女の子はおぼつかぬ足取りで、恐る恐ると言う感じにヴァルターに縋りついた。

 そして、目の前のその存在が本物であると確信するや、吠えるように泣き始めた。

 魂が震えるような慟哭を、私は生まれて初めて聞いた気がした。

 己の半身などと言う言葉では追い付かないような存在を、今この子は取り戻したのだと私は感じた。


「すまねえな」


 背中に腕を回してそれを見つめるヴァルターの目は、どこまでも優し気だ。

 言葉にすれば、ありふれた関係ではあろう。だが、真に深い絆と言うものに結ばれたこの二人の距離というものを、この時私は見たような気がした。


 ヴァルターが行方不明になって以来、イーサンもエンデも、彼の生存を信じて連日迷宮の奥深くまで捜索のために潜り続けていたということは後で聞いた。

 その際にエンデは周囲が止めるのも聞かずに深部にまで向い、ドラゴンすら出て来るエリアにまで足を踏み入れていたのだそうだ。結果としてライセンスがコンプリートになったというが、当人にとってはただの行きがけの駄賃ですらなかったとのこと。


 その後、診療所の部屋を見せてもらい、大よその業務内容のすり合わせを行った。期待半分、そして不安半分。だが、既に退路はない。私はこの話を受けることにした。

 次いで女子寮に案内され、空き部屋をあてがわれた。

 係の女の子が言うには、あるのはベッドとクローゼットくらいで細かい家具類はないものの、シーツは綺麗なものを用意してくれるのだそうだ。

 ついでにお風呂があると知って私は狂喜した。何日ぶりのお風呂だろうか。


 身の回りのものを片付け、早速お風呂をいただくことにした。

 寮のお風呂は魔法を使った循環システムがあるようで、二四時間入浴可能と言う優れものというから素晴らしい。

 垢じみた体を念入りに清めてお湯に身を委ねると、自分でも驚くほどの深いため息が漏れた。


 思い返せば、いろいろありすぎた旅だった。

 間接的とはいえ、兄を手にかけた旅だ。それ以外にも、人を殺した。出奔するまでは、そんなことをする日が来るとは夢にも思っていなかった。

 闇を抱えて私に辛く当たって来た兄に対しては恨みはない。彼は彼なりに苦しんできたことを思えば、心情的に察するところもある。

 そして、何があっても私はもう大公家には戻れないということも兄の死をもって確定した。

 それは別にいい。却ってさっぱりしたとすら思う。

 だが、もう一つの思いはきれいさっぱりとはいかない。

 レナ。私の友達。

 彼女は今、どうしているだろうか。

 生きていてくれればいいが、手持ちの情報に鑑みるに希望を持つことはかなり難しい。

 この先何とか教会の情報を得る手段を探り当てられればいいのだが、教会の中でも知る人が少ないという秘祭となるとそれも望み薄だろう。

 詳細はクレアと相談するとして、今は雌伏の時を過ごすしかない。

 アビーを守って欲しいというレナの頼みは、私にとって死守せねばならない友の願いだ。まずはそこを軸にして今後のことを考えようと思う。


 悶々と思考実験を繰り返していると、浴室の扉が開いた。

 クレアかアビーかと思いきや、それは先ほど会った小柄な女の子だった。

 名前はエンデ。


 そのエンデは無言で身を清め、シャボンを洗い流すと戦闘を生業とする人らしい無駄のない動きでお湯に入って来た。

 無表情な子だ。お湯に入ってため息も漏らさない人がいるとは思わなかった。

 そのまま私の隣でお湯に身を委ねているが、こっちとしては何だか猛獣が近くにいるような得体が知れないプレッシャーを感じていた。

 さっさと退散しようか、と思った時だった。


「貴女が……」


 思ったより小声だったので一瞬聞き間違いかと思った。


「貴女が、ヴァルターを助けてくれたの?」


 今一度聞こえた彼女の声。聞き間違いではないようだ。


「成り行きでね。助けたというほどのことをしたわけじゃない」

「彼を使い魔にした、というのは本当?」

「使い魔にしたかった訳じゃない。召喚魔法を使ったら彼が出て来た。それだけのことだ」

「そう」


 その途端、感じていたプレッシャーが倍になった。

 隣にいるのがでっかい熊のような生き物ではないかと思うくらいだ。


「貴女は、彼を使役するつもりなの?」


 使役と来たか。どういう意図の質問か分からんが、ずいぶんおかしな解釈をされているような気がする。


「参考までに、もし私がそのつもりだと言ったらどうする気だ?」


 そう答えた刹那、私は自分の喉元に銀色の何かがあることに気づいた。

 視線を落とすと、それは非常に鋭利な短剣だった。

 全身から脂汗が噴出した。目に見えないどころか、お湯の表面すら乱さずどうやって突きつけたんだ、これ。この子がその気だったら私は一〇回は死んでいただろう。


「その時は、貴女を殺して私も死ぬ。彼の自由意思を踏みにじる存在は許さない」

「了解した。まず落ち着いて私の言い分を聞いて欲しい」


 短剣を突き付けられたまま、私はこれまでのことを説明した。

 平静を装うのに、ものすごく体力と精神力を消耗した気がした。


「という訳で、私は彼をどうこうするつもりはない。それだけの甲斐性もない。だから、彼には彼の自由にするように話してあるし、今後もその方針に変わりはない。そこのところは理解してもらえないだろうか」

「貴女の言い分は分かった。でも、完全には信用できない」

「どうすれば信じてもらえる?」

「多分不可能。貴女が結果的に彼を助けたことについては心から感謝する。でも、使い魔として召喚した事実は変わらない。それに、貴女の容姿は充分に美しく魅力的だと思う。彼が貴女を気に入る可能性は払拭できない」

「払拭してくれ。私にはそのつもりはない」


 エンデが短剣を外してくれるまで三〇分かかり、のぼせて倒れる直前に私は何とか解放された。




 ひどい目に遭った。

 内心でぶつぶつと文句を言いながら、明るい内に案内された物干し台に出てみた。

 夕涼みにはちょうどいい場所で、なかなかに眺めもいい。

 売店で仕入れて来た安いワインを手にちびちびやっていると、背後に人の気配が揺れた。


「何してるのですか?」


 現れたアビーが、ずいずいと私の隣に座って来た。


「厄落としだ。さっきエンデって子に散々脅かされたんだ」

「脅かされた?」

「ヴァルターに手を出すなとのことだ。眼鏡違いも甚だしい」


 説明すると、アビーはけらけらと笑った。


「エリカはおじさんが好きなのですから、ヴァルターはちょっと違うと思うのです」

「こら待て、何故それを知ってる?」

「知ってるも何も、昼間にギルドマスターさんに見惚れてぽーっとしてたです」

「そんなにぽーっとしてたか?」

「はい。それはもう」

「それはしまったな。密かに思うのが恋路の王道なんだが」

「でも、マスターさん奥様いるみたいなのです」

 

 そうだったのか……。

 私の恋は生まれる前に砕け散った。不倫は誰も幸せになれないことくらいは知っている。


「何だ、二人そろって酒盛りか?」


 折よく現れたのはクレアだった。


「あ、いいところに来たのです。エリカはおじさんが好きだということをどのように広めればいいかクレアからも意見が欲しいのです」

「広めるんじゃない。 あと、『おじさん』と『おじさま』は違う生き物だから間違えないように」

「いや、でも昼間のあれはさすがにどうかと思ったぞ。貴公もああなるというのは発見ではあったが」



 その日から始まる、賑々しくも楽しい日々。

 私たちがイルミンスールに流れてきた経緯は、大よそこのようなものだった。

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