20.麗良と老婆
薬草の香りが立ち込める薄暗い店内で泣き出してしまった麗良だったが、思えば彼女はこれまで異常な程に物分かりが良過ぎたのだ。たとえそれが人生の入れ替わりの為の条件や仕様なのだと、麗良自身が思い込んでいたとしても、十七歳の少女がいきなり知らない世界で他人の人生を生きていく覚悟など……。
思い出す事すら遮断されていた身近な記憶と、抗いたくても薄れゆく記憶の中で、突如蘇った祖母の優しさと飼い猫のペロ。これまで蓋をしていた感情が一気に溢れ出してしまった麗良を、老婆は「困った子だね」なんて言いながら麗良の隣へと移動して慰める。
ひとしきり泣いた後、今度は規則正しい寝息が聞こえてきたところで黒猫が口を開いた。
「もしや催眠の魔法を?」
「なに、少しだけさ。この子にもね別の人生の記憶がある様だ。たまにあるんだよ、運命の女神だか神様の仕業さ。きっとこの子が産まれてくる時に魂が入ったんだろうけど、何かのきっかけで最近思い出したんだろうよ、前世というやつをね。それを何故かこの子は他人同士が入れ替わっているなんて思い込んでいたみたいだからね、これからは遠慮せず怖がらず自分の人生として生きていける様にしてあげたのさ」
「そこまで干渉して大丈夫なのですか?」
「構いやしないよ、今の私ならね。フフフおかしな話だ、人間は自分達が異端者として排除し焼き殺した相手を、今は女神として崇めているのだからね。同じ行いをしてこうも扱いが違うとは……。本当に人間とは残酷で愚かで可愛い生き物だよ」
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遥か遥か昔、この国の一部の集落には万物に魂が宿るとした信仰があった。そこには不思議な女性がおり、彼女は薬草や植物の知識に秀で、満天の星からメッセージを受け取り、命の誕生に立ち会い名を授ける事を己の使命とし、多くの人達に知識も力も分け与え尊敬と感謝をされながら、静かに暮らしていた。
彼女の噂は別の信仰の大きな集団の元まで届き、不思議な力を持つ老婆は異端者として火刑によって処罰されてしまった。
彼女の魂はそれから長い眠りについていたが、何百年も彼女と同じ様な哀れな魂が後を絶たなかった為、運命の神様が彼女の魂を選び再び使命を与えたのだ。
彼女は忌わしい記憶と共に再びこの地に降り立ち、使命を全うすべく前回と同じ様に、薬草で病を治し作物を豊かにし、星詠みをして赤子を取り上げ名付けをした。そうすると何故か今回は愛と豊穣の女神として崇め奉られた。
前回と今回、違ったのは彼女の見た目だけ。今回の大きな組織は彼女を取り込み象徴としたのだが、彼女もより多くを救う手段としてそれを受け入れた。
やがて愚かな迫害が無くなり、彼女は新しい王を選び加護を与え国を作った。そうして真実を見極める為に与えた加護は現在も脈々と、特別な力として王族に受け継がれている。
彼女は彼らにこの国と人々を託し建国の女神となり、『愛と豊穣の女神フリッグ』として語り継がれる存在となったのであった。
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「う......ん、ん?ここ......は」
「目が覚めたかいお嬢ちゃん、あんたこのリラックス効果のお茶を飲んで眠っちまったんだよ、若いのに疲れているんじゃないのかい?」
「まぁ!ごめんなさい私ったら、訪ねてきて眠ってしまうだなんてなんて失礼を!」
老婆はスッキリとした香りのお茶をレイラにだし、何事もなかったかのように雑談を交わす。レイラも近況などを報告してそろそろ帰ろうとした時、老婆が日記帳を麗良に手渡す。
「鍵穴の修理は出来たからもう大丈夫だよ、なぁに中は見ていないから安心おし」
「そうだわ!私ったら鍵を開けてもらいに来たのに、大事なものを忘れてしまうところだったわ」
「これからも、お前さんなりに大事に正しく使っておくれ。」
「えぇ、もちろん!これは私の目標日記なの、言葉と文字にすることで頑張ろうって意識する為の」
「キヒヒ!そりゃいい、お前さんだけの人生なのだから沢山目標を見つけて、しっかり努力するんだよ!どの願いも叶うといいねぃ」
そう言った老婆はレイラの頭を撫でながらとても満足げに嬉しそうに笑った。不思議な事にレイラには目の前の老婆が、とても綺麗な女性に見えたので驚いてパチパチと瞬きをする……。見間違い?しかしほんの一瞬ではあったが、確かに美しい女性となった老婆から温かな光を感じたのだ……。
それは本当に刹那の出来事で、今はもう目の前の人物は老婆へと戻り「またおいで」なんて言いながら、皺々の手を振っている。
レイラはにこりと笑い「次はケーキと紅茶を持って遊びに来ます」と言って店を後にした。
しばらくしてレイラを送って行った黒猫が戻ってきて、花瓶に飾られた花を眺めながらお茶を飲んでいる人物に声を掛ける。
「フリッグ様?何やらご機嫌のようですね、あの子ですか?」
「フフッ、あの子私に気付いたようだよ?今日のこの花も嬉しかったけど、次はケーキを手土産に遊びに来てくれるそうだ。本当に変わった子だよ......」
「催眠の他にも何か力を使われたのですか?」
「今日の記憶の書き換えと、日記を普通の日記帳に戻しといたよ。今のあの子なら自分の力で頑張れそうだったからね!」
「それで?貴女様はこれからどうされるのですか?あちらに戻られるのですか?」
「いや、折角だからあの子が幸せになるのを見届けようかね......。お前は物好きだなんだのと言うだろうけど、私は嬉しいのさ。もう一度人間に対して義務や使命ではなく純粋な興味を持てたことがね、だから今回は破滅を楽しむのではなくて、そうさねぇ......期待?いいや『希望』だね!」
レイラの事を希望と言うその人の瞳はキラキラと輝いていたのだった......。




