10話 お昼ごはん!③
続き
「ねえ、料理も来たことだし……先に食べちゃおうか」
「……そうだな」
赤いトマトのスープの酸っぱい香りと、たまねぎやじゃがいも、キャベツ、ズッキーニ、豆といった彩り豊かな野菜たちの優しい香りが辺りに立ち込めている。ブラッドもアルナも、やはり食欲には勝てそうにはないみたいだ。
「ブランの言ってた"なにより……"の続き、後で聞かせてね!」
「…………分かってる」
「それじゃあ、手を合わせて……」
『いただきます!』
手を叩くパチンッという音と、声が店内に響く。2人とも息ぴったりだ。
"いただきます!"の声が響いた瞬間、真っ先に手が動いたのはブラッドの方だった。さっきまであんなに元気がなさそうで、気まずそうな雰囲気を醸し出していたのに、一瞬で食べることに目が向いている。
「……って、ちょっと待ったー!」
「な、なんだよ……」
……アルナが食べ始めようとするブラッドを止めようとするこの構図。初めてではない、朝ごはんの時に見た形だ。
「ブラン、このままじゃ朝ごはんの時の二の舞だよ!ブランだけすぐに食べ終わって、私が頑張って早く食べて苦しくなるパターンだよ、これ!」
「す、すまん……」
「ううん、大丈夫。それに、別に私は怒ってる訳じゃないの。ちょっと心配……というか気になることがあって」
「……気になること……?」
「ほら、ブランってごはんの時に目の色が変わるというか、とても必死というか。なんか見ていてそう思うの。なにがブランをそうさせたのかなって。あ、あと、早食いってお腹に悪いって聞くし……ちょっとそこも心配かな」
「えっ、早食いって体に悪いのか……。それならなおさら気をつけなくちゃな」
ブラッドは片手で皿を持ち、スープを飲みながら考えている。その姿は、朝ごはんの時とは似つかないものであった。
「うーん、早食いになった原因か……。うーんと、なんて言えばいいか……」
ブラッドは口をモゴモゴさせる。"暗殺の仕事のために早く食べる必要があった"ことや、"暗殺の仕事のために、そもそも必要最低限のものしか食べてこなかった"ことなんて、とてもではないがブラッドに言えるはずがなかった。今、ブラッドは上手い誤魔化し方を考えているのだろう。
「うーん……。まあ、せっかちな性格だからかな。前までそういう仕事をやっていたってのもあるのかもしれないな」
……いまいち誤魔化しになっていないと感じるのは気のせいだろうか。
「ふーん……ブランも大変だったんだねえ」
アルナが食べることに集中しているおかげか、どうやら上手く誤魔化せたみたいだ。しかし、ブラッドはまだどこかソワソワしている様子だ。
「……な、なあ、俺も気になってることがあるんだが……」
「んっ?どうしたの?」
アルナは皿とスプーンをテーブルに置いて、ブラッドの話を聞く。
「バルクってどんな奴なんだ?なんかこれを運ぶのを断ったってダリルじいさんが言ってたが……。アルナは"ダリルくん"って言ってたし……知り合いなのか?」
ブラッドも皿とスプーンのテーブルに置いて、いつになく真剣な顔で尋ねる。
「うん、ダリルくんとは知り合いだよ。確か同い年とかだったような……」
「知り合い、か……。…………仲はいいのか?」
「うーん……仲は"普通"って感じかなあ。同い年だけど、このお店くらいしか会わないし……」
「……そうか」
「てか、ブランってば、やけにバルクくんのことについて聞くじゃん。……どうしたの?…………はっ、もしかして一目でファンになっちゃった?」
「いや、別にファンとかではないんだが……なんか気になってな」
「まっ、いきなり断った理由は気になるよねえ。バルクくん、普段はいたって真面目って感じなのに」
「今日が特別忙しいってことはあるのか?……料理を作るのに」
「それは無いと思うなあ。だって、今いるお客さんって私とブランの2人だけだし……。それに、いつも2人でこのお店を切り盛りしてるし」
「……考えてみれば、よく2人で成り立ってるよなこの店。……大変じゃねえのか?」
「……私は大変じゃないと思うな。マリアおばあちゃんはもういないけど…………」
「誰だよそのマリアおばあちゃんってのは」
「ダリルおじいちゃんの奥さんのことだよ。……数年前に死んじゃったけどね。昔はダリルおじいちゃんとマリアおばあちゃんの2人でこのお店を切り盛りしてたっけ……」
「いろいろとこの店も大変だったんだな……」
「まあ、そう暗いことばかりでもなかったんじゃないかな。バルクくんがこのお店に来たのもこの頃だったし」
「まっ、人間その気になればどうとでもなるっていうしな」
「なんかブランが言うと説得力があるというか……不思議だね」
「そ、そうか……?」
……確かに、ブラッドの言うにはどこか説得力のようなものがあるように思う。それは、自分のことやいろいろな人を殺してきてから言える事なのだろう。
それともう一つ……バルクのことだ。アルナが言うには、バルクはダリルの妻であったマリアが亡くなった後でこの店で働き始めたらしい。この店に来た時に2人に水を出したが、その後にバルクが2人の料理を運ぶのを断った。そのためにダリルが運ぶことになったようだが……バルクは普段は真面目ということらしい。そんな真面目で通っているバルクがなぜ運ぶのを断ったのか……2人はまだピンときていないようだった。しかし、2人がもうちょっと経験を積んだとき、分かるのかもしれない。
こんな感じで話に花を咲かせながら、ブラッドとアルナは食べ進めていた。時には、お皿やスプーンをテーブルに置いたりして話したり話を聞いたりしていたが、朝ごはんの時とは大きな違いがあった。
「私はもう食べ終わりそうだけど……ブランはどう……?」
「あれ、俺もちょうど食べ終わったところだぞ……」
「私たちが同時に食べ終わるなんて……これまた不思議なこともあるものだね〜」
「だな、自分でも驚いてるぞ」
「ブラン、なんか試したことでもあるの?」
「うーん、試したことというか……アルナと話すことに夢中になってたってことかな」
「……私と話すの楽しかった?」
「アルナと話すのはいつでも楽しいぞ。いつも話も聞いてくれるって結構嬉しいもんなんだな」
「…………やっぱ、ブランってたらしでしょ」
「だからなんだよそのタライってのは」
「や、やっぱなんでもないっ!」
アルナが顔を赤くして言う。
「ほら、あれやるよっ!」
「……あれってなんだっけ」
「手を合わせて……ってやつだよ!朝ごはんの時にもやったでしょ!」
「ああ、そういえばそんなこともやったな。……よし、俺が言おう」
「任せたよ、ブラン!」
「それじゃー……手を合わせて……」
『ごちそうさまでした!』
……今度は初めにやった時よりも息ぴったりとまではいかなかった。少しではあるが、アルナの手を叩くタイミングが早かったり、早口になっていた。……傍からみて結構初々しく見える。
そんなこんなで、2人はイスから立ち上がりレジの方へと向かう。
──────────
「……代金の合計、900ルーラとなります…………」
「はいはい……って、ダリルおじいちゃんってば、ちょっと安くない?」
アルナが目を丸くして驚く。ダリルは目の前にあるレジを見ながら、アルナのまん丸になった目を見て、微笑みかけていう。
「…………まあ、ちょっとしたオマケってことで……」
「ありがとう、ダリルおじいちゃん!……ちょっと待ってね」
「…………ありがとうな。おじさん」
「いえいえ。…………まあ、割引分といってはなんですが、アルナちゃんをよろしくお願いしますね……」
「…………………なあ、本当に俺でいいのか?自分で言うのが悲しくなってくるが、こんなボロっちい服をきて、今この瞬間奢られるような奴に、アルナを任せていいのか……?」
「……ええ、大丈夫です。……アルナちゃんはイヤなことはちゃんとイヤと言うことが出来る子ですから……」
「そ、そうなのか……?」
「……それに、一目見れば、みんな同じように明るく振る舞っているように見えるかもしれない。……でも、私はブランさんに対しての接し方はどこか違うように感じるんで──」
「ねえちょっと、2人で盛り上がらないでよー!」
アルナが100ルーラ札を9枚ダリルの前に出して、ブラッドとダリルの会話に入ってきた。
「ごめんね!どんなに探しても500ルーラ札無かったよ」
「……いえ、大丈夫ですよ……」
ダリルがすばやく1、2、3とすばやくお札を数える。
「……ちょうど、900ルーラありましたよ……」
「ほっ……良かった〜間違えてなかった。…………ねえ、ダリルおじいちゃんに聞きたいことがあるんだけど」
「…………聞きたいこと。……なんでしょう……?」
「私とブランね、ここのお店に来る前にモニカお姉ちゃんに会ったり、この商店街のお店を回ってきたの。」
「……ほうほう」
「そこではみんなして私とブランを"恋人"っていうの。……そんなに私たち、そういう関係に見えるのかなあって……。ダリルおじいちゃんも似たようなこと言ってたような感じがするし……。私たち、そんなに"恋人"に見える……?」
「…………それは、アルナちゃんが一番良く分かってるんじゃないかなあ……」
「私が、イチバン……?」
「……うん。昔からアルナちゃんのことを知っている人からすれば、これ以外はありえないって考えると思う……」
「…………そっか」
アルナはいきなり張り詰めた顔をしてつぶやく。そこにさっきまで流れていた和やかな雰囲気はない。初めて見るアルナの顔に、ブラッドは困惑を隠せない。
「おいおい、いきなり……」
「……アルナちゃん…………」
「ダリルおじいちゃん、ありがとう。また来るよ」
「……うん、待ってるよ……」
店の外に出るアルナとブラッド。ダリルは手を振って見送るが、アルナは反応しない。ブラッドだけがちょこっと手を振るだけだ。心なしか、ダリルの微笑みも曇って見える。
「お、おい、本当に──」
「ねえ、ブラン」
「は、はいっ!」
「河川敷の方へ行こっか」
「か、河川敷……?」
「……うん、私とブランが初めて出会った河川敷だよ」
表情が曇ったままのアルナ。こんな状況に、ブラッドはまだどう寄り添うべきか分からなかった。




