10年の終わり、1年の始まり(2)
背後に立っているのはリカルドだ。
近づいてきたのに全く気付けなかった。
毒を入れているところを見られた?
こういった器用さはスリで鍛えた。
見られたはずがない。
「その腕では大変だろう」
リカルドが背後からカップを取り、ナイトテーブルへと運んだ。
毒はちょうど溶けきっていた。
大丈夫、バレてない。
平静を装い、呼吸を整え、ベッドに腰掛けたリカルドの隣に座る。
紅茶に口をつけたリカルドが、私の左腕に触れた。
ガウンの袖をめくり、そこについた大きな切り傷を撫でる。
「やはり動かないか」
「はい」
触れられた左腕の肘から先は、動かないどころか感覚もない。
「そうか……。オレの命を救ったのだ、誇るがよい」
「はい」
「お前のように、命をかけてオレを救おうという女はこれまで一人もいなかった。部屋の隅で震えるばかりでな」
この傷は、リカルドに差し向けられた暗殺者から彼をかばった時に負ったものだ。
助けた理由はもちろん1つ。
リカルドを殺すのは私だからだ。
それに、彼に死なれては王宮内での後ろ盾がなくなり、動きにくくなる。
当時リカルドの世話係だった私は、暗殺者の一件で彼の信頼を勝ち取り、王妃候補に名を連ねることとなったのだ。
影で「自作自演だったのでは」などと陰口をたたかれたりもするし、リカルドも完璧に私を信用したわけではないだろう。
だがそれでいい。
あと1年、騙し続けることができれば、私の目的は達成されるのだ。
「今度はオレがお前を護る番だ。オレはお前を王妃にしたいと考えているよ」
翡翠色の瞳がまっすぐに私を見る。
「お戯れを……。新参の私などより、もっと家柄のご立派な……他国の王族の方々もいらっしゃるではないですか。私は殿下のお側ににいられるだけで十分です」
「そういうところも好ましく思っている」
この瞳に見つめられると、腹の底まで見透かされているかのようだ。
10年前、下卑た笑い声をあげる騎士達の中、静かに女を物色していた冷たいあの目がそこにある。
「ご本心であれば嬉しいですわ」
私は彼の胸に頭を預けた。
規則的な心音が私の耳を叩く。
この音を止めるのは私だ。
◇ ◆ ◇
王宮の中庭で、執事が薔薇の世話をしている。
その様子をメイド達が黄色い声をあげながら盗み見ている。
「見て見て、アベル様よ」
「今日も素敵よね」
「やっぱりあの黒髪が良いわ」
王都では珍しい黒髪にさわやかな笑顔。
執事服の似合う細身の長身を形成するすらりと伸びた手足。
「王に見初められるのは難しくても執事なら……」と考える女性達からの人気ナンバー1が彼である。
「クレア様だわ」
「美しい銀髪ね」
「あらあなた、クレア様派?」
「ち、違うわよ。そんなこと、他の王妃様候補に聞かれたら何をされるか……」
ここは聞こえないふりで、彼女達の前を通り過ぎる。
他の王妃候補が私を蹴落そうと、裏で色々手を回しているのは知っている。
それがなかなか上手くいかず、候補者達とリカルド王との関係に進展が見られないことも。
私としては、最も困るのはリカルドが私以外の誰かを選んでしまうことだ。
リカルドに近づく機会が減ってしまう。
一方、今のような膠着状態は望むところである。
王妃になってしまうよりも、自由が効くからだ。
彼女達の嫌がらせをのらりくらりとかわし、もうしばらく時間をかせがせてもらおう。
私はアベルの後ろを通り過ぎ、リカルドから王妃候補になったお祝いとして賜った温室の中へと入る。
観賞用植物の温室は、国内に数えるほどしかない貴重なものだ。
ここをもらった当初、他の候補者からのやっかみは、それはもうひどいものだった。
さすがに王宮の施設を直接壊すような真似はされなかったが、中を荒らされたりするのは日常茶飯事だった。
そこで、リカルド王に手を回してもらい、アベルにここの世話を頼んだのだ。
人気者の彼を敵にまわすと、使用人達の支持が下がる。
私に嫌がらせをするにしても、デメリットが大きくなるということだ。
それ以来、温室への目立った嫌がらせは減った。
その分さらに、私とアベルの接点が増えたことへのやっかみは増え、別の嫌がらせが増えたのだが、それくらいは必要経費だ。
私がアベルに世話係を頼んだ本当の理由は、別にある。
音もなく温室に入ってきたアベルが、私と目を合わせずに花の世話を始めた。
真っ赤なサンタンカに水やりをしている。
「それで、報告って?」
私は温室の外に漏れないよう、小声で問う。
外からは二人が別々に花の世話をしているように見えるよう意識する。
「一人、見つけました」
「ほ……っ! ほんとに……?」
思わず上げそうになった声を潜める。
心臓が撥ね上がり、呼吸が乱れる。
村を襲った仇達。
特に目立っていたリーダー格5人の顔は今でも思い出せる。
しかしこれは10年も前の話。
本当に本人なのかは、よく調べる必要があった。
そのうちの1人が見つかったというのだ。
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