対決 東の魔女
(急がないと!)
彼女は艶やかな黒髪を振り乱しながら、ひたすらに死屍累々たるありさまのアルビオンを駆け抜けてゆく。
いつの日か、こんな日が訪れるかもしれないとずっと家に隠し持っていた“錫杖”を強く握りしめながら、ただまっすぐと。
街を守りたいとか、世界を救いたいとか――そんな立派な想いではなかった。
ただ彼女は力になりたかった。
きっと無事ならば、この状況で、“彼”がどんな判断を下しているかは想像がつく。
もしも彼が傷ついていたのら、速やかに傷を癒したい。
戦っているのなら、共に並んで、この危機に立ち向かいたい。
今の自分と、彼との関係――それを承知の上で、彼女自身ができることをしたい。
そして今の彼女が彼の力になれることはただ一つ。
彼女はようやく、彼とその一党の背中を、眼鏡の奥にある黒い瞳で捉えた。
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「ワタシ、凄いでしょ? ねぇ、先生、凄いでしょ!? 今のワタシは【東の魔女】! 魔神皇も、このサリス様にメロメロなのぉ! あっ、でも先生はやっぱり一番だから! だから褒めて? ねぇ先生! ねぇ! ねぇ! ねぇ~!」
魔女の声を受け、生きる屍が一斉に動き出し、襲い掛かる。
すると臨戦態勢を取るロイドたちの目の前で“癒しの輝き”が迸った。
輝きに飲まれた死霊の大群は灰となり、塵となって、その存在をかき消す。
「なっていませんね。愛情は一方的に押し付けても、受け取ってはいただけませんよ?」
「誰だぁっ!」
怒りに満ちたサリスの声を受けても、向こうからやってきた彼女の凛然とした態度は崩れなかった。
彼女は黒い髪色とは正反対の、白色の輝きを帯びるロッドを下ろす。
服装こそ地味な布製のものだが、纏う気品は質素な身なりであっても変わらない。
あでやかな黒髪は店外であっても、興奮をそそる。
彼女はアルビオン大図書館の閉架書庫で働いている【モーラ】。
しかしそれは昼の姿であり、夜は高級娼館で【ニーナ】という源氏名で、不動のナンバーワンの地位を確立する娼婦である。
どうやら今しがた“白呪術の一つ【ホーリーヒール】”をモーラが放ったのは明らかだった。
彼女は小走りで駆け寄り、ロイドたちに並ぶ。
「モーラさんって魔法使いだったんだ……」
「オーちゃん感心してる場合じゃないにゃ! 来るにゃよ!」
ゼフィの一声にオーキスはメイスを握り直す。
「モーラ、君は……?」
ロイドもまた意外な彼女の姿に驚きを隠せずにいた。
「昔取った杵柄というやつです。私も微力ながらお手伝いさせてください」
「いいんだな?」
「勿論です!」
モーラの頼もしい言葉を受けて、ロイドは覚悟を決めた。
「ありがとう。助かる」
「参りましょう、ロイドさん!」
奇しくも相応に戦える者が五人が揃った。
その様はまさに、邪悪に立ち向かう一党さながらであった。
そして今や、目の前にいる魔女を倒し、アルビオンを救えるのはロイドたちを他においてなし。
今こそ、魔女に立ち向かう時。
「陣を組むぞ! スペキュレーション! ゼフィ、オーキス来てくれ!」
「わかった!」
「はいにゃー!」
ロイドの左右へオーキスとゼフィが並んだ。
リンカとモーラは指示を出さずとも、後方で構えた。
前衛の三人が物理攻撃で相手へ突き刺さり、その隙に後方の強力な魔法使いが魔法で薙ぎ払う速攻陣形。
その形は、鋭い剣や槍を意味する。
戦うものならば誰でも心得のある陣形の一つ――それが“スペキュレーション”。
「いくぞぉ!」
かくして剣の如く、ロイドを先頭に戦う者たちは魔女を退治すべく走り出す。
「あは! ワタシの可愛いお人形ちゃんたち来て来てぇ!」
サリスは狂気じみた笑い声を響かせた。
銀の長い髪が逆立ち、背中から黒い鳥の翼のようなものが生え、彼女を空へ押し上げる。
そしてロイドたちを血のように赤い瞳で見下ろした。
「ちょーっと先生たちと遊んであげてねぇ! 先生以外は殺していいからぁ! きゃははは!!」
サリスが従える邪悪な眷属が怒涛のように押し寄せ始めた。
「おおっ!」
先陣を切ったロイドは数打ちで無銘だが、毎日手入れを欠かさず行なっている両刃の愛剣を振り抜く。
剣は鮮やかな軌跡を描き、影の魔物:ザンゲツを霧散させる。
(行ける!)
ロイドはそう確信し、次は死霊の群れへ果敢に飛び込んでいく。
「獅子拳、狼牙拳師範! ゼフィ=リバモワにゃ! 宜しくお願いしますにゃー!」
律義に拳士としての挨拶を叫びつつ、ゼフィは拳を突き出す。
オリハルコン製の棘の付いたメリケンサックを握る腕が、死霊をまとめて数匹なぎ倒した。
その脇でオーキスは人の耳では理解できない高速詠唱を唱えていた。
「魔法付与! 聖光!」
鍵なる言葉をもって、自慢のメイスを金色に輝かせたオーキスは、死霊の群れへ突っ込む。
「おらぁっ!」
聖なる光を伴った鈍重な打撃武器はその輝きだけでザンゲツを吹き飛ばした。
死霊は殴られるのと同時に輝きに焼かれ、灰へと変わってゆく。
そして前衛の三人が敵を駆逐している隙を見て、高速詠唱を終えたモーラがロッドを突き上げた。
「ブライトウォール!」
ロッドより放たれた輝きが空を舞い、壁となって降り注ぐ。
それは数多のザンゲツや死霊をぐるりと囲んで閉じ込めた。
「リンカさん! 今です!」
「!!」
モーラの声を受け、リンカは丸めた羊皮紙を広げ、高々と翳した。
羊皮紙に記述された綺麗な筆致の神代文字が燦然と輝きを放ち、燃え尽きる。
漆黒の空へ打ちあがった稀代の魔法使いの力は、真っ赤で巨大な“火球”となって、光の壁に阻まれた闇の眷属へ降り注いだ。
火球の表面から湧き出る炎はザンゲツを発火させ、死霊は巨大な火球の質量に押しつぶされ、燃え尽きる。
「相変わらず規格外の魔法にゃね! 圧巻にゃ!」
ゼフィは死霊を殴り飛ばしつつ感想を口にし、
「だってリンカは魔法の天才だもん! おじさんもそう思うよね!?」
オーキスは輝くメイスでザンゲツを叩き伏せながらも笑みを漏らす。
「ああ! 全くリンカは凄いぜっ!」
ロイドはそう受け答えつつ目の前の死霊へ剣を叩きこむ。
「ぐっ!?」
柄に重さを感じ、刃がぴたりと止まる。
連戦で切れ味が悪くなり、更に運が悪いことに、骨に当たってしまう。
すると女の死霊は大口を開いて、牙でロイドの首筋へ襲い掛かる。
「ロイドさん、今お助けします! シャープストーン!」
背後からモーラの声が響き、白色の輝きがロイドの剣へぶつかる。
魔法によって切れ味の戻った剣が死霊の身体を振り抜けた。
「おわっ!?」
次いで降り注いできた鋭い稲妻に吹き飛ばされた。
死霊は一発で塵に変えられ、ロイドはしりもちをつく。
後方のモーラとリンカは同時に掲げた腕を下げている。
「あ、ありがとう二人とも。助かった……」
リンカとモーラは、戦闘中にもかかわらず、顔を真っ赤に染めるのだった。
「おっちゃん、結構モテモテにゃねぇ。オーちゃんはなんもしなくて良いにゃか?」
「はぁ!? ゼフィの言ってること意味わかんないですけどっ! おらぁっ!」
ゼフィの軽口に、オーキスはポニーテールを鞭のように振りながらメイスで死霊の頭を叩き割った。
邪悪に立ち向かう精鋭五人は、鮮やかな手腕で、敵を次々と駆逐してゆく。
ロイドを始め、誰もが懸命に今できることを、力の限り行なっている。
しかし多勢に無勢であった。
戦は数とはよく言ったもの。たとえ猛者が五人いようとも、懸命に戦おうとも、ザンゲツはその隙に逃げ惑うアルビオンの人々を襲い続けていた。
襲われ死亡した人は皆、東の魔女と化したサリスの“死霊召喚”の力を浴びて、死霊として復活し、次の獲物を狙って徘徊を始める。
「ああ、もうきりがない!」
額に汗を浮かべつつ、遂にオーキスが怒りの声を上げた。
仕立ての良い若葉色のローブはすっかり赤黒い血液でどろどろに汚れてしまっている。
「オーちゃん、弱音を吐く前に魔法を吐くにゃ! メイスで一匹でも多く敵をぶっつぶすにゃ!」
そう叱咤激励するゼフィも、拳筋にやや鈍りが見え始めている。
「ロイドさん、指示を! も、もう持ちません!」
モーラはロッドを突き出し、光の壁で死霊とザンゲツの侵攻を辛うじて食い止めていた。
そんな彼女の背後でリンカは、羊皮紙へ必死な様子で詠唱を記述している。
既に文字魔法のストックは底を尽きていた。幾ら、リンカの文字魔法が破格の威力を誇ろうとも、闇の軍勢の勢いは全く衰えなかったのである。
「あは! みんなどうしたの? もっと頑張ってよ! ねぇ、ねぇ~! あははは!!」
宙を舞うサリスは無邪気な笑い声を響かせる。
サリスのまだまだ余力を残していそうな雰囲気に、ロイドは危機感を抱く。
既に聖王国第二の都市:アルビオンは無数の瓦礫が転がり、血の匂いが充満する廃墟さながらの様相を呈していた。
生者の数よりも、圧倒的に死者と魔物の数が勝っていた。
このままでは幾ら精鋭五人たるロイドたちであっても全滅は必至であった。
(やはり、もはやアレをするしかないか!)
決断したロイドは死霊とザンゲツを叩ききりながら突き進む。
そしてモーラの後ろで必死に羊皮紙へ書きなぐっているリンカの腕を取った。
「リンカ、サラマンダーを召喚するぞ!」
「!?」
かつて魔神ザーン・メルの時、ロイドはリンカの声の代わりとなって詠唱を唱え、サラマンダーを召喚した。
もはやこの状況を覆すには、リンカとロイドのみが成せる“精霊召喚”にかけるしか方法は無かった。
しかしリンカは複雑で、険しい表情を崩さない。
かつて、精霊召喚をして、ロイドが長期間入院したことを想いだしている様子だった。
「このままでは全滅だ! 頼む、リンカ! 今一度、力を貸してくれ!」
「……」
「リンカっ!」
それでもリンカは首を縦に振ろうとはしない。
「「「わあぁぁぁぁぁ!!!」」」
その時、死霊の呻きを引き裂いて、勇ましい戦士たちの声がアルビオンの街へ響き渡る。
網の目のように張り巡らされたアルビオンの街道。
その至る所から、重厚な鎧に身を包み、金色に輝く巨大な盾を持った戦士たちがなだれ込んでくる。
鉄兜の額に輝くは星のエンブレム。
街の治安を守り、時に防人として戦う“憲兵隊”である。
「光の盾を前面に押し出して突っ込め! 死霊を壁の外へ押し出すんだ!」
憲兵隊を指揮するは、ロイドの友人で、かつては共に勇者を目指してた屈強な男【ジール】。
彼の指示を受け、道幅びっしり横帯に並んだ憲兵たちは、対アンデッド用の白銀の盾を掲げて、一糸乱れぬ動作で前進を開始する。
盾はザンゲツの爪を弾き、群がる死霊は体を焼かれて獣のような叫びをあげる。
「チッ……」
そんな眷属の様を見て、サリスはつまらなそうに舌打ちを上げた。
そして右腕の漆黒の籠手を掲げて、そして黒雲が垂れ込める空へ、魔力を打ち上げる。
黒雲に星のような幾つもの輝きが浮かんだ。
「せんせぇ~! 今日はこの辺にしておくね! ワタシ、東の塔で待ってるね! 絶対にあそびに来てね! じゃないと、この辺りはぜーんぶ“星屑之記憶”でぶっぱしちゃうから! だから来てね! 絶対だよ!? きゃははは!!」
サリスは黒い翼を羽ばたかせ、東の方角へ消えていく。
彼女の眷属たる影の魔物:ザンゲツも、死霊化したアルビオンの住人も、波が引くように街から去ってゆくのだった




