東の魔女
遥か昔。聖と邪と人が、大地に混在せし頃。
東の塔に、魔神皇より寵愛を受けた魔女あり。
闇の力に溺れた女は魔導の邪道に堕ち、魔神皇の寵姫となりて、死霊を蘇らせ人々を苦しめん。
しかし、勇敢な者現れ、聖王より“破邪”の力を賜り、魔女の根城:東方の魔塔へ赴かん。
勇敢なる者は懸命に戦い、その命を引き換えにし魔女を打ち倒す。
これぞ破邪を成した勇敢な者“アルビオン=シナプス”と、東の魔女の末路。
聖王国一千年の歴史における礎の一つ。
――聖王国であれば、特に衛星都市であり英雄の名を持つ“アルビオン”の住人ならば、余すことなく周知している昔話である。
聖と邪、善と悪、光と影。
どこにでもある、ありふれた、勧善懲悪の道徳の側面も持つお話。
古ぼけた、風化した、余計な情報が一切ない、単純で、明快な昔話だった。
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夜半過ぎ、アルビオンの外れに牧場を構える、男の主は飛び起きた。
夜更けに家畜の異常な嘶きを耳にしたからであった。
起きぬけ震えている妻子へ、母屋から出ないように言いつける。
母屋から出た彼は、壁に立てかけてあったピッチフォークを槍のように持ち、闇に沈んでいる牛舎へ向かっていく。
先ほど聞こえた嘶きを最後に、音が一切聞こえてこない。
ただ不気味な静寂だけがまとわりついてくる。
牧場主はフォークの柄を手汗で濡らしながら、そっと牛舎を覗き込む。
そして目の前の光景に息を飲んだ。
夕方までは元気にしていた数十頭もの牛が全て、牛舎の中で倒れ、ピクリとも動かない。
殆どが腹を切り裂かれ、ある牛に至っては首から上が無くなっている。
しかし不思議なことに、血が一滴も流れていなかった。
残っているのは骨と皮、そして肉。
その様を見て、牧場主は幼い頃に母から聞いた昔話の恐ろしい一節を思い出す。
『悪いことをしていると、東の魔女がやってきて、お腹の中身を全部持ってってしまうよ』
背後に気配を感じて、彼はフォークを構えたまま、踵を返す。
牛舎の脇にある森の中。
そこではゆらゆらと人影が揺れている。
髪が長く、その間からは長い耳のようなものが生えているように見える。
「あは!」
影は妙に軽快な笑い声を放って飛び出した。
牧場主が咄嗟に槍を突き出す。
しかし六本の穂先は、大きな“爪”に切り裂かれ、勢いのまま彼へ振り落とされる。
それが彼の見た最後の光景だった。




