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図書館大集合


「うー……! ぬぅー!」


 静かなはずの図書館に、必死めいた唸りのような声が響いた。

書架の間から声のした方を覗いてみる。


 そこでは若葉色のローブを着た少女が、長いポニーテールを揺らしながら一生懸命背伸びをしていた。

どうやら書架の高い所にある本を踏み台なしで取りたいらしい。

 彼女の身長は決して低くはない。むしろ書架が異常に高い。

そんな書架に負けてなるものか! なのか。

彼女は必死につま先立ち、指先を僅かに本へひっかけている。


「ほら。無理するな」


 見ていられなくなったロイドは彼女の後ろから本を取り、差し出す。


「あっ、どうも。って、おじさん?」


 切れ長の瞳が、ロイドを捉えた途端、丸くなる。

やはり本を取ろうとしていたのは接近戦と魔法の両方をこなす闘術士バトルキャスターのオーキス=メイガ―ビームだった。


「おっちゃん!?」


 と、今度は書架の間から、図書館の静寂にふさわしくない弾んだ声が聞こえてくる。

 ダダっと、駆け込んできたのは、相も変わらず周りの男性の視線をくぎ付けにして仕方がない軽装備の戦闘民で格闘家の獣耳少女。


「おっちゃん、久しぶりにゃ! よーやく、僕と一発やりにきたにゃ!?」

「なっ、おま――」


 ゼフィの開口一番に、ロイドは息をのみ、


「ちょ、ちょっと、ゼフィ!」


 パートナーのオーキスはゼフィへ飛びついて口を塞ぎ、二の句を封じる。

周りからは迷惑と驚きが入りじまった視線が、槍衾やりぶすまのように向けられている。


「もが、ふが!」


 ロイドとオーキスはゼフィを両脇で掴み、足早に図書館の中庭へ連れ出すのだった。


「いきなり拘束するなんて酷いにゃ」


 閑静な中庭の、テラスに腰を据えながらゼフィは頬を膨らませる。


「妙なこと言うゼフィがいけないんでしょ?」


 オーキスはため息交じりに答える。


「あっ! そうにゃ! なんにゃらオーちゃんも一緒におっちゃんとスポーツ――いたにゃ!」


 ゼフィはオーキスにはたかれ、涙を浮かべた。


「なぐらなくてもいいにゃに……」

「バカなこというゼフィが悪いの。それに男に体を預けるなんてもうまっぴらごめんなんだから。ようやく妊娠してないって分かったばっかだし」


 心底あきれたような、オーキスらしい強い口調だった。

きっとこの先、オーキスに惚れるだろう数多の男子は涙を飲むに違いない。

仮に交際できたとしても、かなりの苦労を強いられるのは容易に予想できた。


「おじさん、煙草吸うならあっちいって」


 と、癖で煙草をくわえたロイドへもきつい一言。

本当にこの娘は気難しいと感じる。


「あら、ロイドさん?」


 次いでロイドの背中へ、穏やかな声音が響く。

瞬間、彼の心臓は意図せず、大きく鼓動を放つ。


 踵を返して会釈をする。

丸い眼鏡で素顔を隠した馴染みの彼女も笑顔を浮かべて会釈を返す。


「こんにちは、モーラさん……」


 服装こそ地味な布製のものだが、纏う気品は質素な身なりであっても変わらない。

あでやかな黒髪は店外であっても、興奮をそそる。


 彼女はこの図書館の裏方で蔵書の整理をしている【モーラ】。

しかしそれは昼の姿であり、夜は高級娼館で【ニーナ】という源氏名で、不動のナンバーワンの地位を確立する娼婦である。

何故ロイドとモーラが店外で出会ったかは、また別の話である。


「調子はどうですか?」


この問いはただの挨拶なのか、前回の不発の件に関してなのか。


「ん? ああ、まぁ、そこそこ」

「そうですか。お元気になると良いですね」


 にっこりスマイル。もしかすると軽く来店を促されているのかもしれない。

そういえば数か月前に行ったきりだったと思いだす。


「くんくん……あの地味子さん、女の匂いが強いにゃ」


 感覚の鋭いゼフィはモーラに何かを感じ取っている様子だった。


「そうなの?」

「ありゃもしかするとおっちゃんとはただならぬ関係にゃもね」

「ふーん、そうなんだ」


 オーキスはまるで煙草の煙を嫌がる時のような、鋭い視線を寄せてくる。


「な、なんだ?」


 意図せずロイドは声が震える。


「まっ、おじさん大人だからちゃんと弁えてよね。リンカを悲しませるようなことしたらぶっ殺すからね」

「うふふ、若い娘さんは血気盛んですね」


 モーラはオーキスの言動に微笑ましさを覚えている様子だった。

対するオーキスは少々不満げ。子供扱いが嫌らしい。


「でも、そういう言葉遣いはなるべく控えた方が、男性には好かれますよ?」

「いいの、もう男なんて! 興味ないし! 汚らわしいだけだし!」


 オーキスはぴしゃりと言って捨てる。

きっと彼女の頭の中には、実は最低だった幼馴染の勇者の姿があるに違いない。


「そんな寂しいこといわないにゃ~。にゃあ~姉妹~」


 ゼフィはオーキスの肩に縋って、わざとらしく揺らし始める。


「だからその姉妹ってやめてって」

「僕とオーちゃんは同志にゃ! にゃんてったって、ねぇ?」

「いや、まぁ、それは事実なんだけど……いやいや、だからぁ!」


 喧々囂々とオーキスとゼフィの仲睦まじい言い争いが始まる。


(姉妹……ああ、竿姉妹のことか……)


 ようやく理解できたロイドだったが、口が裂けても言えっこない。

口にした日にはきっと、オーキス自慢のメイスで殴られるに決まっている。


 モーラはオーキスとゼフィの会話を分かっているのかいないのか、にっこり微笑んでいるだけだった。


 早く退散した方が良さそうだと判断し、そろりそろりと距離を置いてゆく。


「そういえばロイドさん、何故図書館へ?」


そんなロイドをモーラが呼び止めた。


「し、Cランク昇段試験を受けることにしてな。なにか良い参考書がないか探そうと思って……」

「でしたら良い参考書が閉架書庫にありますよ! すぐにお持ちしますね! 館内の受付で待っててください!」


 モーラはいやに声を弾ませながら走り出し、図書館へ消えてゆく。


「やっぱ怪しいにゃねぇ……」

「おじさん、さぁ……?」

「彼女とは以前一緒に仕事をこなした仲だ。それ以上でもそれ以下でもない」


 ロイドは努めて冷静に説明するが、実際は心臓がバクバクであった。


「またな二人とも」


 颯爽を踵を返して歩き出すが、妙に背中のあたりに視線を感じる。


「ねぇ、ゼフィ?」

「にゃにゃ! 賛成にゃ!」

「よーし、アタック!」

「うにゃー!」


 それからというもの図書館にいる限り、オーキスとゼフィはどこまでもロイドへ付いてきた。


「あの地味子さんのお名前なんにゃ?」

「モ、モーラだが……」

「名前なんてどうでもいいから吐きなさいよ。おじさんとモーラさんはどんな関係なわけ? リンカにはちゃんと説明してあるの?」

「だから以前一緒に仕事をこなした仲なだけで……しかしなぜリンカが出てくる、そこで……」


 オーキスとゼフィは執拗に彼を追い回し、周りに迷惑をかけないようヒソヒソ声で、モーラとの関係を問いただしてくる始末。


 ただの娼婦と客の関係。そう言えればいいものの――うら若いオーキスとゼフィにそんな事情など言えようもないし、第一モーラに迷惑がかかってしまう。


「ロイドさん、お待たせしました! この参考書、他言語ですけど回復魔法の書物の中では一番詳しく書かれているものなのですよ!」

「あ、ありがとう。助かる」


 モーラもモーラとて、待ち合わせ場所の受付カウンターでいやに楽しそうに本を渡してくる始末。

今日の閉架書庫の幽霊は、すっかり血の通った人間である。


「あのロイドさん、あちらのお二人は……?」


 モーラは小首を傾げながらロイドの後ろにある書架を指す。

オーキスとゼフィはそこから顔だけを出して、じーっと彼とモーラを見ていた。

やはり二人の視線には、未だに鋭さが感じられる。


「あの二人は、なんだ……どうやら俺と君の関係を気にしているらしい」

「あら。そうなのですか。お伝えしてもいいんですよ?」

「馬鹿を言うな。そんなことをしては君に迷惑が掛かってしまうじゃないか」

「うふふ……そう言うと思ってました。ロイドさん、お優しいですものね?」

「は、謀ったな?」

「ええ。謀りました。貴方のことでしたら少しは見通せるんですよ?」

「う、むぅ……」


 どうやらモーラにからかわれたらしい。

 結局ロイドは図書館にいる間ずっと、オーキスとゼフィの執拗な追跡を受け続ける。


「おっちゃん、いい加減諦めて白状するにゃー!」

「黙秘を続けるってことは何かあるんだよね!? そうなんだよね!?」

「もう勘弁してくれ……」

「そこのお二人。ちょっと」


 と、そんなオーキスとゼフィの肩を叩いたのは、立派な身なりの初老の男性。

元雷光烈火の勇者ケリーを改め、大図書館のケリー館長である。

 歴戦の猛者である闘術師も、格闘家もケリー館長の威厳のある空気に口をつぐんで、背筋を伸ばす。


「少々騒がしく思います。ここは神聖なる図書館です。お静かに願います」

「す、すみません……」

「ごめんにゃ……」


 この隙にとロイドは気配を殺しつつ、静かに図書館の入口へと向かってゆく。


「あっ! 逃げるにゃ!」

「ちょっとおじさん!!」

「……君たち、私の言うことがわからないかね?」


 遠くからでもケリー館長の眉間に皺が寄ったのが見えた。

 これ以降、オーキスとゼフィの追跡はなくなり、ロイドは無事に図書館を脱出できたのである。



●●●



 大図書館で参考書を借りた翌日の午後の昼下がり。

温かい日差しの中、ロイドとリンカは家の庭にあるテーブルセットで肩を並べ、それぞれの勉強に勤しんでいた。


 リンカは羊皮紙への神代文字の書き取りで、課題は自然に関する漢字。

一方ロイドは回復魔法に関する他言語の分厚い本を、辞書片手に翻訳している。

しかし、わからない言葉多く、難航していた。


 魔法学院を卒業していてSSランクのリンカに聞ければきっと早いのだろう。

でも今の彼女は声が出ないし、そんなつまらない質問をするために羊皮紙を使うのは勿体ない。


「ちょっと一服してくる」


 少し気分転換をしようと、足元に置いた陶器の灰皿を取り上げ、立ち上がった。

リンカに見送られ、庭の隅へ向かって、煙草へ火をつける。

紫煙を吸っては吐き、難儀な翻訳作業で疲れた頭をリラックスさせてゆく。

 そんな彼の視界へゆらゆらと揺れる、人影が見えた。


「けほっ! ちょっと、煙いんだけど!」


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