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魔神皇の記録


「ちょっと痛いんですけど!」

「す、すまん!」

「おっさん、なにやってんだよ!!」


 女司書とロイドの声を塗りつぶすように、ステイが声を上げた。

 ステイはロイドを無視して、尻餅をついていた女司書へ駆け寄る。


「大丈夫か? 怪我はないかいマルレーン?」

「ありがとうございます、勇者様!」


 女司書――マルレーンは甘ったるい声で答えた。床に落ちた黒い魔導書を無造作に掴んで立ち上がる。ちらりと“魔神皇の復活に関する書物”ということだけは分かった。


「おい、おっさん! この子に傷でもついたらどう責任とんだよ、おい!」

「申し訳ない」


 激昂するステイへロイドは素直に謝った。ここで波風を起こしたところで、彼はステイに雇われている身。諍いをおこしたところでなんの得もない。


「は、早く行こう、勇者様! 続きしたいなぁ~」


 女司書はいやに焦った様子で、ステイへ身を寄せる。肩に豊満な胸を押し当てられたステイの顔がいやらしさを帯びた。


「まったく可愛い奴だな、このこの。おい、おっさん! この子に免じて許してやる。俺たちはこれから“休憩”するからな! 部屋に誰もいれんじゃねーぞ!」

「……承った」


 ロイドは絞り出すようにそう答える。

ステイは女司書の腰へ手をまわして、閉架書庫の隣にある“休憩室”へ入ってゆくのだった。


 一瞬、どす黒い感情が湧き起こる。暫く経ったら、休憩室の扉を開けてやろうかとも思った。

しかしそんな子供じみた復讐をしたところで、大した効果は無いと思われる。


「ロイドさん……?」


 気づくと食事を終えたモーラが、不思議そうに首を傾げていた。

最初は幽霊のように不気味に見えた彼女だったが、今は何故か親しみを覚えていることに気が付く。


「いやなんでもありません。作業を始めましょう」

「はい!」


 モーラは元気よく答えた。やはり“命は食にあり”なのかもしれない。


 そうしてロイドとモーラは暗く、埃臭い閉架書庫で本の仕分け作業を再開する。


「あ、この本……」

「思い出の作品か何かですか?」

「ええ。小さい頃よく読んだんですよ、このトカゲと女の子のお話」

「トカゲと女の子?」

「実はそのトカゲが炎の精霊のサラマンダーで、女の子は違う世界からやってきた魔法使いってお話でしてね。誰も知らない、忘れ去られた物語ですけどね」


 そんな他愛もない会話を交えつつ、ロイドはモーラと協力して本を次々と書架へと収めていく。


「モーラ君! いるかねー?」


 と、そんな中、野太い男の声が聞こえた。


「はーい! 奥にいますよ、館長!」


 モーラが声を張ると書架の間から立派な身なりの初老の男性が姿を現す。

どうやらこの男性が大図書館の館長らしい。


「急ですまないが、“魔神皇の記録”を出してきてもらえないかね。今、聖王都から九大術士のモンシアン殿がいらしていてね。早急に閲覧したいことがあるそうなんだ」

「わかりました! 少々お待ちください」


 モーラは僅かに元気よくそう答え、書架の間へ入ってゆく。館長はそんなモーラをみて一瞬驚きはしたものの、穏やかな笑みを浮かべる。


「今日のモーラは元気ですね」

「そうなのですか?」


 明らかに自分へ話を振られていると思ったロイドはそう答える。


「ええ。あの子があんな顔をするのは初めて見ましたよ。いつもああいう顔をしていれば良いものの……」

「確かに。彼女は美人ですしね」

「やはりあの子はもう少し明るいところで、たくさんの人と触れ合った方が良いのかもしれません」


 館長は穏やかにそう語る。少なくとも彼は、モーラのことをよく見ているのだとは分かった。

 やがて、書架の間からゆらりゆらりと、モーラが現れる。

その顔は――まるで幽霊のように青ざめていた。


「あ、あの、館長……無いんです」

「無いって、まさか!?」

「魔神皇の記録がその……」


 モーラはそれっきり口を噤む。ずっと穏やかな顔をしていた館長が、眉間へ皺を寄せた。


「無いじゃないよ、モーラ君! あれがどれほど貴重なものか分かっているのかね!! しかもあの本は貸出禁止のものだぞ!!」

「すみません! 申し訳ありません! ちゃんと管理はしていましたが……」

「ちゃんとも何も、現に貴重な資料が無くなっているではないか! しかもモンシアン殿は上でお待ちなのだよ!? どうするのかね!?」

「すみません! もう一度探します! もう少しだけ時間を……」


 必死に謝るモーラと魔神皇の記録という書物。一件関係なさそうな点が、予感の線で、ロイドの中で繋がった。

だが確証はない。下手をすれば、自分は酷い目にあうどころから、切り殺されかねない。

しかし――



「あの、もしかするとその本は隣の部屋にあるかもしれません」


 ロイドの声を聞き、モーラと館長は一斉に口を噤んだ。


「どういうことかね? 本当にあるんだろうね?」

「おそらくは」


 訝しむ館長へ、ロイドは端的に答える。予感は五分五分だが、今はこれに賭けるしかない。

なによりも、これ以上モーラが怒鳴られているのをみていられなかった。


「ロイドさん、何を……」

「行きましょう」


 ロイドは自信を装って、モーラと館長を引き連れて閉架書庫を出た。

そして隣の“休憩室”の前へ立つ。


 ロイドは一呼吸置いて、気持ちを落ち着ける。

 勇者の命令を破る――それは明らかな命令義務違反であり、その場で切り殺されても文句が言えない。

だかそれでも今、この扉を開けねばならなかった。もしもモーラを救う可能性が、この先にあるのならば。

 ロイドは意を決して扉を開く。


「やーん、もう! 勇者様ぁ~……!」

「ほらほら、マルレーン」

「な……き、君たち!! ここで何をしているのかね!!」


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