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幽霊との昼食

 

 数時間ぶりの日の光は眩しかった。

きっとモグラは地上に出る度に、こんな辛い想いをするのだとロイドは思う。


 一緒に地下の閉架書架を出たモーラも同じなのか、顔色が悪い。


「大丈夫ですか?」

「ええ。久々のお日様ですけど、たまにはいいものですね」


 どうやら顔色が悪いのは、彼女の肌が元々白かったからなようだった。

そういえばニーナも、床部屋の薄闇の中であっても、白磁の美しい肌が映えていたと思いだす。


 しかし今隣にいるのは大図書館の閉架書庫係のモーラで、高級娼館のニーナではない。赤の他人で、ロイドは彼女と交わったことなど一度もない。


 そう思って脈打つ心臓を堪えつつ、大図書館に併設されている立派な食堂にたどり着く。

 一般人にも開放され、昼時になると大勢の人々が糧を求める巨大な食堂。

 そんな中でも、モーラは不思議と視線を集めていた。


 それは彼女が幽霊のような冷たい雰囲気を放っているためか、はたまた彼女が生まれながらに持ち合わせている美しさのためか。


 ロイドとモーラはそれぞれオープンキッチンで思い思いの食事を注文し、木のトレイに乗せて合流する。


「奥で、いいでしょうか?」

「構いません」


 できるだけ目立ちたくないのか、モーラは身を丸めて、顔を隠すように食堂の一番の奥の席へと向かっていった。ロイドも付き合い、そして食堂のもっとも奥にある、薄暗いボックス席へ向かい合って座ったのだった。


 ロイドは昼食としてモーラが美味しいと勧めてくれたカンパーニュに厚切りのハムと、野菜を挟んだ豪快なサンドイッチを。対するモーラは――


「それだけでいいんですか?」

「はい」


 モーラのトレイには四分の一にカットされたカンパーニュの欠片がポツンと乗っているだけだった。


「足りるんですか?」

「はい。それにお金ありませんから……」


 モーラは言葉少なげにつぶやき、カンパーニュを摘まみ始めた。

小さく口を開けて少しずつカンパーニュを食べる姿は、見ようによっては木の実に噛り付く小動物にも見えなくない。しかし森の中を逞しく生きる動物ほどの生命力がモーラからは感じられなかった。

 やはり“命に食あり”である。


 ロイドは腰に差した短剣を抜いた。ハムと野菜がぎっしりつまった自分のサンドイッチを豪快に切る。そして半分をモーラのトレイへ置いた。


「午後も仕事なんです。食べてください。栄養が偏ります」


 一瞬モーラの瞳が、メガネの向こうで輝いたかのように見えた。

やはり本心は食べたかったのだろう。その表情が本来の彼女なのだろうか。幽霊から人へ戻った瞬間だった。しかしすぐさま人は魂を失って、再び幽鬼になってしまう。


「お気持ちだけ頂きます。それに貴方こそ半分ではお腹が空いてしまって力が出ないのではないですか?」

「ならばこうしましょう」


 ロイドはモーラのトレイに乗ったカンパーニュを切り、その半分を自分のトレイへ置いた。


「俺もモーラさんの半分を頂きました。これで同じ条件です」


 一瞬モーラは目を丸くした。人間の顔だった。そして再び彼女が幽霊に戻ることはなかった。


「ありがとうございます。では、有り難く頂きますね」

「そうしてください」


 モーラはあどけない少女のようにロイドの切り分けたサンドイッチに噛り付く。美しいが、どこかあどけなく、愛らしく食事をするさまは、ロイドへモーラをニーナだと思わせる。


(しかし彼女が本当にニーナなのなら、金が無いはずはないのだが……)


 ニーナが所属する娼館はアルビオンの色町の中で上位に位置する高級店の部類である。行くためには相応の金が必要になるし、おいそれと行けるような場所ではない。そんな場所なら稼ぎは良い筈である。それでも金がないというのは、きっと稼いだ金が、別のどこかへ流れてしまう状況なのかもしれない。


 どんな事情かは気になった。知りたいとも思う。しかし知ったところで、中の下の冒険者であるロイドになにができようか。野次馬根性で首を突っ込んだところで、同情するしかできることはない。だったら“金をくれ”と罵声を浴びせられるのが関の山かもしれない。


(もしもモーラが本当にニーナだったら、だがな)


 気が付くとロイドは自分の食事を平らげてしまっていた。対するモーラは未だに小さな口で、美味しそうにサンドイッチを屠り続けている。ずっとこのまま眺めていると妙な気を起こしかねないと思い、彼は立ち上がった。


「さ、先に書庫へ戻ってます。ゆっくり食事をしてください」

「え? あ、はい……わかりました」


 モーラは一瞬で顔を幽霊のソレへ戻し、再びサンドイッチへ噛り付く。

 ロイドは逃げるように食堂を後にし、速足で地下の閉架書庫へ続く階段を駆け下りていく。


「ッ!!」

「いたっ!」


 閉架書架の木の扉へ手を掛けた時、中から誰かが飛び出て、ロイドは尻餅をつく。


 本が一冊、床へ落ちる。ロイドの目の前では、勇者のステイと姿を消した大図書館の正規司書の女が同じく尻餅をついていたのだった。


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