39 ルルイエの闇
暗闇の中で、風太は目醒めた。
ずっと光のない場所にいたせいか、すっかり見当識がおかしくなり、時間も空間もない世界をふらふらと漂っているような気がする。
「こ、ここは……、どこだ?」
全く人の気配がしなかったのに、すぐそばから返事があった。
「ルルイエさ」
ハッとして声のした方を見ると、闇の中でそこだけスポットライトが当たったように、人間の姿が浮かび上がった。
「慈典!」
だが、広崎の顔をした相手は、決して広崎がしないであろう、不気味な笑みを浮かべている。
「残念ながら、おれはおまえの親友ではないよ。それとも、その記憶は失ったのかな、大祭司さまに出会った恐怖で」
風太は強く頭を振った。
「記憶はちゃんとあるさ、ナイアルラトホテプ。それにクトゥルフのこともな」
「ふん、相変わらず不遜なやつめ。今頃は大祭司さまの胃袋の中かと思ったが、命拾いしたようだな」
「クトゥルフはどこへ行った?」
ナイアルラトホテプは両方の眉を上げ、とぼけたような顔をした。
「ちょっと外が騒がしくなったので、黙らせに行ったよ。じきに戻るさ」
「じゃあ、おまえは何をしに来たんだ?」
ナイアルラトホテプは肩を竦めて見せた。
「ルルイエはおれたちの家みたいなもんさ。戻って寛いで、何が悪い?」
「おかしなことを言う。クトゥルフはここに閉じ込められていたんじゃないのか?」
「それはデマだな。たまたまここでジッとしている大祭司さまを目撃した人間が、封印されていると誤解して、そんな噂を広めたんだろう。大祭司さまを閉じ込めることなど、誰にも出来はしないさ。実は、このルルイエというのは閉じた次元でね。おまえたちの住む開いた次元と異なり、殆ど変化というものがない。ここにいるとわれわれは楽なのだ」
「楽?」
「そうさ。おまえたち死すべきものと違い、われわれは不死の存在だ。永遠に存在し続けるというのは、これでなかなかシンドイことでね。簡単に死んでしまうおまえたちが羨ましいくらいさ」
ナイアルラトホテプは、自分の冗談が気に入ったらしく、ケケケと声を出して笑った。
「ふざけるな!」
「ふん。別にふざけてはいない。ある意味、不死というのは、われわれにかけられた呪いのようなものだ。おれだって、これまで何度も焼かれたり潰されたりしたさ。だが、たとえ灰になろうと、いや、それすらなくなったとしても、おれを構成していた波動はいずれ宇宙のどこかで焦点を結び、また、おれが形成される。それは、生まれ変わりでもなんでもない、おれ自身さ。おまえたちは、死んでも輪廻転生するなどというお為ごかしの説を言うが、前世の記憶が残らないのなら、今のおまえが死んで無になることと同じではないか。いやいや、おれは馬鹿にして言っているのではない。永遠に死なないという苦しみは、そうなったものにしかわかるまい」
相手が何故これほど饒舌なのか、風太は怪しんだ。
「何を企んでいる?」
ナイアルラトホテプは苦笑して、「別に何もないさ」と言いざま、グッと風太に近づいて来た。
「まあ、強いて言えば、悪魔というものを一口味見してみたいだけさ」
ナイアルラトホテプの口は広崎の顔いっぱいに裂け、ズラリと並んだ尖った歯が見えた。その口から吐き出された生臭い息が、風太の顔にかかる。
風太は、顔を背けながら、「ぼくは悪魔なんかじゃない!」と叫んだ。
ナイアルラトホテプはさらに接近して来たようで、風太の首筋にポタポタと涎のような液体が落ちてきた。
「ふふん。それもこれも、食べてみればわかることさ」
「そんなことして、いいのか! クトゥルフが怒るんじゃないのか!」
「おやおや、大祭司さまに食べられたかったのか。残念だったな。今頃は灰になっておられるだろうさ。今度の復活が何万年後かわからぬが、その頃には、おれの摘まみ食いのことなど、とっくに時効だよ。では、いただきます!」
風太が首筋を舐められて全身に鳥肌を立てた瞬間、闇の中に一条の青い稲妻が走った。
「待ちやがれ、外道!」
その叫びと共に、ナイアルラトホテプの頭にズボッと穴が開いた。
さらに青い稲妻は翻ってナイアルラトホテプの首を、胸を、腹を何度も往復しながら、穴だらけにした。
が、いっこうに痛痒を感じないらしく、グロテスクに歪んだ広崎の顔で笑った。
「可愛い小鳥じゃないか。傀儡師、おまえのペットだろう? おれの食事の邪魔をしないよう、ちゃんと躾けといてくれよ」
だが、つむぎは時間を稼いでいたらしく、上空から凄まじい勢いで、火球となったほむら丸が飛んで来ていた。
「覚悟せよ! きさまが火に弱いことは知っておるぞ!」
ほむら丸の言葉を裏付けるように、明らかにナイアルラトホテプは動揺していた。その隙を衝いて、つむぎが風太を引き離した。
風太は、残った体力を振り絞って命じた。
「ほむら丸よ! こやつを焼き尽くせ!」
ナイアルラトホテプは、風太に負けぬ大声で叫んだ。
「おれを焼いたとて、いずれどこかで復活する! だが、おまえの親友の記憶は焼けて消えてしまうぞ! それで良いのか!」
風太は激しく懊悩したが、ついに「ほむら丸、待て! 待つんだ!」と命令を翻した。
闇の中で、ナイアルラトホテプは声もなく笑っていた。




