10 面従腹背
玲七郎たちが倉庫に入る少し前。
総支配人室の自分のデスクに座る大志摩有魅の前に、龍造寺が立っていた。相変わらず死んだ魚のような目をしているが、先ほどとは打って変わり、ポケットに手を突っ込んだ横柄な態度だ。
「約束が違いますね。陰陽師は適当に誤魔化して、すぐに帰すはずだったでしょう」
有魅はニヤリと太々しく笑った。
「あら、そうだったかしら。でも、あまり素っ気なくしてしまうと、堂本総支配人が勘ぐって、またあのボンボンの父親を寄こすかもしれなくってよ。その方が困るでしょう、あなたたちも」
それを聞いた龍造寺の態度が、さらに高圧的になってきた。
「まあ、それならそれでいいが、あんな絵をあそこに飾ったりして、どういうつもりかな。あんまりおイタが過ぎるようだと、大祭司さまのご機嫌を損ねることになるぞ、化け猫」
有魅はワザとらしく肩を竦めて見せた。
「わかってるわ。わたしは義姉のような馬鹿じゃない。あなたたち古きものに逆らうなんてこと、するわけがないじゃないの」
有魅は、オホホと声をあげて笑った。
その様子を死んだ魚の目で見ていた龍造寺が、不意に身を乗り出し、ニタッと笑った。
「まあ、心配しなくても、あんたの言うボンボンは、今頃迷宮で彷徨ってるだろうがね」
有魅の顔から、一瞬、表情が消えた。
倉庫の中では、その絵を目の前にして、玲七郎と玄田が立ち竦んでいた。
「な、なんか気味の悪い絵っすねえ」
少し震えながら言う玄田を、玲七郎は片方の眉をグッと上げて見た。
「そうだけど、おまえ、狐火の方は全然驚かねえんだな」
「はい。似たようなのを、前に見たことがあるんで」
「ほう、そうか。例の傀儡師だな。あいつ小技も使うのか」
玲七郎は忌々し気に言ったが、それどころではないと思い直したらしく、「戻れ! 狐火!」と命じた。
炎がスーッと指先に吸い込まれると、玲七郎は目を細め、改めて倉庫の中を見回した。
「残留思念が弱すぎて、誰の仕業か読めねえな。ま、大体見当はつくけどよ。少なくとも、今は危険はねえ。よし、行こうぜ」
「え、行くんすか?」
「当たり前だろう。何のために、おれが来たと思ってんだ。チャッチャと案内しな」
泣きそうな顔をしながらも、玄田は「はあ」と頷き、倉庫の中に入った。照明のスイッチはすぐ見つかり、パッと明るくなった。雑然と積まれた機材の中で、やはり、あの絵だけが異質な存在である。
玄田は、なるべくそちらを見ないようにしながら、「どうぞ、こちらへ」と奥に進んだ。
左奥の壁に人一人がやっと通れるくらいの小さなドアがあった。階段室と書いてある。玄田がそれを開けると、すぐに右上に登る階段になっていた。
「どこに繋がってるんだ?」
「宴会場の配膳室っす。この倉庫から予備の食器なんかを、直接上げられるようになってるんす」
「わかった。おまえ、先に行け」
「はあ。やっぱり、行くんすよね」
大き過ぎる体を折るようにして中に入った玄田に続き、玲七郎も身を屈めて階段室に入った。
階段はコンクリートの打ちっぱなしで、滑り止めの溝が刻んであるだけのシンプルなものだった。横幅も狭く、しかも、相当に急勾配である。
玄田は一段飛ばしで、黙々と登って行く。そのため普通に上がっている玲七郎と、少しずつ差が開いてきている。玲七郎は前を行く玄田に声を掛けた。
「おい、随分長い階段だな」
玄田は振り返り、少し怯えた声で「変なんす」と告げた。
「もうそろそろ、踊り場に出るはずなんすけど、まだ見えないんす」
「ほう、そうか。仕方ねえ、行けるとこまで行ってみよう」
「でも」
「引き返したって、同じこった。いいから、進め」
玄田は諦めたように、再び登り始めた。
しばらくは二人とも無口になっていたが、突然、玲七郎が鼻をヒクつかせ、「おい!」と声を出したため、玄田はビクッと立ち止まった。
「は、はい?」
「こっから海は、近いのか?」
「え? あ、ああ、海っすか? いえ、全然近くないっす。10キロ以上離れているす」
「ほう、そうかい」
玲七郎は目を細め、改めて上を見た。
「あれが踊り場じゃねえか?」
「あ、ホントだ。良かったあ。あの横にパントリーに入る扉があるんす」
勇んで駆け上がろうとする玄田を、玲七郎は「待て!」と止めた。
「おれが開ける。ちょっと下がってろ」
狭い階段をすれ違い、玲七郎が扉の前に出た。観音開きになっている。
また、鼻をヒクつかせた。
「間違いねえ。磯の香りだ。ってことは……」
玲七郎は深く息を吸い、両手で一気に扉を開けた。
「あ!」
玲七郎の目の前に、どこか異国の海岸が広がっていた。




