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35話・兄の策略 ─リオン視点─

「また隣国にとんぼ返りかぁ」

「いいじゃない、アルド。このために今まで頑張ってきたんでしょ?」

「そうだけどさ~」


 揺れる馬車の中、兄上が気怠げに呟いた。隣に座る褐色肌の女、ダナが機嫌を取るように腕に縋りついている。その様子を向かいの席で黙って眺める。


 一刻を争う事態だ。すぐに飛び出してきてしまったが、隣国に攻め入るとなれば何日掛かるか分からない。その間俺はフラウ嬢とは会えないというのに、兄上は愛人と共に行動している。いや、危険な任務にフラウ嬢を連れていくわけにはいかない。分かっている。分かってはいるのだが、やはり目の前でイチャつかれるとムカつくし羨ましく思う。俺だってフラウ嬢と馬車で旅がしたいし道中イチャイチャしたい。


「兄上、グレース嬢の件は良いのですか」


 俺が黙っているのを良いことに、二人は互いの身体をべたべたと触り合い、服の裾から手を差し込み始めた。行為に及びそうだったので、声を掛けてやんわりと妨害する。


 正直フラウ嬢を虐めていた女のことなどどうでも良い。しかし、貴族の婚姻は個人間の話ではない。父に事の次第を伝えるようダウロに頼んだが、返事が届く前に出立してしまったからな。


「グレースは大事に大事に育てられた箱入りお嬢様だから、僕みたいな遊び人なんかと結婚したら可哀想でしょ」

「はぁ」

「ツンツンしてるけど根は素直で可愛いんだよね」


 今の口ぶりから察するに、兄上もグレース嬢を憎からず想っているのは確かだと言うのに。


「あら、あたしはいいワケ?」

「ダナはこんな僕が良いんだろ?」

「そうよ、そのままのアルドがいいの」


 クッ……!

 またイチャイチャし始めた。


 相変わらず兄上は飄々としていて掴みどころがない。口調も態度も軽く、自分が遊び人であることを自覚していながら反省も改善もするつもりがない。


「兄上は婚約を破棄して構わないのですか」

「いいよ、別に」


 兄上はグレース嬢から婚約破棄を言い渡されても眉ひとつ動かさずに平然としていた。婚約者ではあったが、そこまで好意を抱いていなかったということだろうか。


 俺はフラウ嬢から婚約解消を申し出られた時、平常心ではいられなかった。彼女のいない未来など考えたことすらなかったからだ。


「グレースが侯爵以上の家格の者との婚約にこだわってた理由、知ってる?」


 問われた意味がわからず眉をしかめると、兄上は目を細めて笑った。


「デュモンを共に連れて行きたいからだよ。彼は伯爵家の出だからね。婚家の家格が同等以下では釣り合いが取れない」

「……うん?」

「今回煽りまくったから、少しはお互いの気持ちに気付けたんじゃないかな~?」


 何故そこでデュモンの名前が挙がるのか。首を傾げる俺に対し、兄上は可笑しそうに肩を揺らした。


「僕だって鬼じゃないんだよ。可愛い子には幸せになってもらいたいじゃないか。それに、無意識だろうけど両家の間に亀裂が入るような手段を取ったのはデュモンなんだからさ」

「? ……よく分かりません」

「リオンが人の感情の機微に鈍いのは昔からだけど、あんまり察しが悪いとフラウ嬢から呆れられちゃうよ?」

「はあ」


 やはり、兄上の言うことはよく分からん。


「そういや、フラウ嬢と出会って今年で七年目だっけ。あの時のおまえときたら、母上の墓参りだというのに気もそぞろで……」


 あの日のことは昨日のことのように覚えている。母の月命日に兄弟で墓地に立ち寄った際、たまたま他家の葬儀に出会(でくわ)したのだ。弟の棺が埋められていく様を見て、人目も憚らずに泣き喚く一人の少女に釘付けとなった。


 感情を露わにするのが苦手な俺は、母親が亡くなった時でさえ涙が出なかった。物事に対する関心が他人に比べて薄いのだろう。悲しくないわけではないのに泣けない自分は人として大事なものが欠けているのではないかと疑ったほどだ。


 そんな俺が、フラウ嬢にだけは酷く惹きつけられた。好きになる理由なんかそれだけで十分だった。







「アルド、国境が見えたわ!」


 ダナが車窓の向こうを指差した。ここから先は彼女の隊商に扮して移動をするのだ。騎士団の面々はみなそれぞれ愛馬に跨がり、鎧をマントで覆い隠している。荷物に見せ掛けた数台の荷馬車には武器や食料以外に捕らえた捕虜の男たちが積まれている。彼らの身柄を盾に一網打尽にする予定だ。


「さあ、さっさと終わらせよう」


 反乱軍のアジトを叩き、首謀者を捕え、リジーニ伯爵領の民を解放する。


 そして、愛するフラウ嬢のもとへ帰るのだ。


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