第530話 カワウソ選帝侯の確信
私、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンは、大きく息を吐きながら椅子に座り込んだ。くたびれた、本当にくたびれた。茶会は夕刻まで続き、私の腹はもうたぽたぽだ。しばらく、豆茶は見たくもない。大きくため息を吐きながら、腹をさする。
「その様子だと、交渉はうまくいったようだね」
そんなことを言うのは、私の対面の席に座ったイルメンガルドの婆さんだった。彼女はインクに汚れた手のまま酒杯を握り、ちびちびとウィスキーを飲んでいる。その隣には、しゃちほこ張った姿勢で貧乏ゆすりをするジークルーン伯爵の姿もあった。
ここは、ミューリア城の執務室……つまり、イルメンガルドの婆さんの牙城だ。当然ながら、部屋の中に居るのは私たちだけ。天井から釣り下がった魔力灯が、三人の敗戦領主を煌々と照らしてしていた。
「ああ、ひとまずはな。最低限の成果は得られた」
交渉というのは、もちろんブロンダン陣営への鞍替えの件だ。この案件は、私一人で進めている者じゃない。この二人の伯爵も、もちろん共犯関係にある。そもそも、私が交渉の場をこのミューリア市に移したのも、彼女らを寝返りに巻き込むためだった。
理由は簡単で、自らの商品価値を高めるためだ。私は商売人だからね、身売りをすると言っても安売りはしない。出来るだけ商品価値を高め、高値で売りつけるくらいのことはしたかった。寝返った後のことを考えても、事前に派閥を作っておくのは有効なやり方だしね。
「閣下、武器売買の件はどうなっているのでしょうか? こちらとしては、可及的速やかにあの新式火器を手に入れたいのですが」
ジークルーン伯爵が身を乗り出しながら聞いてくる。彼女は、リースベン軍が装備している鉄砲や大砲にたいへんな興味があるようだった。まあ、アレに関しては私も興味津々だけどね。リッペ市の戦いのせいで、わが軍の戦力はいちじるしく低下している。手っ取り早くこの状態から回復するには、やはり新式火器を導入をするのが一番良い選択肢だと思う。
「慌てるんじゃない。どこの世界に、ほんの先日まで干戈を交えていた相手に虎の子の武器を売り渡す奴がいるんだ。今の段階でそのような話をしても、向こうの態度が硬化するだけだろう」
とはいえ、もちろん今回の交渉ではそんな話はおくびにも出していない。あんまりガツガツ行っても警戒を招くだけだし、よしんば上手く行っても足元を見られてしまうでしょうから。本命の話を持ち出すには、それなりにタイミングというものがある。
「それは理解しておりますがね……いつ次の戦乱が起きるかわからない状況ですから」
不安げな様子で、ジークルーン伯爵が目を逸らす。その懸念は、私にも理解できた。急いては事を仕損じるが、のんびりしすぎては機を逸する。難しいところよね。
「とにかく、アデライド宰相閣下との会談は取り付けられたのだ。彼女と会わないことには、話は進まん。それまで待て」
今回の交渉における一番の成果を持ち出して、私はジークルーン伯爵をなだめた。……そう、ブロンダン卿はアデライド宰相との会談をセッティングすることに同意してくれたのだ。おそらくブロンダン卿の手綱を実際に握っているのは宰相だろうからね。ブロンダン陣営に入るというのなら、出来るだけはないうちに彼女に話を通しておく必要がある。
「アデライド宰相ね……」
酒杯を机に置き、腕組みをしながらイルメンガルドの婆さんが唸った。
「一度会ったことのある相手だが、こちらはこちらでなかなかに油断のならぬお人だったよ。それに加えて、あのクソエルフだろう? むろん、選帝侯閣下の手腕に疑問はないんだがね。流石にこの二人が揃っちまうのは流石に不味くはないかね」
「たしかに、あの古老は手強いを通り越していっそ危険ですらあるが……」
私の脳裏に、茶会の際の記憶がよぎった。話が本題に入った後も、あのクソエルフはあの手この手で私を翻弄してきたからね。とはいっても、別に交渉の妨害をしてきたわけではなかったけれど。むしろ厄介なのは、交渉が進み過ぎることだった。
ダライヤは相手にそれと気付かせないまま、思考や発言を自分の望む方向へと誘導することができる。これが一番恐ろしい。知らないうちに、彼女にとって有利な方へ有利な方へと時分から進んでいってしまうのよね。厄介どころの話じゃないわ、まったく。
「……」
でも……私が一番驚いたのは、そこじゃない。あれだけ厄介なダライヤを、ブロンダン卿は見事に使いこなしていた。もちろん、交渉の技量に関してはブロンダン卿はダライヤの足元にも及ばない。けれど、彼はそれを理解したうえであの厄介なエルフの能力を生かし、己の仕事を果たそうとしていた。これは大変な評価点だ。
実際のところ、優秀過ぎる部下というのも使いにくいものだからね。あれほどの妖怪婆が部下に居たら、普通なら下克上されたり、いつの間にか操り人形にされたり、あるいは嫉妬から不仲になったり……そういう不健全な関係になりがちだと思うのだけど。しかし、あの二人にはそんな気配は微塵もなかった。まっとうな上司と部下、そして相棒。そういう風情を感じる。
あの二人のやり取りを見て、私の中には一つの確信がうまれつつあった。やっぱり、アルベールは王の器だ。もしかしたら、私が黒幕ではないかと疑っているアデライドすら、実は彼の輝きに魅了されたひとりなのかもしれない。
「閣下、どうされたのです? なにか面白いことでも?」
困惑したようなジークルーン伯爵の声に、私は思わず自分の頬を抑えた。どうやら、私は自分でも気づかないうちに笑みを浮かべていたようだった。思わず、「ふっ」と声が出る。
「……ああ、そうだな。面白いよ、とても」
具体的に言えば、あのあまりに直球過ぎる交渉の進め方とかね。あの様子じゃ、周囲もだいぶ苦労していることでしょうよ。……まあ実際のところ、そんなやり方でもダライヤと連携すれば十分に有効に機能するんだけどね。その辺りをキチンと考えたうえで手を打ってくるあたり、やはりブロンダン卿は聡明ね。もっとも、ああいうやり方は交渉ではなく尋問というんだけども。
まあ、政治や交渉云々に関してはそれほど気にする必要もない。なにしろ地頭が良いのだから、教育次第でなんとでもなるものね。実際、あのクソエルフは私を使って実地勉強をやらせる腹積もりっぽい気配がある。せっかくだから、みっちり付き合ってあげることにしましょうか。
「難敵二人を相手にして、その態度。流石はエムズハーフェン伯爵ですな……! 感服いたしました」
驚きと憧憬が入り混じった表情で、ジークルーン伯爵がそんなことを言った。どうやら、私が難しい勝負を挑むことその物に面白みを感じていると勘違いしてるっぽいわね。でも残念ながら、それは勘違いよ。私はそんな、戦闘狂じみた性格の持ち主じゃないしね。
「いや、なに、大したことではない。単に、この戦争で被った大損を意外と早く取り返せそうだと思ってな」
私はそう言って手を振った。私はこの戦争に敗れた。けれど……もしかしたら、これはチャンスかもしれない。あれほどの王才の持ち主が、目の前に居るのだもの。ここで守りに入っては、エムズハーフェンの名前がすたるってもんよ。
「良い顔をするじゃないか。どうやら、アンタには勝ち筋が見えてきているようだね」
そんな私を見ていたイルメンガルドの婆さんは、薄く笑ってからウィスキーを口に運んだ。
「結構なことだ。あたしも、負けたまま引き下がるのはちぃと業腹でね。悪いが、あたしが笑顔で引退できるよう手伝ってもらえるかい?」
「任せておけ」
私はバシンと胸を叩いた。現在のミュリン家は、我々エムズハーフェン家以上にズタボロだ。この戦争で婆さんは明らかに老け込んでしまったし、次期当主である長女は重傷を受けしばらくベッドから離れられない。おまけに家臣団は戦争でズタボロと来ている。はっきり言って、自力で立て直すのは難しいだろう。
けれど、だからと言ってミュリン家が……そしてミュリン領がまったくの無価値な存在になったわけではない。上手くやれば、まだ高く売れる。そしてその対価を受け取るのは、もちろん私ではなくミュリン家自身らだ。それを元手にすれば、きっとお家の再興は成るだろう。
「商売であれば、私はこの神聖帝国の誰よりも上手い自信がある。だから、貴様らの全財産を……貴族としての名を、所領を、家臣を、いったん私に預けるんだ。最高額で、ブロンダン卿に売りつけてやる――」
私は自信満々で、両伯爵にそう言い放った。敗者が勝者に成り替わるには、この手しかない。私は一世一代の勝負に出ることにした。




