第450話 老狼騎士の黄昏
「中央軍司令、リュッタース司教より伝令です。『我苦戦しつつあり。後退許可を求む』……以上です」
伝令兵の言葉に、あたし、イルメンガルド・フォン・ミュリンは吐きそうな気分になった。開戦からしばらくの時間が経過したが、上がってくる報告はことごとくロクなものではなかった。六千対三千、実に二対一の戦いで、あたしの軍は一方的に駆逐されつつある。
あたしたちが今いる指揮本部は、中央戦線やや後方の小高い丘の上にあった。戦場を一望できる、なかなかの好立地だ。……まあ、今はわが軍が滅茶苦茶にやられている様をつぶさに観察できる特等席と化してるがね。
「……後退は許可できない」
盟友ともいえるリュッタース司教の提案を、あたしは事わざるを得なかった。現在、中央戦線は戦場を東西に延びる小川を挟んで敵軍と対峙している。我が方の陣地が北岸で、敵方に制圧されてしまったのが南岸だ。一応当初の防衛線は川むこうに引いていたのだが、そこまで押し込まれてしまったのだった。
当然のことだが、射撃戦では敵軍の方に分がある。間に川が横たわっている以上白兵戦を挑むことはできず、わが軍は不利な戦いを強いられていた。だがそれでも、川ほど有効な防壁はない。これで北岸まで敵の手に落ちてしまえば、敵の突破を阻む方法はなくなってしまう。
「あの川は我が方の最終防衛線だよ。敵の渡河を許せばあたしらは一発でお終いだろうね」
どのみち、どれほどあがいたところで手遅れかもしれない。そんなことを思いつつ、あたしは指揮卓の上に乗った地図を指で叩いた。敵軍の攻撃は明らかに戦線中央に集中している。どう考えても、敵の狙いは中央突破だ。
もっとも、兵力に差がある以上敵側は包囲戦術を使えない。中央突破を図ってくることは、戦端を開く前からわかっていた。だから中央は防御を固め、兵力の優勢を生かして左右から包囲を図る作戦を立てていたのだが……。
「左翼(リースベン側から見た右翼)より報告! エルフ兵と思わしき一団が、畑で日干しされていた麦束に次々と放火を始めたそうです! エルフどもは風術を使って火災を煽り、戦場はさながら火焔地獄のような有様になっています。火炎に巻かれぬよう逃げるのが精いっぱいであり、攻勢の継続は不可能だということです」
「エルフは森の種族だという話だろうが……! なんで火計なんか使うんだよ……!」
あたしは思わず指揮卓を殴りつけた。ライフルや火砲がたいへんに強力な兵器だということは心得ていたが、エルフがここまでトチ狂った連中だとは思わなかった。雑兵ですらそこらの騎士よりも強い上に、ありとあらゆる手段を使ってこちらを攻め立ててくる。
なんとかエルフを抑え込もうと虎の子の鷲獅子まで投入したが、結果はひどいものだった。なんと三騎もの鷲獅子が弓矢で撃墜されてしまったのだ。もはや打つ手は残っておらず、エルフ兵は好き勝手暴れまくるままとなっている。これほど長い間軍隊でメシを食っているあたしですら、こんなに悪辣な敵と戦った経験はなかった。
「弱気に付け込まれましたな」
侮蔑交じりの口調でそんなことを言うのは、あの嫌味なジークルーン伯爵だった。彼女は優雅に豆茶を飲みつつ、味方に向けるものとは思えない酷薄な目つきでこちらを見てくる。
「僅か三千の敵に対し、貴殿の作戦はあまりに積極性に欠けております。間違いなく、劣勢の原因はこれでしょう。どれほどの偉丈婦も、腰が引けていれば小兵に足をすくわれることもありますからな」
「……」
あたしは無言で、隣に居た女の肩を掴んだ。彼女が、剣を抜こうとしたからだ。
「バカ娘。すぐそうやって頭に血が上るから、今の今まであたしは当主の席に座り続ける羽目になっているんだぞ。わかってんのかい」
ジークルーン伯爵に聞こえないよう声を潜めながら、あたしはそう囁いた。剣を抜こうとしたのは、あたしの長女マルガだった。こいつはとにかく直情的で、すぐに手が出る悪癖がある。……いや、マルガのみならず、うちの娘や孫はみなこんな感じだ。あたしの教育が悪いのか? 血筋のせいなのか? それはわからんが、とにかく困っている。
むろん、あたしとてこんな若造にこんな口のききかたを許すのは業腹だがね。できることなら、率先して剣を抜いて首を落としてやりたいさ。ま、この老いさらばえた身では、斬りかかったところで反撃で殺されるのがオチだろうが。
「マルガ、アンタは予備隊を率いて中央の救援に行きな。リュッタース司教を見殺しにはできないからね」
「ちっ……あいよ」
不承不承という様子で、マルガは席を立って指揮本部から出ていった。ったく、それがいい歳こいた中年女の態度かね。まったく。……だが、口で抑えたところで、このバカ娘は大人しくはしてくれない。じきにジークルーン伯爵ともめ事を起こすだろう。その前に、戦場に送りこんじまうに限る。
とにかく、何はともあれここでジークルーン伯爵に喧嘩を売るのは得策じゃない。仲間割れをしつつ戦えるほど敵は弱くないからね。殺意も怒りも胸の奥底にしまっておくことしかできない。……むしろ、いっそ全部の責任をこの若造にぶん投げてやりたい気分だね。そのまま悠々と隠居できれば、どれほど肩の荷が下りることやら。
ああ、だがそういうわけにはいかない。この戦場の背後にある都は、ジークルーンの街ではなくこのあたしの街だからね。退くわけにも、責任を捨てるわけにもいかない。ああ、まったく。とんだ貧乏くじだ。
「フフフ……母娘仲がよろしいようで。大変結構ですな」
それを見たジークルーン伯爵は得意満面だ。……クソめ。マルガほど短期じゃなくとも、あたしの忍耐力だって有限なんだよ。ぶっ殺してやろうか。
「ま、年寄りの尻ぬぐいをするのも若者の仕事。あとは私に任せなさい。じきにわが軍が敵右翼(リースベン側から見た左翼)の突破するでしょう。そうなれば、戦局はあっという間に逆転できるでしょうからな」
「……ふん、大口を叩くじゃないか。結構結構、朗報を待ってるよ」
実際、この腹立たしい若造が率いるジークルーン軍が支える右翼側は、この戦場で唯一戦況が比較的良い場所だった。勝ちの目があるとすれば、もはや右翼側からの大突破からの包囲しかありえない。認めたくはないが、これが現実だった。
まあそんな状況で勝利したところで、戦果はすべてこのジークルーン伯爵が総取りすることになるんだろうけどね。ミュリン家の発言力の低下は避けられないだろう。けれども、それでも負けるよりは遥かにマシだ。だからこそ、こんなクソ女がデカイ顔をすることにも我慢せねばならない。
クソッタレ、ああクソッタレ。どうしてこんなことになっちまったんやら。例え将来の破滅が確定しようと、それを分かったうえでブロンダン家との融和策を取った方がマシだったかもしれない。今日破滅するのと十数年後に破滅するのなら、まだ後者の方がマシだしね。とはいえ、すでに歳は投げられてしまっている。今さらあれこれ言ったところで仕方があるまい。
「しかし、ならばこそこんなところで油を売っていて良いのですかな、ジークルーン殿」
少しばかりの恨みを込めて、あたしはそう言ってやった。イヤミを言っている暇があったら、いくさ働きをして来いと言っているのだ。こいつは自軍の指揮を一時部下に預け、この中央指揮本部に顔を出していた。
中央や左翼の戦況を確認するためという名目だが、まああたしに対して圧力をかけるのが主目的だろうね。どうやらこいつは大真面目に南部諸侯の盟主になるつもりらしい。そのためには、古い歴史を持ち軍事力にも優れたミュリン家は是非とも蹴落としておきたいのだろう。
「ふーむ、確かにその通りですな。いい加減、機も熟した頃でしょう。そろそろ、勝利の美酒を味わいに行くとしますかな」
死ぬほど腹の立つ笑顔で、クソ伯爵はそんなことを言い放つ。肥溜めに蹴り倒してやりたいが、ぐっと我慢だ。とにかく、今は勝利を掴むことが第一。小娘に腹を立てているような余裕は……。
「敵軍が中央戦線にて渡河を開始しました!」
兵士が本営に飛び込んできて、そんなことを叫んだ。丘の頂上に配置していた見張り員だ。
「敵前渡河だと? 大胆不敵な……」
ジークルーン伯爵が苦々しい口調で吐き捨てた。いけ好かない小娘だけど、今回ばかりは同感だね。まあ、無防備に渡河してくれるなら有難い。
「残念ながら、ジークルーン軍は火消しに投入せざるを得ませんな。右翼が包囲を完成させるより、中央が突破されてしまうほうが早そうだ」
「チッ、情けのない女どもめ。なぜこの私がしりぬぐいなど……」
慇懃無礼な態度すら打ち捨てて、ジークルーン伯爵はそう吐き捨てた。だが、彼女はこの提案を飲まざるを得ないだろう。戦線が完全に分断されてしまったら、今度は彼女の軍が包囲される側に回ってしまうからだ。不承不承という態度で、ジークルーン伯爵が頷こうとした瞬間だった。またも、指揮本部に兵士が駆け込んでくる。今度は、本部付きの見張り員ではなく伝令だった。
「報告! 右翼でリースベン軍が逆襲に出ました! ジークルーン軍は敵騎兵隊による突撃を受けて被害甚大、指揮官代理のグレータ・フォン・ジークルーン様は敵将ヴァルマ・スオラハティに討ち取られたとのことです!」
……やられた! 敵前渡河を始めたのは、右翼側の戦況が逆転したことに連動した動きだったんだ! あたしは舌打ちをしたい気分になった。伝令の移動時間を考えれば、おそらく敵は右翼の優勢を確保してから渡河を決断したハズ。なんと巧みな連携攻撃だろうか、わが軍ではとても真似できない。
おそらくは相当に呼吸の合う指揮官が複数人いるか、あるいは通常の伝令よりも早い情報伝達手段があるかのどちらかだろう。そういえば敵軍には大量の鳥人がいるという話だったな。鷲獅子の目をかいくぐり、彼女らを伝令として飛ばす手段でも持っているのだろうか……?
「ハ、ハァ!? 冗談はよせ!」
事態は最悪の方向に転がりつつあったが、あたしは顔面蒼白になってそんな叫び声を上げるジークルーン伯爵を見て思わず吹き出した。ああ、いよいよ万策が尽きた。こうなってしまえばもうどうしようもない、すべての希望が砕け散ってしまった……。くく、ははは。一周まわって愉快になって来たな……。いい気味だ、クソ小娘。あんたはあたしと一緒に地獄に落ちるんだよ。




