第430話 くっころ男騎士の行軍
戦争は前準備で八割がた決まる、というのは真理である。僕は戦争などしたくは無かったが、それ故に準備だけは怠っていなかった。リースベン軍はすでに平時態勢から実戦態勢に移っており、進軍・補給ルートの検討や物資の集積などの時間のかかる作業も完了している。あとは出撃を命令するだけ、という状態だった。
そういうわけで、リースベン軍は参戦決定の翌日にはカルレラ市を発つことができた。ライフル兵一個大隊、砲兵、騎兵が各一個中隊、そしてエルフ兵が二個中隊。ここにへらに指揮本部と工兵・偵察隊と補給段列、そしてすでにズューデンベルグ猟に展開済みのアリンコ兵二個中隊を加え、総兵力約千二百名。これがズューデンベルグ派遣軍の陣容だった。
これはリースベン軍のほぼ総力といっていい数だ。蛮族兵の数が少ないように見えるが、彼女らはリースベンへの服属後はシャバに戻り、畑を耕したり建築業を営んだりしている。この連中を軍に呼び戻せば兵力は倍増するが、それはできなかった。ズューデンベルグでの戦争も大事だが、リースベンの食料自給率の向上も急務だ。エルフどもには戦士としてではなく農民として働いてもらう必要があった。彼女らを軍隊に動員するのは、本当に最後の手段である。
「この間ズューデンベルグから戻って来たのに、またトンボ返りだ」
行軍中、僕は密かにソニアにそう漏らした。ズューデンベルグはお隣の領邦だが、両者は深い森と険しい山脈に隔たれている。一応街道が整備されているとはいえ、やはり道のりは険しい。
「あの時は最低限の人数でしたが、今回は大所帯です。落伍者を出さぬように気を付けねばなりませんね」
僕はソニアの言葉に深く頷いた。戦略ゲームなどでは部隊に移動指示を出せば無傷でその場所まで機動してくれるが、現実はそう簡単ではない。どうしても落伍する者、脱走する者などが出てしまう。
リースベン軍には志願兵しかいないのでまだマシだが、徴兵者主体の軍などはまだ一度も戦っていないのに戦場に到着したら兵数が半減していました、などという事態が現実に起きているのだからたまらない。戦力を維持したまま部隊を機動させるのはなかなかたいへんな作業なのだ。
それでもなんとか頑張って森を越え、リースベン軍は北の山脈へとたどり着いた。当たり前だが、山道の行軍は平地よりもはるかに難易度が高い。現場指揮官や下士官たちはピリピリして、隊列のあちこちから叱咤激励の声が聞こえてくる。まだ戦場にすら到着していないというのに、まるで戦闘中のような雰囲気だ。
「……うちの連中はよくやってるな」
馬上から味方の隊列を見回しつつ、僕はそう言った。これまで、僕は行軍の際は馬から降りて自分の足で歩くことが多かった。兵と苦労を分かち合うためだ。しかし、今回ばかりはそれが許されず、騎馬での行軍となってしまった。もう貴方は現場指揮官ではないのだから、大将らしく振舞ってくれ……と言われてしまったからだ。僕も偉くなったもんだよな。感慨深くはあるが、それよりもなんだか寂しい心地だった。
「冬の間にシゴきまくってやりましたからね。今や彼女らも精兵です」
その豊満な胸を張りつつ、ソニアは言う。彼女の視線の先には、リースベン軍の根幹を成す兵科……ライフル兵の部隊がいた。この連中は王都で募兵に応じた貧民たちやリースベン戦争で活躍した傭兵団で構成されており、当初は軍隊だか愚連隊わからないような有様だった。
だが、今や彼女らは立派な軍人だ。険しい山道に文句を言いつつも、隊列を崩すことなく整然と行軍している。それを見ていると、なんとも誇らしい気持ちになった。……だが彼女らのうち幾人かは、ふたたびリースベンの地を踏むことは無いだろう。たとえ勝ち戦でも、戦死者が誰も出ないということはまれなのだ。僕は手綱を握る手にぐっと力を込めた。どれだけ多くの兵士をウチに返してやれるかも、指揮官の力量のうちだ。
「久方ぶりの平野での野戦だ。気合を入れていこう」
このごろ、山岳戦だの市街地戦だの森林戦だのと閉所での戦いが続いていたからな。エルフらとの決戦となった河原も、あまり広いとは言えなかった。ズューデンベルグのような見渡す限りの大平原で戦うのは、本当に久しぶりなのだ。妙なミスをしないよう、気を付けねばならない。
「なぁに、広い場所ではライフル兵や砲兵の火力がいかんなく発揮されますから。こちらの優位は揺るぎませんよ」
ニヤッと笑って、ソニアは自信ありげな声で言う。……これは、周囲に聞かせるための発言だろう。リースベン軍には初陣未経験の者はあまりいないが、それでも実戦を前にして恐怖を覚えぬ者はあまりいない。なんだかんだ言って、勝利の確信ほど士気を上げるモノは無いからな。少しくらい露骨でも、"勝てる"アピールをするのは大切だった。
「確かにな。……とはいえ、騎兵隊には注意だが」
後半の言葉は、ソニアしか聞こえないような小さな声で言った。むろん、相手は気心の知れた幼馴染にして副官、そして婚約者だ。こちらの意図はすぐに通じた。彼女は小さく頷き、我々を先導するリースベン軍騎兵隊のほうをちらりと見た。
「彼女らには頑張ってもらわねばなりませんね。嗜好品類は多めに配給しておきましょう」
いかなライフル兵とはいえ、側面や背面から騎兵突撃を喰らえばひとたまりもない。ライフルや大砲があろうと、騎兵隊はやはり脅威なのだ。そしてその騎兵に対抗するには、こちらも騎兵を使うのが一番なのだが……騎兵戦力の乏しさはリースベン軍の泣き所だった。なにしろ軍馬は凄まじくコストのかかる"兵器"だし、騎手本人もまた歩兵などよりも遥かに長い訓練期間を必要としている。数を増やすのは用意ではなかった。
結局のところ、僕の手元に居る騎兵戦力は一個中隊のみ。しかも、僕がリースベンに赴任する前から指揮している騎士たちと、ジルベルトのプレヴォ家に属している騎士たちの寄り合い所帯だ。練度や装備は十分な水準だが、部隊内連携には少しばかり不安がある。
対するミュリン軍騎兵隊は、重装騎兵を主軸としたディーゼル軍とバチバチにやり合ってきた連中だ。対騎兵戦闘は得意中の得意であるはず。ライフルは装備していないだろうが、練度や数を考えれば鎧袖一触とはいかないだろう。むしろ、頭数の少ないこちらが不利だ。
「頼んだ」
僕はそう言ってから、密かにため息をついた。この戦争は、むしろミュリン軍を倒した後が本番だ。皇帝軍の介入を防げるか、王家から妙な疑いをかけられないか……不安要素はいくらでもある。だが、その前段階である対ミュリン軍戦も完璧に万全とは言い難い部分があるのだ。不安の種は尽きない。……どうやら、実戦を前にしてナーバスになっているのは兵士たちだけではないようだな。せめて、態度だけでも堂々としていなければ。
「アル様!」
などと考えていたら、名前を呼ばれた。声のした方に目をやると、前方から軍馬に乗った騎士がひどく慌てた様子でこちらに駆け寄ってきている。なにしろここは山道で、道幅も狭い。そんな中行軍の流れに逆行して馬を走らせているのだからなかなか大変だ。兵士たちはひどく迷惑そうな顔で道を明けている。普通なら、こんな危ない真似はしない。なにやら尋常ではない様子だった。
「どうした? 何かあったのか」
実戦前に兵たちを動揺させるようなことをするなといいたいところだったが、あえて鷹揚な声で聞く。やってきたのは幼馴染の騎士の一人だ。ちょっとしたことで針小棒大に大騒ぎをするような人間ではないことは知っている。それがこれほど慌てているのだから、実際なにかしらの大きなトラブルが発生したことは間違いない。
「前方から騎兵の大部隊が接近中! カラス鳥人の偵察員は、百騎以上の数がいそうだと言っています」
僕の前にやってきた騎士は、大声でそう報告した。……百騎以上? え、なに、聞き間違いか? 僕は慌てて我が副官のほうを見たが、彼女の方も困惑しきった顔をしている。どうやら僕の耳が狂っているわけではなさそうだ。
「何? ディーゼル軍の出迎えにしては数が多いな……」
ディーゼル軍は先の戦争でずいぶんと騎士の数を減らしている。実戦を間近に控えたこの時期に、百名以上の騎兵を出迎えごときで動かすはずがない。いったいどういうことだろうか? 僕は眉を跳ね上げた。
「まさかミュリン軍の遊撃部隊じゃなかろうな? 旗印は確認しているのか」
「はい、確認済みです。どうやらミュリン軍ではないのは確かなようですが……」
騎士の言い方は、妙に歯切れが悪い。僕は小さく唸った。
「旗を確認しているのなら、何者かはすぐわかるはずだろう? どこのどいつなんだ、その騎兵集団は」
「それが、その……」
騎士はちらりとソニアの方を見て、ひどく言いにくそうな口ぶりで言葉を続ける。
「どうにも……報告を聞く限り、掲げているのはスオラハティ家の家紋のようでして」
「……は?」
僕は思わず奇妙な声を上げた。ここはガレア王国の南の果て、リースベンだぞ。なんでガレア最北端を治めるスオラハティ家の家紋を掲げた連中がこんなところに居るんだよ。困惑のあまり僕もソニアを見るが、彼女も何がなにやらわからない様子で小首をかしげている。えっ、マジでなんなの……?
「なにやら猛烈に嫌な予感がしてきました」
たいへんに苦慮に満ちた声で、ソニアがそう呟く。残念なことに、僕も全くの同感だった。




