今を楽しめ
夏樹が目を覚ましたのは朝になってからだった。
「夏樹、大丈夫か?」
「……お兄ちゃん、どうして涙目になってるの? 怖い夢でも見たの?」
夏樹は座敷童子の力で記憶を改竄されている。
だから、昨日のことは覚えていない。
けど、僕は夏樹を止められなかった。本当はあんなことになる前に止めるべきなのに。
「いや、何でもないよ。朝ごはん、できてるぞ。一緒に食べよう」
「うん!」
妹の無邪気な笑顔。
いつもなら癒されるはずなのに、今回は少し気まずくなった。
「あっ! 童子ちゃん。おはよう」
「おはようございます」
こいつはこいつなりに僕と妹のことを考えてくれている。
だから、僕と妹の関係がおかしくならないようにしてくれた。
けど、いつまでもそれでいいのか?
僕は鬼の力を宿してはいるけど、今はそれを使ってはいけないと言われている。
だから、今の僕はただの普通の高校生だ。
「何をしているんですか? 早く食べないと冷めてしまいますよ」
「え? あー、そうだな。ごめん、今行くよ」
このままじゃダメだ。
けど、いったいどうすればいいんだ?
僕はそんなことを考えながら、朝食を摂っていた。
*
登校前。玄関で靴を履こうとすると、座敷童子に話しかけられた。
「気にしているのですか? 昨晩のこと」
「そりゃそうだろ。僕はあの時、何もできなかったんだから」
座敷童子は僕の手首を掴んだ。
「な、なんだよ」
「あなたは夏樹さんの兄である前に、一人の人間として成長すべきです」
なんだよ、それ。
「見た目が子どものお前に言われたくないよ」
「こう見えても、あなたより年上です。ですから、今は無理に何かしようと思わないでください」
余計なお世話だ。
「じゃあ、どうしろっていうんだよ」
「そうですね。今を楽しめ……とだけ言っておきましょうか」
今を……楽しめ?
「そろそろ時間ですね。いってらっしゃい」
「え? あ、ああ、いってきます」
彼の背中を見つめる彼女の両目は彼の遠い未来の姿を見ているように思えた。




