気付かないという罪
「こうしてると、戦闘職には見えないのよね」
植物への水遣りから始まるルイスの生活は、とても穏やかだ。
日々の鍛錬や必要に応じての戦闘などはあるが、数多存在する他の世界と比べれば平和な方である。
イステがルイスの日常を眺めるようになってから1年たつが、安穏とした日々が壊される気配はない。
「……本当は、勇者なんて必要ないのに」
ここ最近、イステはそう考えることが増えてきた。
勇者、という言葉に惑わされているけれど、ようは武力の塊だ。過ぎる力は毒にだってなる。
理から逸脱するほどの強大な力を、わざわざ平穏な世界に作る必要はあるのだろうか。
「大規模な戦争も、黒きモノのような脅威もないんだから、このままでいいと思うんだけどな」
最初は不可抗力で育てた勇者だ。
まさかその存在に着目する創世神が、ここまで大量発生するとは思わなかった。
勇者の存在が救いとなる世界の神ならまだしも、そうでない世界の神からの需要があるだなんて、予想もしていなかった。
「勇者が世界に革命をもたらす、だなんて……ただの都市伝説なのに」
イステが見つめる先、ルイスは今日も鎌を振るっている。
相手は、司がルイスのために考え出したモンスター。
本来ならばこの世界にいるはずのない、勇者を成長させる目的で送り込まれた異物だ。
簡単には倒せないよう、けれど決して勇者を損なうことのないように、計算されつくした異形。
それが、生き物を襲い、大地を汚し、生活を脅かしている。
創世神には、世界の行く末を決める権利がある。
けれどそれは、神が世界を荒らして良いと言うことではない。
育むべき生命を、守るべき住民を危険にさらす事で得られる成長に、どれほどの価値があるというのだろう。
長く地上を眺めていて、ようやく気付いた。
天使としての生が長すぎて忘れていた。
それは、地上に住まう者達の視点。
この育成は、本当に正しかったのだろうか。
「……私は天使、神の望む世界を創る者」
疑ってはならない。否定してはならない。
世界の行く末を決めるのは、神である。それは大古から続く不文律だ。
天使は、神の領域を侵してはならない。
言い聞かせるように言葉をつむぐ。
瞬間。
地上を映していた水晶の映像が乱れ、そして消えた。
回線が途切れたようだ。
天使は、水晶を通して地上を見守る。
異変が起きた時すぐに気付けるように設定された回線は、強固なセキュリティに守られていて、よほどの事がない限り前触れもなく切れることはない。
例外は、天使が役目を終える時。
リンクする世界が終焉を迎えるか、天使が仕事を降りる時だけだ。
当然ながら、現在の状況はそのどちらでもない。
ついさっきまであの世界は平和そのものだったし、勇者育成計画は現在進行中だ。
だから、イステの水晶が地上を映せない筈はないのだ。
普通に考えれば。
「まさか、強硬手段に出たんじゃないでしょうね」
脳裏に浮かんだのは、幼い容貌で無邪気に笑う創世神だ。
彼は最近、やたらと勇者の育成経過を気にしていた。
もっと早く育たないのか。
もっと強くならないのか。
もっと他に良い方法があるのではないか。
ことあるごとに口を挟んできては、一刻も早く勇者を、とイステを急かした。
育成は慎重に行わなければならない。
計画はあなたが思う以上に繊細で、ひとつのミスも許されない。
計算が狂えば、結果は思いも寄らない方向に転がっていく。
そう説得すれば、一応表面上の納得はしてくれた。
誰が見ても、ありありとした不満を表情にのせていたけれど。
もしも彼が、イステを切り捨てたのならば?
新人であろうが何であろうが相手は神で。
経験豊富で実績多数でもイステは天使だ。
悔しいけれど、決定権は彼にある。
神の代わりはいないけれど、天使の代わりはいくらでもいるのだ。
イステの変わりに勇者を育成できる、彼に都合の良い天使が現れたのならば……。
「そりゃあ、水晶も役目を終えたと判断するでしょうね」
つまり、彼の考え方に反対ばかりするような天使はお払い箱になった、ということである。
「……ルイス……どうなるのかしら」
自分の天使としての身の振り方を考えるより先に、案じたのは青年の未来。
けれど、役目を取り上げられたイステにできる事は何もなくて。
そのうち司あたりにでも探りを入れるとして、今は様子をみようとイステは息をついた。
のちに、イステはこの時の選択を心の底から悔いる事となる。
* * *
今更ではあるが、天使という職業は決して暇ではない。
むしろ忙しい。只人の感覚で言うならば文字通り殺人的な忙しさだ。
ひとりの天使が受け持つ世界は複数にまたがり、朝から晩まで走り回っている。
飛び交う情報は無限といっても過言ではなく、全てを把握することは部署の長にだって不可能だ。
死者が出ないのは、頑丈な肉体を与えられているから。ただそれだけ。
でなければ今頃全員忙しさに殺されているだろう。
だから、こういった事は十分に予想できたはずで。
むしろ何故に気付かなかったと当時の自分を殴りたい。
「え? イステ、ルイスの件から下りてたの!? いつの間に!?」
「ちょっと待て。初耳だぞ」
イステがルイスの担当を外された事は、運営部の中では比較的有名な話だった。
だから伝わっていると思っていた。
けれど実際には、他の部署……司が在籍する制作部やサイラスのいる技術部ではまったく知られていないらしい。
「ひと月前くらい? 水晶の回線が途切れて、問い合わせたら正式にお触れが出た」
ならば手は空いているはずだ。空いているだろう。空いていると言え。それ以外の返答は求めていない。と、ばかりに同僚から細々とした雑用を押し付けられ、ふたりに連絡を取る余裕が出来るまでにひと月かかったともいえる。
天界の時間だ。時の流れが不規則な地上では、下手をすれば半年ほど経っているかもしれない。
「ルイスの成長ぶりはどう?」
最後に見たのは、身の丈の倍ほどあるモンスターを屠っている姿だ。今はもっと強くなっていると思われる。
司やサイラスが引き続き担当についているのだから、無茶な事はされていないと思うが、成長過程が見れないというのは少々さびしい。
だからこの機会に是非とも彼のすばらしい所を語っておくれ。
そんな気持ちで問いかければ、ふたりとも見事に押し黙った。
「あー……とな、イステ。落ち着いてきいてくれ」
沈黙を破ったのは、司。
続けたのはサイラスだ。
「なんというか、その……知らないんだ」
告げられた内容に、そこまで考えが至らなかった自分のボケっぷりに、めまいがした。
天使は忙しい。ひとつの世界にかかりっきりになる事はまず不可能だ。
ルイスに加護を与える前のイステだってそうだった。
むしろ、彼に加護を与えてからの方が――日課のようにあの世界を覗いていたことのほうが異常と言えるだろう。
制作や設計担当の天使は、運営ほどこまめに世界を覗かない。
以前のイステでさえ、数日おきだった。勇者育成のメインを担当していてもそれくらいの頻度だった。
ならば、それ以外の担当者はどうだろう?
「水晶を見せて。今すぐに!」
理解するよりも先に口が動いた。
青ざめた司の隣で、サイラスが水晶を取り出して回線の設定を変える。
かかった時間はほんのわずか。けれどイステにはその時間すらも、もどかしく感じる。
嫌な予感がした。




