騎士の宿舎にて2
ユリアのしどろもどろな説明でも、ウォルターは状況を把握できたらしい。あいつ……! と忌々しげに舌打ちすると、不意につかつかと出入口に歩み寄り、勢いよく扉を開けた。
「さすが勘が良いね」
悪びれる様子もなく、そこにはフィオルが立っていた。
「でも、面白みはないなぁ。いつも上は裸で寝てるくせに、なんで今日に限ってちゃんと着てるわけ? つまんない奴」
「ちょっと待てお前。なんで俺が上着ないで寝てるって知ってんだ」
「いつも寝起きの不機嫌そうな顔で、上半身裸で顔洗いに水飲み場に現れるくせに、何言ってんだか。まぁ君だけじゃないけどね」
「………………」
思わず無言になったウォルターの肩越しに、フィオルはユリアに手を振った。
「じゃあね、ユリア。俺は勤務中だからもう行くよ。いつまでも油売ってるわけにもいかないし。ウォルター、俺がいなくなったからって、彼女襲うなよ」
「とっとと仕事に戻れ!」
ばん、と、廊下中に響き渡る大音量でドアを閉めると、ウォルターは大きく溜息を一つ吐いて、ベッドに腰を下ろした。
たちまち静寂が辺りを支配する中、ユリアが途方に暮れたように突っ立っていることにようやく気付き、机用の椅子を引っ張ってきて、それに彼女を座らせた。
「あの……ごめんなさい」
どう考えても悪くないユリアが、しょんぼりと項垂れている。それを見ると、またもやフィオルにむかっ腹が立ってくるウォルターだった。
「当直明けだって聞きました。ごめんなさい。起こしてしまって……」
時計を見ると、時刻はちょうど正午を指している。昼にはいったん起きるつもりだったウォルターは、首を振った。
「それはいいんだ。どうせ起きる予定だったから」
「あの、私、すぐに帰りますから……ゆっくり休んでください」
「帰れるのか?」
「……う」
まだ人同士の戦争があった時代に、侵入者を足止めする目的で作られたこの宿舎は、見た目以上に内部が入り組んでいる。初めて来た人間が勘を頼りにうろついたら、迷子になるどころか、そもそも立ち入り禁止の区域に紛れ込みかねない。
「送っていくから、少し待ってろ。……そういえば用件は?」
わざわざユリアの方から訪ねてくるのは珍しい。もっと頼って甘えてくれても良いのだが、妙に遠慮深いこの魔女は、大概のことは一人で解決してしまう。
「えっと……あの、相談というか……」
フィオルの余計なお節介には辟易したが、相談事があるならば、部屋に案内したのは結果として正しかったのかもしれない。
ウォルターは窓辺に近寄った。真昼の陽光は分厚い布ごしでも容赦なく差し込んできて、部屋の中は薄暗いものの、物を見るのに不足はなかった。
だが、起きたばかりの頭にはっきりと覚醒を促すために、ウォルターはカーテンを引こうとした。常に気にかけている娘と二人きりの状態で、部屋の中がほの暗いというのも、具合の悪いものがあった。
「カーテン、そのままにして下さい」
だから、ユリアの言葉に驚いた。不審そうに眉を顰めると、彼女は意を決したようにウォルターに歩み寄り、彼を見上げた。
「触れてもいいですか」
「…………は?」
彼の返事を待たずして、ユリアはウォルターの背に腕を回した。身長差があるので、ユリアの頭がちょうど騎士の胸のあたりに来る。
ウォルターは混乱した。魔女が自分を誘惑しに来たかと思ったほどだ。そのまま抱き上げて、寝台の上に放り投げて、泣こうが喚こうが完全に自分のものにしてしまいたい衝動に駆られたが、何とか理性の力でそれを抑え込んだ。
魔女の性格を考えるに、本当に誘惑に来たなどということはない。絶対にない。
だったら、なぜこんな状況になっているのだと、ますます訳がわからなくなった時、ぽつりと彼女が呟いた。
「……ほっとします」
ウォルターはほっとするどころではなかったのだが、ユリアは逆に彼に抱きついて落ち着いているらしい。
なんだこの温度差は……一瞬不満に思わないでもなかったが、魔女の次の言葉に納得した。
「前に助けてもらった時、こうやって抱き締めてもらいました。すごく、守られているような気がして……安心しました」
ああ、そんな事もあったなと、華奢な魔女を見下ろす。冷静になってみれば、娘の瞳に甘い雰囲気など無く、あえて言うなら、彼女の様子は雛鳥が親を求める姿に似ていた。
「ユリア……何かあったのか?」
娘は微かに頷いた。
「……難しい依頼を受けました」
「危険なのか?」
鋭く問い返され、ユリアは一瞬返答に詰まった。長い間をおいて、彼女はやがて首を振った。
「わかりません」
「わからないって……どんな仕事なんだ」
「ごめんなさい。言えません。依頼をされた方と約束しましたので」
「危険なら受けるな。断れ」
「ウォルターさん……。騎士の貴方は、危険だからと、仕事を放棄することは出来ないでしょう?」
私も同じなんです。
魔女は微笑んだ。
私にしかない力、私にしか出来ない役割が、あるのだと。
「本当は、用事なんてないんです。ただ、顔を見たくなって……。私、ウォルターさんに会うと、なんだか元気が出るんです」
薄闇と静寂の中、二人きり。鼻孔をくすぐる甘い香りと、体に触れる柔らかな感触。しかも、娘は愛らしく微笑んで、無邪気にとんでもない事を言ってくれる。
これはいったい何の苦行だと、騎士は、思ったとか思わなかったとか……。
前回は騎士が魔女を振り回していましたが……。
今回は魔女の勝ちですね(笑)




