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第12話:兄弟喧嘩

「くっ……!」


 地面を蹴ったルークが、一瞬で私の目の前に迫りくる。


「アルト!」


 予期せぬ方向からのの急な衝撃で、思わず体勢を崩す。

 視線を向ければ、父が焦ったような表情でこちらに蹴りを放っていた。

 とっさに父が私を蹴ってくれなければ、無事ではなかっただろう。

 押される形で横に倒れこんだが、剣が脇腹を掠める。

 それだけで、予想以上に深く斬られることになるとは。

 

「ほう? 相変わらず、兄上にだけはお優しい」


 ルークが眉を上げて、苦笑する。

 今まで、私が見たことのない表情。

 そのはずなのに、どこから見覚えのある面影。


「何を言っている? 私は、子供たちを差別したことはない!」


 父の声に、意識を引き戻される。

 嘘だな。

 父は、私よりルークの方を可愛がっていた気がする。

 さらにいえば、ヘンリーとサリア……ことさら、サリアを可愛がっていた。


「嘘をつくな!」

「ぬぅっ!」


 ルークが吠えるように叫んだだけで、闇を纏った衝撃波が周囲に波状に広がる。

 うちの兵たちはどうにか堪えたようだが、アイゼン辺境伯とその周囲の騎士たちは吹き飛ばされて木や壁に身体を打ち付けて悶えている。


「本当に……ルークが魔王だったのか?」

「魔王が3人も……世界の終わりだ」


 アイゼン辺境伯と、その部下たちが畏怖の感情を抱きながら漏れ出たであろう声が聞こえてくる。

 笑えない。

 恐慌の状態異常でも付与されているのか。

 騎士たちが蹲って震えているのを見て、思わず顔を顰めてしまった。

 まさか、特に厳しい訓練を耐え抜いた、国境の騎士たちがこのように恐怖に怯える姿を見せるとは。


「父上も下がってください。ギルバートはジェファード殿下を警戒しつつ、全員が避難するまで時間を稼いでくれ」

「はっ!」

「まて、アルト! 私も戦うぞ!」


 父がどうにか自身を奮い立たせるように剣を握って、私の横に立とうとするが。

 正直、加護を持たない父では荷が勝ちすぎている。

 父を気にしながら戦って、どうにか出来る自信もない。


「父上……ここは、私に任せてください! お願いします」

「出来るか! 今の状態のルークも、アルトも放ってはおけん」


 なぜ、こうも頑固なのか。

 溜息を吐いて、ギルバートに視線を送る。

 ギルバートが頷くのを確認して、ルークの方へと向き直る。

 彼は軽蔑を思わせる視線を父に向けて、語り掛けていた。


「白々しい! 父にとって、私は汚点なのでしょう? 貴方が封じた魔力ゆえに、険しい道を進むことになったのに。貴方が作った不幸な私を見ることから目を背けて、罵倒することでしか自身を慰めることのできない哀れな愚か者が!」

 

 ルークが何を言っているのか、理解できてしまう。

 彼にありえた未来の一つだったのであろう。

 いや、過去だったのか?

 そういったことがあったような記憶が、なぜか私の頭の中にあるのだ。

 さきほどの、女神の行った何かの影響だろう。

 だが、ルークと供に過ごした時間の記憶もある。

 なんて、中途半端なと思わなくもない。

 この程度で、ルークを見捨てたりなどできるはずもない。

 

 私や父、ヘンリー、サリア達が、虐げ蔑んできた哀れな弟として存在した偽りの記憶。

 事実とは全く違う。

 そもそも、新たに生まれた記憶では、母上が死んでいた。

 しかし母上もご健在だし、ヘンリーやサリアもルークを慕っている。

 屋敷の者たちだって、ルークを愛している。

 女神が何がしたいのかが、全く分からない。


 そして、ルークに腹が立つ。

 この程度の精神攻撃に対抗もできず、家族を疑うこの薄情な弟に。

 兄は、全力でお前にも愛情を注いできたというのに。

 思わず、拳に力が入る。

 

「馬鹿野郎!」

「馬鹿は、貴方ですよ!」


 剣を捨てルークに思いっきり殴りかかったが、転移であっさりと躱されてしまった。

 そして、背後から蹴り飛ばされる。

 反応が追い付かない。

 

 そこは空気を呼んで、殴られて欲しかったのだが。

 その後で抱きしめ合い、思いを語れば全てが解決すると兄は思うのだが?


「大体、なんで生きてるんですか? 陛下の放った刺客に全員、殺されたはずでしょう」


 ルークの記憶の中では、私たちは死んだことになっているのかな?

 それも、陛下に殺されるとか。

 何か不敬でも働いたのだろうか?

 しかし、現実では生きている。

 その記憶はまやかしだ、弟よ。

 なるほど、なんで生きているかか……そうだな。

 いま、目の前に苦しんでいる弟がいるなら、私の生きている意味は一つしかないな。


「私がなんで生きてるか? それは……お前を、救うためじゃないかな?」

「ムカつく……」


 その言いざまは、あんまりじゃないかな?

 兄は悲しいよ……

 思わず、涙が出るかと思ってしまった。


 それからルークも剣を捨てて、殴りかかってきた。

 真正面からの、弓を引いたパンチ。

 なるほど、こうことだよ。

 私が、望んでいたのは。

 いや……これは……違う! ヤバい!

 

「……!」


 嫌な予感がして両手を交差させた瞬間に、腕に衝撃が。

 そして、脇腹に鈍い感触。

 一連の動作が、速すぎる。

 

「グッ!」


 間を置かずに、顔を殴られる。

 しかし、こっちの拳もしっかりと届いていた。

 

「チッ、まぐれか?」


 ほぼ同時に殴られているのじゃないかと錯覚する速度で、ルークの拳があちらこちらに突き刺さる。

 骨の砕ける音がする。

 ただ、されるがままというのは兄として面白くない。

 効かなければ好きなだけ殴らせたあとで、一発思いっきり殴って全てを帳消しにと思ったが。

 一撃が重すぎる。

 泥仕合になってもいいから、こちらも手を出さないと兄の尊厳が……

 反撃に転じたが、こっちの攻撃もかろうじて当てることが出来ている。


「なるほど……私を理解しているつもりなだけはある」


 単純に攻撃が来るであろう場所にヤマを張って、勘で攻撃してるだけだが。

 それでも結構当たることで、嬉しくなる。

 私の知ってるルークの癖が、そのまま残っているということか。


「しかし、時空魔法を使って攻撃の過程を消しているというのに、半分以上ガードされるのは面白くないね」


 なんてズルい!

 それはズルいぞ、ルーク! 

 これは手合わせじゃなくて、兄弟喧嘩のようなものだろう! 

 そこに、スキルを持ち込むのは反則だろう!

 あっ!

 

「寄るな!」


 父が、後ろからルークを抑え込もうとして、あっさりと転移で躱されていた。

 そして、父の背後に転移したルークが、手を翳して魔法を放っている。


「くぅっ」


 父上……

 男同士の真剣勝負に水を差すなんて、無粋な真似を。

 後ろから近づこうとした父が、ルークの放った闇の槍で太ももを貫かれている。

 殺しはしないのか。

 ホッとする。

 ここで父を殺したら、ルークが元に戻った時に一生消えない心の傷となるだろうし。


 しかし、どうやったらルークは元に戻るのだろうか?


「うぉぉぉぉぉぉ!」


 馬鹿!

 誰だ、あいつから目を離したのは。

 今度はリカルド殿下が地面に落ちていた光の剣を拾って、ルークに斬りかかろうとしていた。

 周囲を見る。

 仕方がないのか。

 殿下を見張る兵たちは、全員がジェファードの相手に取られている。

 それ以前に、大半の兵がルークの威圧でリタイアした状態。

 

「そう死に急ぐな。お前は後でゆっくりと殺す予定だからな? そこで、大人しくしてろ!」

「うっ、くっ……足が」


 すぐに倒れこんだリカルド殿下を見て、思わず眉を寄せてしまった。

 両足を切り落とされ、地面に倒れこんだ姿に。

 うちの弟は、こんなことが出来る子ではなかったはずなのに。


「何を……」


 今度は、上空から女神の声が。

 気が削がれる。

 ルークも、彼女の声だけは不快なようだ。

 空を見上げている。


「あれは……」

「へぇ……他の神か」


 見ると、巨大な黒い球体が上空に現れている。

 フォルス殿……か?


「ふぅ、随分と好き勝手してくれましたね」

「フォルス……どうやって、光の檻から……」

「壊しただけですよ? 我が主の加護を受けて、魔法や攻撃に破壊の効果を付与できるようになりましたので」


 少しだけ安心できた。

 流石に魔王3人、そのうちの一人が弟でもう一人が神ともなると、八方塞がりだったからね。

 これで天秤の傾きも、だいぶ水平に寄っただろう。


 女神をフォルス殿が、ジェファード殿下を他の全員が抑えてくれたら凄く楽になるな。

 父上……諦めて、ギルバートと一緒にジェファード殿下の相手をしてくれないかな?

 ランスロットも、そろそろこっちに来そうですし。


 それに気のせいじゃなければ……リックの気配が近くに来ているのを感じる。

 この速度は、ロイヤルエディションのエアボードだな。

 しかし、彼が来たならリカルド殿下の相手は任せられるか……


 リックと、リカルド殿下も兄弟の溝を埋めることが出来れば、なおいいな。

 やはり、兄弟で分かり合うことが出来ないのは、辛いものだからね。


 今のルークの辛さは理解できるが感情が理解できないことが、私も兄としてあまりにも情けない。

 弟を救えない自身の無力さと、この状況で頼ってもらえない情けなさに忸怩たる思いがある。

 口の中に凄く渋いものが湧き上がるような感覚。

 ふと幼い頃、ルークと一緒に勝手に庭から取って、そのまま食べたシブーカのことを思い出す……

 ルーク曰く、柿だったかな?

 思わず、笑い声が出てしまった。


「何がおかしい?」


 私の笑い声を聞いたルークが、フォルス殿と女神に向けていた視線をこっちに戻して面白くなさそうな顔をする。

 

 さてと……厳しい戦いになるかもしれないが、なんとか実力で弟に兄としての立派な姿を見せないとな。

 弟を守り導くのが、先に産まれた兄の役割なのだから。


「さっさと帰って仲良く、甘い干しシブーカ……いや、干し柿を食べないか? 私は凍らせたものがいいな」

「何を言っている?」

「すぐに思い出すさ」


 拳を握りしめて、ルークに向かって全力で地面を蹴る。

 さてと、兄らしくどうにかしないとね。

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