最後の拷問⑤
ひどく喉が渇いていた。
だけどジゼルを呼ぶことはできない。彼女にこんな酷い話を聞かせるわけにはいかなかった。
「国境の、森にいたのは」
掠れた声で問う。怒りと悔しさで声が震えていた。
「泣きも叫びもしなくなったわたくしに飽きたのでしょう。だから森に捨てることにしたのね。ちゃんと森で死ぬよう、護衛騎士という名の監視役までつけて」
クスクスと笑いながら、アシュリーが言う。
「見たこともないような派手なドレスを着せて。幌のない馬車に乗せ、立派な騎士二人を馬で並走させて、王都の目抜き通りを走らせた。我儘王女がこの大変な時期に戦場見物に出掛けて行ったと、国民の憎悪を煽るために」
まるで残酷な童話でも聞かされているようだ。
こんなことが現実に起きていたなんて。
ロランの目が剣呑な光を帯びている。当然だ。
俺自身、怒りを堪えているせいで手の平に爪が食い込んでいた。
あまりにひどい仕打ちを受けてきたのに、アシュリーはどこか当事者意識が希薄だ。
起きたことをまるごと受け止めたら心が壊れてしまうからだろう。
「馬車から濡れ衣だと訴えようとは思わなかったのか」
唯一の機会だったはずだ。
だが自分で言っておきながら、馬鹿なことを聞いていると分かっていた。
アシュリーが苦笑する。
全て無駄だとでも言うように。
「わたくしはもう何もかもがどうでもよかった。猛獣に食い殺されるのも怖くなかった。だけど」
はあ、とため息をついてアシュリーが言葉をいったん切る。
「――だけど、犯されるのだけは耐えられなかった」
ぎり、とさらに強く拳を握り締める。
口の中で血の味がした。
「不思議ね。とっくに心は死んだと思っていたのに。痛みより汚されることの方が耐えがたいなんて」
照れたような笑ってアシュリーが目元を染める。
「きっと王妃に監視の報酬として許可されていたのでしょう。森に着いた途端、騎士たちは当然の権利とばかりに襲い掛かってきた」
アシュリーより前に捕らえた騎士ども。解放などしてやらず殺すべきだった。拷問の末に惨たらしく。
後悔と怒りで視界がくらくらと揺れる。
「わたくしは走って逃げたわ。逃げて逃げて、もう駄目だという時に、アストラリスの兵士に捕らえられた」
ふ、と眩しそうに目を細めてアシュリーが微笑む。
「……嬉しかった。やっと死ねると思ったから。この苦しみから解放されて、楽になれると思った」
心から幸せそうにアシュリーが言う。
胸が痛かった。
殺されることが幸福だなどと感じるような人生を生きてきたのだ。
「自分ではどうしても死ねなかった。わたくしを信じて耐えている者たちがいたから」
なんの役にも立てないのに、と自嘲しながらアシュリーが呟く。
「だからわたくし、あなたに殺されたかったの。もう痛いのは嫌だったから。極悪非道な宰相様なら、挑発すればすぐにでも殺してもらえると思ったのに。あなたったらでたらめな提案にのってくるんですもの」
「それは……見当はずれで悪かったな」
掠れた声でようやくそれだけ答える。
おかしそうに笑いながら言われても、少しも笑えなかった。
「ふふ、本当に……あなたはちっとも残酷ではなく、間抜けな理由で間違った噂を流されただけの誠実で優しい人だった。あなたに幸せを与えられるたびに、ロラン様やジゼルがわたくしを人間として扱ってくれるたびに。わたくしの死んでいた心が息を吹き返していくのを感じたわ」
懐かしむように、愛しむように目を細めてアシュリーが言う。
高飛車な態度の理由を知っても、ちっとも嬉しくはなかった。
「同時にカラプタリアへの憎悪が止まらなくなってしまったの。わたくしを虐げる王妃を、それを止めようとしないお父様を、そして噂に踊らされ真実を見ようともしない国民を。心底から恨んでいることに気づいてしまった」
アシュリーが静かに笑う。
怒りに燃える目で。
「あんな国滅んでしまえばいい」
俺の手を握り返していた手にぎゅっと力が籠められる。
これこそがアシュリーの嘘偽りない本心なのだろう。
自国の情報を、ささいな幸福と引き換えに渡す極悪非道な王女。
彼女を責められる人間なんて、この世に存在するのだろうか。
ふぅ、とひとつ満足げなため息を最後に、アシュリーの話が終わる。
敵国の王女を捕えた明るい牢獄に、シンと沈黙が落ちた。
「――なんてね。全部嘘ですわ」
その沈黙を破るように、いつもの軽やかな笑みでアシュリーが言う。
さっきまでの重い空気なんてなかったみたいに。
だがその言葉を信じる者はここにはいなかった。
「……そうか。では今日の拷問には屈しなかったということだな」
「ええ。ちっとも幸せになれませんでしたわ」
無理に笑いながら言えば、妙にスッキリした顔でアシュリーが肯定した。
「ではまた別の拷問を考えるとしよう」
言って立ち上がる。
退室しようとロラン目配せすると、彼も後に続いた。
扉の外にはジゼルが心配そうな顔で立っていて、部屋に入ろうとするのを手で制して執務室について来るよう命じる。
今はアシュリーを一人にしてやりたかった。




