[5-52] 決死の一撃
……だが。
「なっ、貴様!?」
「ウガ、ガ……グゴ、ガ、ゴグガ……ギ」
真っ二つになったはずの戒師の、目から、口から……
切断面も含めた、身体の穴という穴から、金の光が溢れ出した。
そして、残された上半身だけで、ミアランゼに組み付いた。
正気とも思えぬ様子でうなり声を上げる姿は、言うなれば『聖なるゾンビ』か。
体重そのものは大した重しにもならないが、信じられない怪力だった。その身体に浮かぶ戦闘聖紋は、燃え尽きる寸前の蝋燭のように過剰な光を走らせている。
偶然か、あるいは多少の知能が残っていたか……そいつは残された手札の中で最も有効な行動を取った。ミアランゼの翼を抱き潰すように、しがみついたのだ。
「そこだ!」
他方、ルネと戦っていた戒師が居る。
そいつはルネの魔剣で貫かれ、呪詛にまみれた己の血を吐きながら、聖気の槍をなげうった。
……ルネではなく、ミアランゼの方へ。
戦闘聖紋の力で生み出された魔法弾の槍は、目もくらむほどに輝いて飛翔する。
それは羽箒が埃を払うように、ミアランゼの細腰を吹き飛ばした。
「ミアランゼ!」
目の前の敵を深々切りつけ、完全にとどめを刺してから、ルネはミアランゼに駆け寄った。
聖気による浄化を受けた部位は、穢れた灰となって散り、ミアランゼの胴体は皮一枚でつながっているような状態だった。
ぽっかり開いた傷口に、血霧が流れ込んで凝縮し、ミアランゼの身体は再生する。すぐに、外見的には無傷の状態に戻った。ただし、それは彼女が無事であることを意味しないのだが。
「申し訳ありません、不覚を……」
「何が不覚なものですか。
あなた一人の戦線離脱と引き換えに、滅月会の部隊は全滅した。
名誉の負傷よ」
ルネが静かにねぎらうと、しかしそれを喜ぶでもなく、ミアランゼははっと顔を上げる。
「お待ちください姫様。私は、まだ戦えます」
「次の相手が誰だか分かっているの?
手負いで戦えば火傷では済まないわ」
「姫様。あなたこそ。
天使を相手取り、姫様と共に戦える者が、どれほどおりますか」
吸血鬼の証である深紅の眼が、燃える炎のように揺らいでルネを見ていた。
刺すように強い圧力をルネは感じていた。これほど攻撃的な感情を、ミアランゼが向けてきたことなど過去にあっただろうか。
それは怒りと言うよりも、全てが台無しになることへの恐怖と表現すべきか。
「我らは……シエル=テイラ亡国の民は、皆等しく姫様の剣。
戦いに勝つため、一本の剣を折ることを、なぜ恐れますか!
もし姫様が私を惜しんだために戦いに敗れることがあれば、私は、姫様を惑わせた己を悔いねばなりません!」
「違う!」
ルネは思わず叫んだ。
彼女の言う通りになってしまうことが、少し、怖くなって。
「あなたを喪って戦いに勝てば、わたしはきっと悲しみ怒る。……その痛みにはきっと耐えましょう。
だけどそれは敵にとって、小さいけれども他に代えられない『敗北の中の勝利』になる。
私はこれ以上、復讐の負債を積み上げたくないのよ」
ルネは言葉を選んで言った。
ほとんど本音だ。一欠片の誤魔化しが含まれているだけで。
許してはならなかったはずの、誤魔化しが。
ぬるい情を持てば刃が鈍る……ディアナを殺したあの日から、そうと信じて戦ってきた。
だがそれは果たして決意だったのだろうか。
ディアナと彼女の仲間たちを殺したことを間違いにしてしまったら。過ちだったことにしてしまったら。自分はその重さに耐えられなくなると、思っていたのではないか?
ディアナは帰ってきた。
あの日の決断の前提が、少し、変わった。
ルネは答えを出し直す必要があった。もう一度同じ答えを出して、同じように殺すのもいい。自分を変えることには常に痛みが伴うものだ。あの日のルネがそうだったように。
だけど。
「姫様。なれば、ただご命令になればよろしいのです。姫様の御意のままに、と。
私は貴女の臣下です。最も忠実な臣下たらんと思っています。ご命令には決して背きません」
「命令すれば、あなたはその通りに動く。
……それで事足りる、とは考えたくないの。納得してほしい。あなたは一山いくらの兵ではないのだから」
ミアランゼの真っ赤な目の中で、瞳孔がふわりと広がった。
それから彼女は自然な動作で、冷たい頬をすり寄せて、そのままルネの首筋にそっと牙を突き立て、傷が付かない程度の甘噛みをする。
「……そのようにおっしゃられては示しが付きません、姫様。
ここは戦場です。味方の士気に関わります」
「台詞と行動が噛み合ってなくない?」
ルネの耳元では、ゴロゴロゴロゴロ、ブロロロロロロロ……と激しく喉を鳴らす音が響いていた。
「安心なさい。いつの日か、あなたを使い捨てる必要があれば、その時は躊躇わない。
だけどそれまでは依怙贔屓するわ。わたしは平等な王じゃないから。
だから、自分を安く使うのはやめなさい」
「はっ……!」
尻尾をピンと立ててミアランゼは跪いた。
彼女は打ち鳴らされた時報の鐘か、全力でぶっ叩かれたシンバルみたいに、全身から感動の波を放っていた。
贔屓を抜きにしても、別に間違ったことはしていないはずだ。
滅月会の連中は、この状況でルネを倒すチャンスに賭けるより、ミアランゼを狙った。それが最終的に勝利に繋がると判断していたのだ。ミアランゼ自身よりも敵の方がミアランゼを評価している。この場合どちらが正しいかは言うまでもなかろう。
「話は済んだかい。
じゃあ、姫様を借りるよ。吸血鬼さん」
「……天使」
仮面の天使は、崩落した瓦礫に腰掛けて、細長いキセルを吹かしていた。
何かの模様みたいな形の煙が、ふわりと立ち上っては風に乱されていく。
滅月会の連中がやられて、それから天使はようやく姿を現した。
出てくるのも遅かったが、決着も急ぐ気が無いのか、彼女はルネの話が終わるまで悠々と一服して待っていたのだ。襲いかかってくる気配が無いのでルネは放っておいた。
天使はキセルをひっくり返して下水の流れに灰を捨て、それから、傍らに立てかけていた斧鎗を蹴り上げて、轟々、二度振り回して構えた。
ミアランゼはそちらを睨みながら、引き下がっていく。
「戦う前に一つ、聞いておきたいのだけど」
「なんだい」
ルネが魔剣の切っ先で指したのは、傍らにある下水である。
「……ナニ、アレ」
「…………あ?」
ディレッタが構築した最新の浄水機構は、戦いで人が減ったテイラ=ルアーレには過剰性能な様子で、下水特有のニオイは薄く、水は濁ってもいない。
その水面。
まるで巨人の顔面の一部分を引き剥がしたような、大きな目玉の埋め込まれた肉塊が、ぷかぷか流れてきて、崩れた瓦礫に堰き止められていた。




