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14.国境

 国境が見えた。


 あれを越えるとエスメラルダには戻れなくなる。


 アリアは視界が霞むのを感じた。バルザックにもう会えない。


 アリアはお腹に手を当てた。バルザックには会えなくなるが、彼の忘れ形見がこの中にいる。子供の存在。それだけがアリアを突き動かした。


 バルザックの子供を産むなら、逃げるしかない。何をしてでもこの子を育てて見せる。



 その時。バサッという音がして目の前に黒い天馬が降り立った。バルザックだ。


 突然あらわれた天馬に馬車を引いていた馬たちは怯え立ち竦んだ。


 いつも優しかったバルザックが、強烈な殺気を放って立っていた。その殺気に誰も動く事が出来ない。


 剣を抜き放ったバルザックの怒号が響き渡った。


「アリア、私から逃げるのか?」


 鬼神のように怒り狂ったバルザックの姿。それさえもアリアには愛おしく見えた。


 あの胸に戻りたい。戻れるならば、どんな目に合っても構わない。


 だが戻れば……。アリアはお腹を撫でた。


 公妾としてお腹の子は始末されてしまう。


 そして見ず知らずの他の男に抱かれ続ける自分はいずれバルザックが他の人を愛する姿を見てしまうだろう。


 想像するだけで、心が壊れてしまう。


「バルザック、お願い見逃して。」


 震える声で馬車の中から答える。


 この扉をあけたら、身体がきっとバルザックの元へと走り出してしまうだろう。


 バルザックの胸に抱かれたい。理性では酷い結末がわかっているのに、その強烈な本能に支配されておかしくなりそうだった。


「エスメラルダの男が己の番を逃がすわけか無いだろう。」


 残忍な笑みを浮かべたバルザックが刀を構えた。刀身を反射した月の光がキラりと光る。


「アリアを逃がそうとしたものは一人ずつ嬲り殺す。」


 バルザックは手始めに御者台に座ったマリーを捕まえた。堪らず馬車からまろび出たアリアはマリーの前に立ちはだかった。


 バルザックの構えた抜き身の刀身が目の前に迫る。


 ごめんね赤ちゃん。産んであげれなくてごめん。


 でも、アリアはバルザックに殺されるなら本望だった。


「私を殺して、バルザック」


 アリアは自らの喉元をバルザックの刀の切っ先に差し出した。


「そこをどけ、アリア。」


 バルザックの刀が震え、悲痛なバルザックの声が響いた。


「マリーや他の者は関係ないわ。私が逃亡した罪は私が負う。王女アリアとして我が命をもって贖う。だから、マリー達は解放して。」


 怒り狂っていた筈のバルザックは刀を下ろし絶望に支配された表情でアリアを見つめていた。

 

 今日はたくさんのバルザックを見たわね。アリアは冷静だった。静かにバルザックに近づく。


「バルザック、私は不相応にもあなたを愛してしまったの。」


 バルザックの頬を涙が伝う。月の光を受けて流れる涙が美しいとアリアは思った。


「だったらアリア。私の側にいてくれ。」


 乞い願うようなバルザックのその口調に、アリアは淡々と答えた。


「バルザック、貴方は結婚すると聞いたわ。」


「ああ。だが…」


 言い淀むバルザックにアリアは畳み掛けた。


「私、バルザックが私以外の人を抱くのも、自分がバルザック以外の人に抱かれるのも嫌だわ。」


「アリア」


 バルザックがアリアを掻っ攫うように抱き締めた。その腕の暖かさにアリアは泣きそうになった。これを言ったら、この子は無事ではいられないだろう。でも、言わずにはいられなかった。


「ここに子がいるの。バルザック、あなたの子よ。」


 バルザックの手を取り己の腹に導く。


「私は公妾よ。公妾は教会で子が出来ない処置をされると聞いたわ」


「違っ…」


 目を見開いたバルザックが、はくはくと何かを言おうと口を開く。しかし、アリアはさらに畳み掛けた。


「バルザック、あなたの子を産みたいの。だからお願い、見逃して。」


「誤解だ、誤解なんだ。アリア。」


 バルザックの悲痛な叫びが響いた。


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