#53 甕裡 破「水魚の交わり」
時は2031年。
第22代江戸幕府将軍の治める太陽の国、日本。
此処はその天領、甲斐国・甲府藩。
甲府藩を守る「甲府御庭番衆」に急遽入隊した、竜の少年・硯桜華。
これは一人前の侍となるべく御家人研修に臨んだ桜華の身に起きた、一春の友情と悲劇の物語である。
破 ~水魚の交わり~
─2031年4月10日 14:00頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 野上下郷〕
「智多川はあんまり友達いないけどさ、こいつらはよくお前に構ってくれてるだろ?」
なんで。
「だからケンカしたならちゃんと仲直りすべきだと思うんだよ、お互いの悪かったところを認めてさ。」
どうして。
「こいつらもお前と仲直りしたいって言ってるし、そもそも先に手を出したのはお前だって聞いてるし…本当はお前から謝りに行くべきだったんじゃないのか、智多川。」
そんな簡単にその子たちを信じるの。
「でも生徒どうしだけで話し合うのは不安だろ?だから俺が立ち会ってやるよ、ほら、仲直りしよう?な?」
いやだ。
いかにも「申し訳ないです」というわざとらしい表情と仕草をする女子3人。
でも私は知ってる…この仕草は、先生に怒られる度に繰り返し使っている、ただの演技に過ぎないことを。
なのに先生は信じてしまう…どうして?謝った後も私への乱暴が続いているのはわかっているはずなのに、どうしてそれでもその子たちの謝罪を信じられるの?
そうだ、この先生も同じだ。
こうやって対話のフリだけしながら、頭の中では「どうせまた智多川弥舞愛のせいで厄介事が起きたんだろう」という結論が固まっている。
私の声になんて、これっぽっちも耳を傾ける気は無いんだ。
この先生が求めているのは、私の安全や納得なんかじゃなくて、早くこのいざこざが終わること。
そうだよね、訴えられたくないもんね。
ただの「子供のケンカ」で済ませたくて、私が仲直りしたという言質を取りたくて、わざわざお母さんの居ない時間に家に来たんだよね。
腐ってる。
どいつもこいつも。
先生が何か喋ってる。
あの子たちが何か喋ってる。
私への説教?
上辺だけの謝罪?
ドッドッという心臓の音が、痛いくらい耳まで響いてきて。
それ以外の音は、遠くに霞んで聴こえない。
「ああもう、こんな時間か!俺は部活のことがあるから帰るんで、あとは任せたぞ〜。智多川、手首のそれなんか弄ってないで、ちゃんとごめんなさいって言うんだぞ〜。」
え…先生、このタイミングで、私とこの子たちを残して帰るの?
そしたら何が起こるのか、この子たちと私を大人の目につかない場所に置いたらどうなるのか、想像できないの?
ただただ愕然として、山道の向こうへ消えていく先生を眺めていると…
少しして、お腹に物凄い衝撃が来て、そのまま家のドアに背中から叩きつけられた。
「裁判ババアは居ないんだ、一丁前に訴えるとか言っちゃってさぁ…ママが居なきゃ何もできないくせにっ!」
腕をグイッと思い切り引っ張られる。
「あんたみたいな山姥のせいで、私らの内申に何かあったらどうしてくれるつもりなの?責任とれんの?ねぇ!」
「人様のこと脅してビビらせといて、自分は学校サボるなんていいご身分よねぇ。」
「何とか言えよ!おらっ!」
次々に頬を叩かれ、髪や腕を鷲掴みにされてグイグイ引っ張られる。
痛い、怖い、苦しい…誰か助けて…
必死に手首のミサンガを押さえて、呪文を唱える。
「うみだ、ちゃぷ…ちゃぷ…ざん、ぶりこ…っ、うみだ、ちゃぷ…ちゃぷ…ざん、ぶりこ…」
「なにブツブツ言ってんのよ!何とか言いなさいよ!」
「これなに?ミサンガ?」
ミサンガを掴まれ、強く引っ張られ出した。
〜〜〜〜〜〜
「これ、弥舞愛にあげるね。」
「わぁ…ミサンガだ!」
「そう、お守りのミサンガよ…アタシが居ない時でも守ってもらえるようにね!」
〜〜〜〜〜〜
「や、や…いや!やめて!」
思わず悲鳴を上げて、腕を引っ張り返す。
「何すんのよ山姥!生意気なんだよ!」
凄まじい怒声とともに、さらに強く引っ張り返される。
お母さんは今遠くで仕事中だ。
潤也さんのパトロールの時間はまだだ。
誰も助けに来てはくれない。
痛い、辛い、悲しい。
〜〜〜〜〜〜
「命に掛け替えはあるし、価値は無いよ。」
「人を殺すのと蚊を殺すのと、何か違うと思うかい?」
「俺はいつでも君の味方だよ。」
〜〜〜〜〜〜
山神様…あなたのくれた力で、私は、今から…
人を殺します。
──────
─2031年4月10日 14:00頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 野上下郷〕
町の西外れにある小さな民家。
昨日の事件現場にいた智多川弥舞愛は、この民家に住んでいる。
そこから数十m離れた場所に停められた車の中で、僕は様子を伺っていた。
車を運転して来たのは、もちろん僕でも、石野さんでもなく…
「私、運転荒いことで定評あるんだけど、酔わなかった?大丈夫?」
【鳥居 忠愛】
~江戸幕府 若年寄 / 壬生藩 筆頭家老~
鳥居忠愛様。
白いシャツに黒いサスペンダーに、梯子のように横に伸びた三本のチェストベルトと、赤髪のワンサイドアップが特徴的な、痩身の若いお姉さん。
本人からの許可で「忠愛さん」と呼ばせていただいている。
今回の事件捜査と僕の研修で、補助役を担当してくれる方だ。
忠愛さんは真顔のまま、でもとても心配そうな声で、助手席に居る僕に尋ねてくる。
「大丈夫ですっ!僕はドラゴンですから!」
「ふぅん、普段から激しい飛行をしても耐え得る体だからってこと?それならよかった〜、私の運転する車に乗った侍はみんな10分そこらでヘロヘロになってたからね〜。」
「アトラクションみたいで楽しかったです!」
「ならよかった。」
能面のように真顔のまま表情が変わらないけど、喋りにはちゃんと抑揚があって、ノリも良く愉快な人だ。
なんで表情が動かないんだろう…逆に不思議だけど、今は任務中なので触れないでおこう。
「じょ、冗談じゃないよ忠愛君…私は大丈夫なんかじゃ…洗濯機に入れられた気分だった…ぐふっ…」
「あははー、シリアン先生、そりゃ実際に入っちゃった経験がなきゃ言えないことですねー。」
後部座席のケージの中で突っ伏すシリアン先生に、軽やかに笑った声で返す忠愛さん。
シリアン先生はアズマ様と同じくらい頑丈なので、この程度でケガをしたりはしないけど…
事件発生から二日目。
昨夜にも話した通り、僕と石野さんは二手に分かれて行動することになった。
怪魚と思しき妖魔の発生事案はここ二、三ヶ月の間に長瀞町周辺でのみ発生していて、行方不明者もその頃から明らかに増えていた。
つまり犯人は長瀞町より外では活動していない可能性が高い。
長瀞町およびその周辺の行方不明者・怪死事件の発生地点の分布をまとめ、犯人の拠点の凡その位置を割り出した。
そこで一気に乗り込む!…とはいかない…まだ詳細な位置までは特定できていないからだ。
石野さんは、過去の妖魔発生記録や当地の民間信仰などの情報を聞き込み・幕府側にも解析してもらいながら、犯人の拠点を歩いて探す。
その間に僕は、事件について何らかの事情を知っている可能性が高い、智多川弥舞愛を追跡する。
彼女がソウル使いあるいは魔導師で、今回の事件の犯人という可能性も捨てきれない。
智多川弥舞愛の家を前に、忠愛さんが改めて作戦を説明してくれた。
「それじゃあ作戦の確認だよ。──
──目的は、智多川弥舞愛がソウル使いまたは魔導師でないか確認すること。
桜華くんにはこれから、ソウル使いや魔導師でなければ視認できない程の低出力で式神「イクチ」を出してもらう。
そして智多川弥舞愛を、本人が十分気付ける範囲から、式神に襲わせる。
もちろん寸止めだよ。
そして智多川弥舞愛の反応に応じて、次の対応をする。
①智多川弥舞愛が式神を認識できない場合
→式神を引っ込めて、事情聴取に移る。
②智多川弥舞愛が式神を認識できるものの迎撃できない場合
→この場合も式神を引っ込めて、事情聴取に移る。
③智多川弥舞愛が式神を魔術で迎撃した場合
→即時身柄を拘束する。
④智多川弥舞愛が式神を魔術で迎撃し、その実力が簡易魔力測定で丙種以上と推定された場合
→すぐに石野さんを呼んで、私たちはここで待機。合流次第即時身柄を拘束する。
こんな感じかな。──
──彼女が仮にソウル使いだとして、どんな能力を持っているのかはわからないから、危険を感じたらすぐに式神を引っ込めていいからね。」
ちなみに現在、僕らの乗る車は、外からは周囲の景色に溶け込んで見えるようになっている。
これは、僕の持ってきた青い怪奇譚の術巻「ミラージュ・ハマー」によるもの。
術をかけた対象の周囲の光を屈折させて蜃気楼を生み、様々な視覚的効果を起こす。
魔神・虹牙が置いていった術巻の一本だ。
さて、早速作戦開始…と思いきや、智多川弥舞愛の家の前の様子がどうにも怪しい。
とても「物騒なにおい」があたりに漂う…これはとてもまずい状況なのでは…?
そして数分後、悪い予感は的中した。
僕と同じくらいの女子中学生数人が、寄ってたかって彼女を暴行し始めた。
叩いて、蹴って、腕を引っ張って、彼女の目には涙が浮かんでいる。
ひどい…
忠愛さんは僕の顔を見て、冷や汗を垂らす。
「まさか話に聞いてたいじめの現場を、そのまま見せつけられるとはね…」
「ひどい…作戦はどうしましょうか…?」
「どうしようね…これはこれでマズい状況なんだよな…仮にもし智多川弥舞愛がソウル使いで、しかも未熟な能力者だった場合、極度のストレスで能力が覚醒&暴走するなんて可能性もある。」
「そ、それは危険です…!」
「危険だよ、だからなるべく早くかつ穏便にいじめっ子を引っ剥がさなきゃ。」
彼女の身の危険も考えると、時間的猶予はあまり無い…急がなきゃ!
迅速かつ穏便に済ませるには…
竜に変身していじめっ子たちを脅かす?いや、それだといじめっ子だけじゃなく彼女の方も驚いて、それがトリガーになってソウル能力が暴発しかねない。
もっと穏便に、誰も傷付けずに、この場を鎮める方法…そうだ!あの方法はどうかな?
閃いた途端、忠愛さんが少し真剣な顔でバッとこっちに振り向いてくる。
「ん、桜華くん、閃いたって顔したね…教えてくれない?」
「はい、閃きました!そのためには忠愛さんのご協力も必要なのですが…」
「お安い御用だよ、言ってみて。」
──────
「こんにちは!」
高く透き通った綺麗な声の挨拶が突然聴こえて、私を引っ張る手が止まる。
恐る恐る目を開けると、驚いた表情で後ろに振り向く女子3人の後ろに…
季節外れな紫のマフラーを着けた、紫がかった長い黒髪の綺麗な子が、笑顔で立っていた。
「何あんた?こいつの知り合い?」
「絶対そうだろ、じゃなきゃこんな辺鄙なとこまで来ねーよ。」
「どこ中?なにその制服ナメてんの?」
「ほっそい体に小さい顔ね、ウッザ…」
「泣かせてやろうか?あ?」
「キャッハハハハハ!ビビって固まってんじゃん!」
女子3人がマフラーの子に詰め寄っていく。
私と関係ない人なのに、巻き込まないで…でも過呼吸で声が出ない。
と思った次の瞬間、マフラーの子は、女子3人から右に離れた場所に移っていた。
その手の上には、女子3人が通学カバンに付けていた、韓流アイドルのぬいぐるみストラップ3個。
もしかして、今の一瞬で掠め取ったの…?
「もらっちゃいました♫」
マフラーの子はそう言って、てへっと小さく舌を出してウインクする。
女子3人は一瞬呆気に取られた後、慌てて自分たちのカバンや服のあちこちを見回し、ぬいぐるみが無いことに気付くと「イヤーッ!」と次々に悲鳴を上げた。
「な、何してくれんのよアンタ!」
「あたしらの“ケイ(※アイドルの愛称)”に触んな!」
「返してよーっ!」
女子3人は口々に罵詈雑言を吐きながら、マフラーの子に駆け寄って捕まえようとするけど…
「いやです。」
マフラーの子は余裕そうな顔で、触れるか触れないかギリギリのところで女子3人の手を躱し続けると、しまいには信じられない速さで走り去っていく。
女子3人も必死にマフラーの子の後を追いかけて、やがて道の向こうへ姿を消していく。
「えぇ…」
噴き上がってきた殺意はどこへやら、私はその様子をただ呆然と見送るしかなかった。
そして…
「大丈夫ですか?」
マフラーの子はいつの間に、私の真横に立っていた。
「は、はやっ…!?」
この子、いったい何者なの…!?
──────
─2031年4月10日 14:05頃─
僕が智多川弥舞愛の前に現れるより、ちょっと前のこと。
僕が忠愛さんに提案したのは、“推し”を奪うという作戦だった。
この発想に至った理由は、䑓麓さんとの研修期間中に起きたことで…
〜〜〜〜〜〜
「いつでも〜探しているよ〜♫どこかに〜君の姿を〜♫カバンの中も♫机の中も♫探したけれど見つから…ねーから!ぐわーっ!見つからねーっ!」
「うるさ…どうしたんですか、䑓麓さん?」
䑓麓さんが執務室をあちこちウロウロしては喚き散らすので話を聞いてみたら、なんでも“推しキャラ”の缶バッジをなくしたという。
「また新しく買えばいいじゃないですか。」
「なんだァ?テメェ…いいですか、あれは2030冬コミ限定の公式グッズなんです!その時じゃなきゃゲットできない限・定・品なんですよっ!また買えばいいじゃないかなんてのは実に非オタ的な甘〜く浅はかな考え…」
「なんでそんな貴重なものを普段使いしてしまったんですか?」
すると䑓麓さんは、白目を剥いて固まり、口をパクパクさせた。
「は…か…へ、ヘイトスピーチ…!」
「違います。」
䑓麓さんは黙りこくる…どうやら反論できないらしい。
「…」
「推しグッズってよくあちこちで言いますが、そんなに大事なものなんですか?僕にはそういうのよくわからなくて…」
「あのですねぇ…考えてみてくださいよ、僕が失くした缶バッジと君のマフラーを置き換えて。」
「それは…」
僕がいつも首に巻いている紫のマフラー、実はこれはお母様から貰ったもの。
厳密には、お母様から貰ったマフラーをもとにしたもの…だけど。
甲州事変の時にボロボロになったマフラーを、ゲッコー師匠が補習してくれたものなのだ。
マフラーのことは最近になってようやく思い出したことだけど…お母様との思い出は、実はずっと僕のそばに居たんだと気付いて、とても嬉しくて愛おしくなった。
というわけで、マフラーは僕の掛け替えのない宝物の一つだ。
䑓麓さんは語る。
「推しっていうのは単なる娯楽を超えた、人の心の拠り所なんです…オタクの中には、その推しを具象化したグッズに魂を切り分けるかのような愛で方をする人だっています。僕みたいに。」
「魂を切り分ける…ですか?」
「そうですよ、なので紛失は致命傷です。」
…つまり、普段藩校の同級生がカバンにつけているアイドルやアニメキャラのストラップなんかも、ただの飾りじゃなくて、その人の心の拠り所になっていたりするんだ。
〜〜〜〜〜〜
心の拠り所は、それを奪われると心身の安寧を大きく揺るがす「弱点」ともいえる。
なるべく誰もケガさせず、注意だけを引きつける方法に、これ以上もってこいな弱点も無い。
とはいえ普通に掠め取ってしまうと、それはただの窃盗になってしまう。
そこで忠愛さんのソウル能力を借りることにした。
忠愛さんは、自身の手にした紙に魔力を込め、そこから本物と全く同じ性質を持ったレプリカを「折り紙」として作成できる。
「シザーハンズ」というソウル能力だ。
まず、忠愛さんの能力で、いじめっ子たちの推しぬいストラップを模造してもらう。
次に、ミラージュ・ハマーの術巻の能力で、いじめっ子たちのカバンについている推しぬいストラップを不可視化する。
そしたらあとは、わざとらしく盗んだフリをするだけで、いじめっ子たちは僕を追いかけてくれるはずだ。
──────
作戦は見事に成功!
200m以上逃げた後、推しぬいストラップの模造品は近くの用水路へ投げ捨てた。
いじめっ子たちが慌てて用水路へ飛び込んでいくのを見送りつつ、僕は智多川弥舞愛の居る場所へすぐに戻ってきた。
「大丈夫ですか?」
「はっ…はやっ!?」
心配で尋ねてみたけど、それ以上に彼女をびっくりしてしまったらしい。
彼女は少し呆然とした後、首をブルブルと振って、僕に尋ねてきた。
「助けてくれたの…?なんで…?」
「それは…あなたは、さっきの人たちに、家の前に居てほしくなかったでしょう?」
「そ、それは…」
「どう見てもお友達には見えなかったですし。」
すると彼女は少し目を輝かせて、深く頷いた。
「う、うん…!」
「ケガしてる…ちょっと貸してくれませんか?」
何故かわからないけど、彼女の手足やお腹に傷の気配を感じる…その程度まで、見えるようにわかる。
「わ、わかるの…?」
「はい…ちょっと体、触らせてもらって大丈夫ですか?」
彼女の許可を得て、腕、脚、お腹の順に手を触れていく。
腰に提げた送梅雨が青白く輝く。
これは黄泉醜女様の高等癒術…腕や脚の切断といった重傷にも対応できる程強力だといい、送梅雨を装備している間は僕にも行使できる。
もちろん知識のある範囲に限られるけど…そこは町医者のゲッコー師匠仕込みの知識が活かされるところだ。
「痛くありませんか?」
僕が尋ねると、彼女は不思議そうな顔で触られたあちこちを触り直した後、僕の顔を見て頷いた。
「う、うん…すごいね…何をしたの?」
「ちょっとした魔法です。」
おっとっと…挨拶を忘れてた。
武士の身分証・御家人手帳を開いて見せながら、頭を下げる。
「はじめまして、僕は硯桜華といいます。江戸幕府御家人見習の者です。」
すると彼女も慌てて深いお辞儀で返してきた。
「あ、葵の御紋…じゃなくて、はっ、はじめまして!私、ここに住んでる智多川弥舞愛っていいます。」
【智多川 弥舞愛】
~長瀞町に住む女子中学生~
「幕府のお侍様が…私に何かご用でしょうか?」
「ええ、少しお話を伺いたくて…ここで立ち話もなんですから、どこか別の場所でお話しませんか?」
「いいですが、どうして…?」
「だって弥舞愛さん、あの子たちの顔を見るのも嫌でしょう?」
「う、うん…!」
このまま家の近くに居続けると、またあのいじめっ子たちが戻ってきてしまう。
僕なら守ってあげられるけど、そういう問題じゃない…ここは距離の離れた場所で、ゆっくり弥舞愛さんと話をすべきだ。
すると、しながら弥舞愛さんがもじもじしながら尋ねてきた。
「じゃ、じゃあ…あの、桜華様…」
「なんでしょう?」
「荒川の釣り場に行きませんか?ちょうどこれから釣りに行こうと思っていて、そこならクラスの子たちも来ないし…」
「ちょっと上司に確認してみます。」
弥舞愛さんの希望で釣り堀に移動する旨を忠愛さんにDMで伝えると、速攻でOKの旨の返事が来た。
忠愛さん、メール対応もアクセルベタ踏みなんだ…
すぐに弥舞愛さんに伝えてあげる。
「大丈夫だそうですよ、弥舞愛さん。」
「ほ、ほんとに…?じゃあお待ちください桜華様、道具を持ってくるので…」
終始不安そうに慌てる弥舞愛さんに、なるべく急かさず落ち着いてもらえるよう優しく声をかける。
「ゆっくりで大丈夫ですよ、あ、あと…」
「なんでしょう…?」
「僕のこと、別に“桜華様”じゃなくて“桜華”と呼んでくれて構いませんよ。そんなに偉くないし…」
相手となるべく同じ目線に立った方が、言いにくい話も聞き出しやすいはずだ…それ以上に、弥舞愛さんの様子が心配なんだけど。
「え、いいんですか…?じゃ、じゃあその、私のことも…“弥舞愛さん”じゃなくて“弥舞愛”でいいですよ…」
弥舞愛さんはぼっと顔を赤くした後、またもじもじしながら細い声で呟いた。
「いいんですか?それでは…よろしくお願いしますね、弥舞愛。」
「うん…よろしくね、桜華。」
──────
─2031年4月10日 15:00頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 野上下郷 板石塔婆石材採掘遺跡付近〕
「ひ、ひぃ…これは…石野様…」
【大涌 潤也】
~忍藩 見廻同心~
若い茶髪の見廻同心。
彼は大涌潤也。
ここ長瀞町に3ヶ月前に赴任してきた駐在の同心で、今回の事件捜査にも協力してくれている。
捜査開始から2日目。
行方不明者の分布から割り出した、犯人の拠点と疑われる地帯。
それは長瀞町北西部の山間地であった。
幕府に100年以上前まで遡って史料を調査してもらったところ、 この近辺にはかつて川の豊漁を司る「山神」と呼ばれる信仰が存在したという記録が発見された。
しかしそれ以上の詳細な情報はほとんど無く、現地で聞き込みをしたものの、これまでに「山神」の存在を知る住民には1人も出会えなかった。
しかし長瀞町北西部の山間地に、手入れのされていない寂れた祠があると話す住民がおり、その場所と犯人の拠点と思われる場所が概ね一致した。
無関係と見る方が不自然であろう。
鬱蒼と茂る草木の中には、所々がヒビ割れた石造りの鳥居と、ボロボロの祠。
これが「山神」を祀る祠なのか…?
祠にはびっしりと赤い鎮宅霊符のような呪符が貼られており、鳥居の注連縄は内を向いている。
注連縄は本来、外から来る魔から、内側にいる人を守るため、外側に向けて設置するものだが…何故内側なのか…?
「ギョオォ…ヒオォ…」
一先ずそれらの疑問はさておき、少なくとも犯人の拠点をここと推定した私の目に狂いは無かったようだ。
祠の周辺は複雑な地形となっていて、突き出した崖や横穴が複数ある。
その崖際や穴の縁から、歪で巨大な魚の体がはみ出すように見え、こちらを覗いているのだ。
ここから目視できるだけで、怪魚人は合計30体以上は居る。
怪魚人1体あたり人間1人と考えると…よくここまで人間を掻き集めたな。
「大涌さん、犯人はここに潜伏している可能性が高い。」
「は、はい…僕は、僕はどうすれば…」
「貴方の段位でこの怪物たちを相手取るのは危険です…車に戻り、そのまま逃げてください。」
「い、石野様はどうされるのですか…!?」
「私は大丈夫、死ぬことはありません…敵を討伐次第、自力で下山します。」
大涌さんの言う通り、来た道の側にも既に怪魚人が数匹回り込んでいるのが見える。
ならばここは…怪魚人を倒すと同時に、車まで一直線の道を作る。
「『氷壊魔術』…『御神渡』」
ここから車のある位置の方角へ、山刀で地面を舐めるように斬り上げる。
バキバキバキバキッ
切り上げた箇所から氷が捲れ上がるように飛び出し、車のある位置へ斜面を下るように太い線を描く。
「大涌さん、この氷に沿って斜面を降りてください。」
「こ、この氷の滑り台みたいなのを…ですか…?」
「ええ、それを伝って車へ…怪魚人は全て私が引き受けます。急いで!」
「は、はいぃっ!」
申し訳ないがこの敵の数だと、大涌さんはただの足手纏いになってしまう。
斜面を滑り落ちる大涌さんの背に向かい、斜面を駆け下りようとする怪魚人が4体。
「ふッ…」
パキキッ…
山刀の一薙ぎの冷風で芯まで凍結させる。
「ウギギ…ァギ…」
さらに岩の裏や木陰からも、次々に様々な形の怪魚人がゾロゾロと姿を現す。
ウツボのような怪魚人が1体、地面を這いながらこちらに向かってくる。
「うあぁ…くるじぃ…たすけえぇ…」
その目からは大粒の涙が伝っている…僅かに意識が残っているようだ。
山刀を振り下ろし、頸椎を断ち斬ると、ウツボの怪魚人はカッと目を見開いて痙攣し出す。
手で涙を拭い、そっと瞼を閉じてやった。
…最初はこの町やその周辺程度の被害と考えていたが、この数、こちらの予想を遥かに超える被害者数…読みが多少外れたか?
一体どれだけの人間が犠牲になっているというのか…一刻も早く止めなければならない。
雁首を揃えて私を睨む怪魚人たちを前に、昨夜の黄泉醜女様の話を思い起こす。
〜〜〜〜〜〜
「魂魄にもあるべき形があり、その形を歪められると、魂魄は崩れ落ちてしまう。」
「通常の死を“肉体の死”とするならば、あの犠牲者たちの死は“魂の死”だ…歪められた魂魄は限界を迎えると崩壊し…」
「輪廻転生の循環に乗ることもない…その者の生命は完全に消滅するのだ。」
〜〜〜〜〜〜
「どうかお許しください、哀れな御霊達よ…」
怪魚人たちが横一列に並び、一斉に飛びかかってくる。
山刀を大きく真横に振り抜き、横一直線に長い氷の線を引く。
パキキッ…
「せめてこの一刀で…安らかにお眠りください。」
「『氷壊魔術』…」
「『氷ノ閃』」
ザンッ!
両断された怪魚人の死体が、雨のようにボトボトと降ってくる中…
明らかに怪魚人とは違う、黒い影が祠の裏から飛び出し、高速で私の懐まで迫ってきた。
バキッ!
即座に山刀を振り下ろし、迫ってきた物体の頭を殴る。
すると物体はうつ伏せに倒れ、その状態のまま後方へサッとスライドするように退くと、ゆっくり起き上がって声を発した。
「痛っ…こいつは流石に堪えるなぁ…不意打ち失敗だ…」
貫頭衣のような服を着た男。
外見は限りなく人間に近いが…溢れ出る異様な魔力と霊力からして、これは妖魔。
「俺のこと嗅ぎ回ってる侍が居るって聞いてさ…もしかして君のこと?」
「それは誰から聞いたんですか?」
「風の噂で耳にしたのさ♫」
「これは質問ではなく尋問です、正確に答えなさい…要領を得ない回答は嫌いです。」
「お堅いなぁ…葵の御紋があるってことは、君は幕府の侍なのかな?困るんだよなぁ、俺の可愛いお魚たちを殺されちゃうと、命には掛け替えはあるけど、数に限りはあるからさ?勘弁してよね。」
「こちらこそ勘弁願いたいものです…打つ手がない上に原型を留めていないとはいえ、人を斬り捨てるのは大変気分が悪い。」
「えー?侍なのに?へんなの。」
男は後頭部をさすりながら、ピョンと岩の上に飛び乗って、ニヤニヤしながら喋る。
溢れる魔力の凄まじさに加え、ここまで会話が成立する知能…特種妖魔と見て間違いない。
「昨日発生した怪死事件…やはり貴方が犯人なのですね。」
「フフッ、そーだよ♫ビックリしちゃった?」
魚に関連する能力…おそらくこの男が、この地でかつて祀られていた「山神」にあたる土地神であろう。
豊漁を司るなどと言っていたが、それ以上の詳細な記録が無いのは、人を襲うが故に封印されていたためなのか?
そして時間が経ち信仰が途絶えたことで、封印に綻びが生じたのだろうか?
一先ず会話には応じておこう。
「それなりには。」
「だけどさ、それで俺を討伐にしに来るのは違くない?」
「どういう理屈ですか?」
「だってさ、俺の餌は魂魄なわけ…だからそれを食べるのは命の営みであって罪ではないんだよ…君たちだって牛や豚を殺して食べるでしょ?というか、牛や豚は最初から食べられる運命で飼い殺しにされるけど、俺の場合は食べるまでは餌を自由に泳がせてるから…むしろ俺の方が良心的だね?」
「そんな理屈なら、この仕事をやっていれば嫌という程耳にします。」
「じゃあいつも何て答えてるんだい?」
「答えは一つ、これは有害鳥獣駆除と同じ理屈です。貴方の語る理屈が正しかろうがそうでなかろうが、人間に害を為さない妖魔なら放置し、対して害を為す妖魔なら駆除する。ただそれだけのことです。」
「ふーん…見かけ通りのお堅い答えだけど、今まで会った人間共よりは随分筋の通ったことを言うね。」
男は自身の脇腹にある裂け目に手を突っ込んでゴソゴソ弄ると、粘液に塗れた青い半透明のビー玉のようなものを3個、左手の指に挟んで持ち出してきた。
「なにこれ?って顔してるね…これは人間から“器”を極限まで削ぎ落とした、卵の卵黄だけみたいなものさ…魂の重さはたった21gなんて話もあるよね、魂魄ってこんなに小っちゃいんだよ。」
男は口の両端を裂くように開き、気味の悪い笑みを浮かべる。
「そしてこれを…こうするっ!」
ヒュドドドッ!
男がそう言って左手の指を勢いよく閉じると、3個の球体は一瞬で細長く鋭い魚に変形する。
すぐに後方へ飛び退くと、さらに無数の小さなイカのような怪魚人が次々に弾丸のように飛んできた。
ガガガガンッ
山刀で薙ぎ払い、真横へ駆け出る。
すると今度は、後ろに控えていた怪魚人たちが次々に飛びかかってくる。
「ど、どどどど、どうしたのおぉ〜?」
「おいしぃよぉ〜たべるうぅ〜!」
一体一体、半矢にならないよう確実に仕留めていく。
手数の多さで惑わせる気か…
敵の能力はおそらく、魂を齧った人間を怪魚人へ変形させるというもの。
そして今の攻撃を見てわかったこと。
①魂を齧ってから変形させるまでの時間にはラグを設けられること
②元の人間の体積や質量に関係なく自由に変形させられること
③変形時に生じるエネルギーを利用して攻撃もできること
そして…
「どこ見てるの〜?お侍様っ!」
男は怪魚人たちに混じると、手足にヒレを生やした人魚のような姿となり、トビウオのように地面を跳ね泳いでこちらに迫ってくる。
④自身の肉体は自由に魚へ変形させられること
男の手が魚の顎に変形し、大きく開いて胸を狙ってくる。
咄嗟に山刀で胸を守るが…
ヌルッ
「何っ…!?」
男の腕は山刀をすり抜け、さらに水面に手を突っ込むかのように私の胸に突き刺さった。
「肉体を守る術は多くの人間が会得しているけど、魂を守る術を知る人間はほとんど居ない…俺からすれば、人間は全員無防備な雑魚でしかないんだよね♫」
サメのような鋭い歯を剥き出しにし、男は邪悪な満面の笑みを浮かべた。
ガブリッ
──────
「みんなワンパターンなんだよなぁ、まあ防御できないなんて思いもしないよね。」
「君の魔力は凄まじいねぇ…どんな魚が生まれるのかな?楽しみだよ♫」
魂魄を主食とする山神は、よく知っている。
ソウル使い個人によって式神の姿が三者三様であるように、魂魄はその持ち主の魔力の性質によって姿形や風味が異なることを。
しかし井の中の蛙である山神は、よく知らない。
持ち主の魔力の強さによっては、その魂魄の持つ性質も極端なものとなり得ることを。
「がッ…!?」
驚嘆の呻き声を上げる山神。
咄嗟に腕を引っ込めようと試みるが、牙は石野千秋の魂に突き刺さったまま離れない。
日本最強の侍・石野千秋。
その魔力もまた日本最大級であり、千秋の魂を覆う魔力は常に零下200℃に達する冷気の性質を持つ。
星辰潜行により自身の魂魄の性質を知る千秋は、防御をすり抜けられた際、敢えて自身の魂を山神に齧らせたのである。
迂闊に喰らい付いたが最後、極北の凍気が山神の腕骨の髄にまで染み込む。
「つ、冷たっ…そんなもんじゃない、痛い、痛っ…!」
顔を引き攣らせ震え出す山神の頭を、千秋は万力のような力でがっしり掴むと、鋭い瞳で睨みつけながら低く這うような声で呟いた。
「よく味わいなさい…これが最後の食事です。」
「『氷壊魔術』…『氷ノ閃』!」
バキンッ!
抵抗や悲鳴の間も無く、山神の身体は一瞬のうちに腹を境に上下に両断された。
──────
「…はぁっ!」
すぐに地面を叩き割る。
敵はおそらく特種妖魔…しかし、先程のトドメの手応えは、まるで丁種以下のような軽さだった。
一瞬気配を感じたので地面を叩き割ったが、男らしきものの姿は見当たらない。
今両断したあれは本体ではない…おそらく抜け殻のようなものだ、倒される寸前で自切のように肉体の大部分を捨てて逃げたのか?
叩き割ったのは祠の真下。
そこにチラリと見えたのは、明らかに人工物であろう、小さな穴。
「これは…?」
──────
─2031年4月10日 16:00頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 荒川河川敷〕
魚を掴み、水面から勢いよく顔を出す。
ザバァッ!
「とれましたっ!」
手に掴んだ魚を掲げて見せると、弥舞愛は手を叩いて目を輝かせた。
「すごいよ桜華!これで20匹目!」
釣りに行くと言っていたところで、何となく察してはいたけど…
弥舞愛は魚を見るのも食べるのも大好きとのことで、僕らはすっかり意気投合。
それから二時間近く、釣りをしたり、魚を掴み取りしたり、捕まえた魚を観察したり…ひたすら一緒に川遊びを楽しんでいる。
採った魚を手渡すと、弥舞愛は種類を当てて見せてくれた。
「これはオイカワのオスだね。」
「えっ、そうなんですか…!?ピンク色じゃないからわからなかったです…」
「ほら、尻びれが長いでしょ?婚姻色は夏頃しか出ないから、冬場はこうして見分けるんだよ。」
「弥舞愛は本当にお魚に詳しいんですね…」
「えへへ、そうかなぁ…ここら辺で見る魚のことしか知らないよ?」
僕はタイミングを見失っている。
弥舞愛に昨日の事件について聞き取りをするタイミングをだ。
弥舞愛には笑顔で応じつつも、内心はかなり悩ましい…どう切り出すべきか…
そんなことを考えていると、通信機から忠愛さんの声が聴こえてきた。
《桜華くん、今どんな感じ?話は聞けてる?》
「あ、忠愛さん!それが…」
事情聴取のタイミングを見失っている旨を伝えると、忠愛さんからは想像以上にカラッとした答えが返ってきた。
《それじゃあそのまま訊いちゃえば?》
「え、そんな雑に…」
《だってどうせ身分明かしちゃってるしさ…今更隠すこともあんまないし、ストレートに現場で怪魚を見かけたのか訊いてみなよ。》
確かに一理ある…下手に隠そうとせず正直に質問した方がいいかもしれない。
「わかりました、やってみます…」
僕は大きく深呼吸すると、首を傾げる弥舞愛を前に切り出した。
「弥舞愛、単刀直入に質問します…昨日あなたはこの荒川河川敷で、釣りをしていましたよね?」
「う、うん…そうだけど…」
「その時に、こんなものを見ませんでしたか?」
僕は低出力でイクチを顕現させる。
すると弥舞愛はそれに気付く素振りは見せたものの、うーん…と手を口に当てた。
「あの場で見たことはないよ…そういうのが見えるようになったの、たぶん今日が初めてなんだ。」
弥舞愛はソウル使いの可能性が高いけど、発現したのが今日だとすると、昨日の事件を起こすことはできない。
「嘘のにおい」も感じないから、僕個人の見解としては、弥舞愛は本当のことを言っている。
弥舞愛は事件の犯人ではないと見てよさそうだ。
すぐにその旨を忠愛さんに伝える。
《疑いは晴れたってことだね、それでも現場に居た以上は事件に巻き込まれる可能性があるから、引き続き見守ってあげてくんない?》
「わかりました、監視継続ですね。」
《よろしくね。》
忠愛さんと連絡を取り合っていると、弥舞愛が不思議そうな顔で尋ねてきた。
「それ…さっき言ってた上司の方?と話してたの?」
「ええ、そうです。でも、もう弥舞愛から事件について話を聞くことはありませんよ。」
「そっか…それにしても、桜華ってすごいね。」
「うん?なにがですか?」
「江戸のお侍様なんでしょ?」
「あはは…見習ですけどね。」
「それでもすごいよ、みんなの生活を守って、困った人が居たらすぐ駆け付けてくれるんでしょ?まるでヒーローみたいだよ。」
そんな言い方をされると、正直かなり照れる。
弥舞愛は右手首に着けたミサンガを見せてくる。
「このミサンガ、お母さんが編んでくれた大事なものなんだ…だから千切られそうになった時は辛かった。」
「僕も…ミサンガが宝物なのでわかりますよ。」
そう言って花菱の飾りのついたミサンガを見せると、弥舞愛は少し驚いた顔をした後に笑った。
「魚好きだけじゃなくて、そんなとこまで一緒なんだ…なんかお揃いって嬉しいね。」
「ふふっ、喜んでもらえたなら良かったで…あっ、そうだ、弥舞愛。」
「なあに?」
僕は持ってきていた予備の髪梳きを取り出すと、すぐそこの小さな岩の上に弥舞愛を座らせる。
そういえば弥舞愛はいじめっ子たちに髪を引っ張られていたから、髪も傷付いているはず…癒術をかけながら髪をすいていく。
「こんなことまでしてもらって…本当にいいの?」
「僕のお節介ですよ。弥舞愛は綺麗な髪をしているから、大事にしてあげたくて。」
「そ、そうかなぁ…」
弥舞愛は照れくさそうに、髪で顔を隠した。
髪の処置を終えると、弥舞愛は徐に立ち上がり、持ってきた通学カバンから服を取り出した。
「ふぅ…魚の掴み取りしてたら、いつの間にびしょびしょになっちゃったね。」
そして、目の前でシャツやズボンを脱ぐと…さらに下着も全て脱いで、素っ裸になって、僕のすぐ前までやって来た。
無駄な毛の無いつるっとした肢体。
夕陽のオレンジ色の光が、弥舞愛の滑らかな肌と表面についた水滴に光が反射して、まるで魚の鱗のようにキラキラと光る。
弥舞愛の体は所々うっすら骨が浮いていて、心配になるくらい細くて薄い…
胸は肋が少し浮き、弓のように緩やかな曲線を描いていて、ツンと上向きに小さな桜色の尖りが見える。
お腹はそこからほぼ垂直に線を描いて下端で丸まり、背中は緩くくの字にカーブしてくびれを描いている。
お尻は丸く小さく、出っ張りは控えめながらもぷりんとしている。
二の腕や太腿もあまり筋肉がついていなくて、小枝のように細く、簡単に折れてしまいそうだ。
弥舞愛は不思議そうに首を傾げて尋ねてくる。
「桜華も着替えないの?」
「…」
「桜華?」
──────
「ええええっ!?桜華って男の子だったの!?すごく可愛くて綺麗だったからつい女の子かと…」
口をあんぐりと開け、大声で叫ぶ弥舞愛。
「あはは…よく言われます、だからその…この状況はとても気まずいというか…」
突然衝撃的なことが起きると、思わずフリーズしてしまうのは僕の悪い癖なんだけど…
黄泉醜女様のせいで女性の裸に慣れてしまったこともあるのか、弥舞愛の裸体を見てもしばらくフリーズから復帰できなかった。
あまり観察しすぎるのも僕の悪い癖だけど…どうしても気になったのは、肋骨の浮いた胴の両側面に三個ずつついた、細長い楕円形の大きな青痣だった。
「弥舞愛、そのあざ…」
「ん…これのこと?」
弥舞愛は体を横に捻り、僕に青痣を見せてくる。
「もしかしてそれも…」
「ううん、違うよ、これはいじめのケガじゃなくて、元々あるものなの。」
「生まれつきのあざなんですか?」
「そうだよ、だからお母さん、魚のヤマメみたいだって言って“弥舞愛”なんて名前をつけてくれたの。」
そうだったんだ…と、ほっと胸を撫で下ろす。
川魚のヤマメは、体の側面に「パーマーク」という青い斑点がついているのだけど、そこから弥舞愛と名付けるなんて…なかなか凄いネーミングセンスのお母様である。
ネーミングセンスについては、あまり偉そうに人のことを言えないけど…
「僕は体の周りに水の膜を作れるので、水に入っても服が濡れないんです。」
「へえ〜!ドラゴンってすごいね!」
「ドラゴンというよりは魔法ですね。」
とりあえず弥舞愛に服を着てもらっていると、すぐ上の道路に青いセダンが停まった。
「あれは…?」
僕らに気付いて停まった?
「事件のにおい」はしないので、警戒はしていないけど…
すると、車から黒いスーツを着た女の人が降りてきて、手を振りながら大声で呼びかけてきた。
「おーい!弥舞愛〜!」
すると弥舞愛がバッと振り向く。
「お母さん!今日は早いね!?」
そうか…あの人が、弥舞愛の言っていた、ミサンガを編んでくれたお母様なんだ。
「久しぶりに早めに帰らせてもらえたのよ〜!そんなことより隣にいる子は〜?お友達〜?」
そう返す弥舞愛のお母様に、僕も手を振って大声で返す。
「はーい!今日初めて会ったばかりですけど、お友達になりました〜!」
弥舞愛のお母様は僕の返事を聞くと、煙草を片手に嬉しそうに笑った。
「あははっ、ここじゃ見ない可愛い子だね、よかったら家で晩ごはんでも食べてくかい?」
【智多川 愛宮衣】
~智多川弥舞愛の実母~
──────
─2031年4月10日 18:00頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 野上下郷 板石塔婆石材採掘遺跡付近〕
「これで最後か…」
現場に居た怪魚人は全て倒した。
後のことは所轄の同心たちに任せよう。
《お疲れ様です、石野さん。》
忠愛君からの通信だ。
「そちらもお疲れです…先程連絡した通り、事件の犯人と思われる妖魔を発見しましたが、逃げられた可能性が高いです。」
《石野さんにしては珍しい…お怪我は?》
「心配ありませんよ、それより桜華君は?」
《桜華くんですか?それなら今…晩ごはんをご馳走してもらうとのことで、智多川弥舞愛の自宅に居ます。》
「は、はあ…そこまで潜入できたのですか…」
《随分仲良くなったようで。》
犯人が断定できた以上、智多川弥舞愛への疑いはほぼ晴れたが…
現場に居た以上、今後山神が彼女に接触する可能性はゼロではない。
あの山神を倒すまでは、桜華君に引き続き監視してもらいたいところだ。
でも疑いが晴れて良かった。
あの優しい桜華君のことだ…そこまで仲良くなれば、相応に感情移入もしてしまうだろう。
元は容疑から始まった追跡だが、少なくとも今の段階で、桜華君が必要以上に心に傷を負う必要は無い。
まだあの子は子供…初期研修の任務は段取りさえ学んでくれればそれでいい。
「私は今から旅館へ帰還します。」
《了解、位置情報は受け取ってるので、そこにギッシャー送りますね。》
「ありがとうございます。」
《あと、任務終わったら飲みに行きましょ、石野さんの奢りですけど。》
「はぁ…まったく君は…」
──────
─2031年4月10日 19:00頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 野上下郷〕
「それで僕がお魚を取ろうとお堀に飛び込んだら、蜜樹さんがそれを空中でキャッチしようとして…一緒にお堀に落ちちゃったんです。」
「それで上がってきたら、二人ともびっしょびしょな上に藻であちこち緑色になっちゃって…」
「そしたら植物は光を浴びると伸びると本で読んだ目白が、『母上から花が咲くまで着替えちゃダメ』って言い出して…」
これは僕と蜜樹さんの思い出話。
「ギャーッハッハッハッハッ!おかしい!おかしいってぇ!」
机をドンドン叩いて爆笑する愛宮衣さん。
「あははは!そんなことがあったの?」
それを片手で弱く牽制しつつも、一緒になって大笑いする弥舞愛。
弥舞愛のお母様・愛宮衣さんが作ってくれた晩ごはんは、ビーフステーキ。
普段は弥舞愛に炊事を任せている上、お客さんまで来ているので、「自分がやる」と言う弥舞愛に対して「今日は私が料理する!」と台所で揉めていた。
お互いのことを大切にしている、良い親子なんだなぁ…
愛宮衣さんからは物凄い煙草とお酒の匂いがする…なんでもヘビースモーカーで大酒家らしく、今もすでに缶ビールが六本も開いている。
とても活発で負けん気が強く、弥舞愛を目に入れても痛くない程可愛がっているお母様。
だからこそ忙しい中で弥舞愛へのいじめになかなか気付けなかったことを悔やんでいるし、しっかり法の裁きを受けさせてやろうとしているらしい。
今日勝手にいじめっ子と仲直りさせられそうになったことには怒っていた一方、事情聴取のためとはいえ弥舞愛を助けてくれた僕にはとても感謝していると伝えられた。
「学校なんて無理して行かなくていいのよ〜…あんなところは狭い水溜りよ、弥舞愛はビッグな魚なんだから、もっと広くて優しい海で泳げばいいのよ。」
「今泳いでるところが全てじゃ…ない…のよぉ…ぐぅ〜…」
弥舞愛に友達ができたことがとても嬉しかったらしい愛宮衣さんは、目一杯喋り倒した後、疲れてしまったのかそのまま眠りに入った。
「いいお母様ですね、愛宮衣さん。」
僕がそう言うと、弥舞愛は微笑んで頷いた。
「うん…桜華のお母さんは?」
「僕のお母様ですか?…とても優しい人ですよ、今はこの世には居ないけど…」
「そっか…なんか、ごめんね…」
「大丈夫ですよ、気にしないで。」
弥舞愛は一呼吸置くと、語り出した。
「ねえ桜華、私ね…海に行ったこと、無いんだ。」
「そうなんですか?」
「うん、こんな場所に住んでるし…それに、お母さんはずっと忙しいから、行く機会が無くて…でもね、私、海に行ってみたいんだ。」
「どうして?」
「海は広くて自由だから!…私の勝手な想像だけどね?外の世界には、私と仲良くなってくれる、優しい人がいっぱい居るってお母さんも言ってたから…そしたら今日、桜華と会えた!やっぱり外の世界は広いんだなって思ったよ…」
「弥舞愛の言う“海”は、この町から外の世界のことなんですね。」
「うん!あっ、でも、それはそれとして広い海は見てみたいな…海にはいろんな魚が居るのは知ってるけど、図鑑でしか見たことないし…」
海…今弥舞愛はちょうど学校を休んでいるし、ぜひ連れて行ってあげたいところだけど…
実は今、東京湾~横浜港にかけて大規模工事が行われていて、海の近くまで行くことができない。
海に直接行かずとも、海を体験できるような場所はないかな?
悶々と考えていると…
ふと、ポケットからチケットがはみ出しているのに気付いた。
䑓麓さんから貰った、サンシャイン水族館のペアチケット。
これだ!
「ねえ弥舞愛!」
「なあに桜華?」
「一緒に…水族館に行きませんか?」
〔つづく〕
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
〈tips:ソウル〉
【soul name】氷壊魔術
【soul body】石野 千秋
パワー-A
魔力-A
スピード-A
防御力-A
射程-C
持久力-A
精密性-A
成長性-E
【soul profile】
江戸幕府大老・石野千秋のソウル能力。
対象に冷気を吹き付け、線状に着氷した部分を「急所」とし、急所に沿った攻撃は必ず会心の一撃=クリティカルとなる。
急所への攻撃は硬度・弾力などを一切無視するほか、急所は複数設定もできる。
千秋の凄まじい膂力も相俟って、ほとんどの敵は一刀両断されてしまう。
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